社会的に主流の見方に疑問を持つ人の場合、マルクス主義をベースにした思想に流れる人と、自己中心的な陰謀論に流れる人とがおり、芸能人というか、メディアに登場することを仕事にする人の多くが後者である。
https://www.bbc.com/japanese/43917821.amp
この事件のことを思い出していた(性犯罪の内容の詳細が記事内にあります)スペインで強姦罪での無罪判決がでてスペイン全土で抗議が起こった。(その判決後2019年に最高裁で強姦罪に対し有罪判決がでて15年の刑が加害者全員にかされた)法は真空に存在するわけではなく、法律上の手続きは尊重されるべきなのは当然として、法律は市民の理解と対話の上で納得と信頼を得ながら判例を重ねて形成されていく面もあるはず。その形成のプロセスに不信感を募らせる状態は改善されるべきものだと思う。
たかだかオンライン署名程度、それで世の中が変わったことなんてほとんどないですし、ほかのパターンでも炎上気味に広がるオンライン署名は多々あるのに、そこまで慎重さを求めることからは、「思慮の足りない女」を教化してやらねばならぬ、といういつものパターナリズムを強く感じるところです。
教化されるべき、思慮の足りない女たちが、社会的な権威や地位のある男性に歯向かい、ましてやその地位や評判に傷をつけるなど断じてゆるさるべきではない、というアンコンシャス・バイアスは極めて強いので、それに基づく反発であろうと思います。
それによって男性個人がダメージを被ることは許されてはならないことなのですよね。
オープンレターの一件も、いつまでもしつこく言われるのは、この根深いアンコンシャス・バイアスが原因であろうとも思います。
ジェンダー問題の関連で、デモや署名などの活動が盛んになると、やりすぎはよくない 的な良識者めいた諌める文言が優位になるのも、日本あるあるだなぁ、と思います。
背景には、過去、警察や司法の場で性犯罪に対してきわめて寛容であり、被害者の過失ばかりが問われてきたというつい最近までの流れによる司法への強い不信感があると思います。
また、緊急避妊薬の承認プロセスなどに見られるように、現在進行形で公的な手続きの場でも女性の権利は軽んじられたままというなかで、公的手続きにおける女性の権利が適正に扱われているとは考えられない、という不信感もあると思います。
不当と思う裁判官への署名運動程度、たいしたことではないと思うのですが、判決全文を精査してから判断しろといった、普段の言動からは大きく異なる慎重さや思慮深さを署名程度に要求するなど、まるで社会を揺るがすおおごとのような扱いになることじたいに違和感があります。
(私自身は署名はしていないです。今回に限らず、毎回のことですが、署名一つにも自分自身はいつもやりすぎなくらいに慎重に判断するので、ほとんどの場合署名活動には協力しないことになります。ただ、それを他人に要求はしませんし、必要とも思っていないです。)
鈴木智彦「サカナとヤクザ 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う」読了 #本
実は未読だったんだよ。漁業の背後にこんなに「密漁」があって暴力団が関わってるとはなあ、というかまあうすぼんやりと知ってはいたが。
あと中身は「密漁ビジネスの全体像を明らかにする」というよりは、「密漁に関わった暴力団∪限りなく暴力団に近い漁業者列伝」といった趣の本だった。根室のレポ船とか初めて知ったな
坂東から帰洛したみやこのムジナ