Victoria Amelina, a Ukrainian writer, and our dearest colleague, passed away(PEN Ukraine)
https://pen.org.ua/en/ne-stalo-viktoriyi-amelinoyi-ukrayinskoyi-pysmennyci-ta-nashoyi-dorohoyi-kolehy
6月27日のロシアによるクラマトルスク市に対するミサイル攻撃で、市内のレストランで会食中に重傷を負ってドニプロ市の病院で治療を受けていたウクライナの作家ヴィクトリヤ・アメリナ氏Амеліна Вікторія Юріївнаが、7月1日に亡くなったとの事。享年37。ウクライナPENクラブの発表。
彼女は小説家として2021年のジョセフ・コンラッド文学賞Літературна премія ім. Джозефа Конрада(キーウ・ポーランド協会Польський Інститут у Києві/Instytut Polski w Kijowieが選定している40歳未満の若手ウクライナ人作家が対象の賞)の受賞者で、ロシアによる侵略戦争下ではロシアの戦争犯罪行為のルポなどで知られてきた。
「幸福の科学」大学と鈴木寛さんたちが目指すZEN大学の違いは?
「幸福の科学」が4年制大学の「認可」を求めて、却下されたことは投稿しました。
幸福の科学学園の中学・高校は認可されています。ですから、ZEN大学は「幸福の科学」の大学設置審への「認可」にむけた準備と同じ段階にあります。
さて、幸福の科学は「大学」であることを却下されたのに、あらら不思議「幸福の科学大学」・「ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ」と自称する4年制の「私塾」組織は学部まで備えて「ちゃんと」あるのです。
ただし、「認可」されていないので、4年経って卒業しても「学士」号は取れません。つまり日本社会ではそれは「高卒」と同じ扱いになる。
ZEN大学がなんとしても「認可」してもらおうとするのは、まずこの「学士号」付与のため。「学士号」ももらえない通信制の自称「ZEN」に毎年数十万の授業料を払う人はいません。
しかし、それは大学として機能するのか、教育・組織・運営できるのか、「審査」を経て初めて「認可」される。
認可されれば、授業料から総長、学長、副学長、理事に報酬を出すことは「合法」になります。
もし設置審で却下されたら、それは幸福の科学大学と「同じ」ということになる。
https://mstdn.jp/@booskanoriri/110644697301234378
世の中には、たしかにまともな「国際政治学者」という人もいるし、国際関係や戦争の歴史を研究している研究者もいて、それなりにアカデミックな世界はあると思います。
しかし、そういう人たちだって、なにも「安全保障の専門家」なんて呼べるわけじゃない。国際紛争や軍事的緊張をもたらす要因は、あらゆる社会事象の中にあるわけで、安全保障はすべての人が関わる問題です。
軍人や兵器の専門家だって、ミサイルの撃ち方を知っているだけで、それは「安全保障」を仕事にしているわけではありません。
では、件の記事で「専門家」と言われているのは誰かと言うと、やはり権力者の側に立って、軍備の拡張や戦争準備を唱える御用学者なんですよ。
(・ω・) [参照]
維新は目立つけど周縁的な一方で、自民党は統一教会と保守メディアを結ぶ全ての中心にいる……。
QT: https://mastodon.social/@ital/110644229258489567 [参照]
山下達郎が炎上している。彼についてはそれが本当ならクソダセーな、という話。人間ああいう歳の取り方はしたくないもんだ、悲しいねえ、とも。
それでちょっと思い出したのだが。
「駅」という曲がある。竹内まりやが中森明菜に書いた曲だ。駅で偶然かつて愛していた人を見かけ、懐かしさと苦い思い出にふと揺れる女性の心を歌った曲だ。
中森明菜はあの曲を静かなウィスパーボイスで歌い上げた。大きな感情は表に出さず、ただ切々と静かに、絞り出すように。あれを聞いた時、自分はつらくて最後まで聞くのに少し苦労した。彼女が自殺未遂を起こした後に聞いたものだから。
曲自体はリリースが1986年だから、彼女はまだ恋愛の最中であり、自殺未遂で大きな話題になる数年前なのだけれど、それまでに何度も同じようなことがあったそうだから、あれを歌った時も、恋愛は彼女の人生に大きくつらくのしかかっていたのかもしれない。
まあ詳しいことはわからないけれど、彼女はあの歌をあの歌い方で表現したかったのだろう。それは曲をもらったシンガーがどう表現するか、の表現の自由の問題でもある。それはそれでもちろんアリな歌い方だ。
が、山下達郎はそれを
こき下ろしたのよね。中森明菜のあの歌い方が我慢ならず、わざわざ竹内まりやにセルフカバーをさせてそのライナーノーツに"アイドルシンガー“という呼び名で解釈が酷いと書きつけた。
竹内まりやはあの曲をもう少し力強く歌い上げていた。別れて2年の月日を経て当時の愛情が過去のものになり、少し距離を置いてその時期を眺められるようになった大人の女性の歌として。
それはそれぞれのシンガーの解釈の違いでしかない。中森明菜はいまだにその愛情の名残を引きずる"今“として歌い、竹内まりやは"過去“として歌った。そういう違いだろうと思う。
そして件のライナーノーツは「達郎さん、そいつはどうかな」と批判を浴びた。すると彼は「シンガーに対してじゃない、彼女の周りのアレンジや表現を作ったスタッフに疑問を投げたんだ」と逃げた。
それが「山下達郎、クソダセーな」と思った最初だった。
あれから随分な時間が流れた。まあ大御所も大御所だし、アニキと慕うギタリストを認めてくれたありがたさももちろんあるけど、でもやっぱり、自分は"火の粉のかからないところでだけイキるダセー大人"のイメージが残っている。
とにかくいっぺん政権替えないことにはどうしようもない。替えたらすぐよくなるわけではないが、替えないと悪くなる一方。この替えたからすぐ良くなるわけではないというのがミソで、忍耐力のないバカな有権者はすぐに「前の方が安定していて良かった」とか言い出す。で、自民党が戻ってくると二度と政権を失うまいとどんな手段でも使ってくる。第二次安倍政権がそれだった。
これ書くかどうか迷ったけどやっぱり書くけどね、今ね、ついったーでね、『火垂るの墓』についてね、あれはあの子たちの性格や行動をみてたら自業自得だよね、みたいなこと言ってる人がいてね、さらにそれに賛同したりあさっての解釈加えたり、監督もそれを意図して描いてるよね、みたいなこと言う人まで出てきててね、なんかもうこれ書きながら驚きと怒りと悲しみとで手が震えてるけどね、いったいどこをどうやったらそんな人間ができるのかと思ってね、これはもう単に想像力の欠如とかいう言葉で片づけられる問題じゃないと思ってね、この社会にどんどん蔓延してきてる価値観っていうか、上手に生きれない人は淘汰されて当たり前みたいなね、書いてるだけでおぞましくて書きたくないけどそういう価値観ね、人類がこれまで膨大な犠牲を払って少しずつ獲得してきたものを全否定するような言説、しかもそれがかっこいいみたいなね、そんな、相手する価値もないような言説たちを目に耳にするにつけね、ほんとに、当たり前のことを当たり前だと真面目に真剣に言い続けていかないと、どんなにかっこ悪かろうが揶揄されようがそこを曲げてはいけないと、改めて思ったよ。負けない。
日本のイキっているビジネス系インフルエンサーたちは、「経済的徴兵制」には大賛成するんじゃないですかね。
「俺たち高額納税者の金で生きているんだから、少しは社会のために役に立てよw」とか言って。
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しかし差別をやめろ、って公言すると生活に支障が出るから名前出せない、って、民主主義国家じゃないよね、もう。
そういう人はよく私の周りにいるんだけど。
日本て全体主義国家ですよね。
ここから盛り返すのって大変だよな…。
🐦🔗: https://twitter.com/HKomakine/status/1657682851238907904
心療内科や精神科医に通うということがスティグマ化してるのも、発達障害も精神病も一緒くたにされて蔑まされるのも、どっちも「健全」で「普通」で「ポジティブ」であることが社会参加の約束事になって市民を呪縛していることの証左だなと思う。そうして追い詰められるのは社会そのものなのに、寛容や包括、理解よりも、排除と選抜による団結のほうが楽だからとどんどん「健全」なディストピアに寄っていってしまうというか。
自分が鬱になって、ハッピー剤投与しはじめて臨床心理士さんと話し始めて2年半だけど、徐々に自己肯定感の底が出来始めるとか、ASDグレーとわかるとか、個人的には心療内科には感謝しかない。
誰でも専門家に助けを求められる社会になるの大事
あえて言うならカウンセリングに保険が適応されないのが…貧困層がここでも切り捨てられている
こちらがいくら「反撃」だといっても、相手は日本が攻撃をしてきたと受け取って、さらに反撃してくる。そうすればミサイルの撃ち合いです。戦争が始まればまっさきに攻撃対象になるのは沖縄です。そして、在日米軍の中枢のある首都圏も攻撃を受けるでしょう。そのような戦争が起きることを未然に防ぐための緊張緩和、信頼醸成、そして軍縮・軍備管理を基調とした外交が必要なのです。軍拡や、攻撃態勢の強化は、戦争のリスクを高めるものです。軍拡すれば「抑止力」が高まって戦争が防がれるなんて、そんな保証はどこにもありません。軍事的緊張を高めることによって安定を図ろうというのは、きわめて危険な外交手法であり、安全保障政策としても持続可能でありません。
#戦争ではなく平和の準備を
「敵基地攻撃はミサイルの撃ち合いに」 川崎哲さんが訴える平和構想 朝日新聞
https://digital.asahi.com/articles/ASR2F4SR5R29UPQJ005.html
だーれも頼みもせん防衛費倍増やら社会保障削減、インボイスやマイナカード強要みたいな悪政を強行し、政治家は世襲だらけでHPに家系図上げるような政党がずーっと一党支配続けてる状況、マトモな問題意識持った野党がきっちり対抗軸示して共闘態勢取れば十分勝負し得るのに、自称野党第一党が「提案型」だの「維新と連携」だのと明明後日の方向いてるんだもんホンマ絶望感が半端ない。
このまま統一地方選も共闘できずぼんやり与党が負けもしない、みたいな結果になったらもうどうしようもないし、そういう結果以外の未来がまるで見えない
成田某みたいのが日本語でどんだけ暴言繰り返しても世界的にはなかなか気づかれない現象、本邦の没落を如実に示しているよね。
その経済的地位の低下に伴い、日本国内で起きていることへの関心が薄れ、関心が薄れるのに応じて日本語を解し強い発信力を持つ一流の海外人士も減少していく。
かつて「世界第●位のケーザイ大国」とイキってたころは発信力のある切れ者がちゃんと日本語を理解しようと努力していたものだが、今ではこんな貧乏国のクソめんどくさい言語なんて進んで学ぼうという人はよほどの物好きであろう(いや覚えようと努力してくれるのはありがたいんだけどね)。
そうして海外でやれば一発で社会的地位を失うような暴言を平気でSNSに流しちゃうようなのが幅を利かせ、さすがに目立ちすぎて海外に補足されたら当然のごとく大炎上するという。まー恥ずかしい話ですわ