WIREDのTech Supportのシリーズで古田大輔さんが「フェイクニュース」をテーマにやってる回で「嘘の情報を信じている人に真実を伝えるのに効果的な方法は?」という質問があって、強く信じている人にそれは間違っていると伝えても相手はより態度を固くしてしまう(バックファイア効果)から、「どうしてその情報を信じようと思ったのか」と尋ねてみる方法が提案されていた。
https://www.youtube.com/watch?si=RuGAEQ_ul1z6AWUk&v=H5Yr3e3Z-5w&feature=youtu.be
昨日の兵庫県知事選挙は斎藤元彦前兵庫県知事が当選しましたね。Mastodon、Fediverse上では「私のまわりに斎藤元彦支持者はひとりもいないのに、あの街頭演説の聴衆は不自然」という人らばかりでしたけど、私の場合は逆で、前にも書いたとおり理由は違えど私の周りの兵庫県民はみんな斎藤元彦支持者ばかりだったので、実感とはそう遠くない結果だったかなと思います。
昨日の選挙鍋の参加者も、よく気の知れた人の投票先しか聞いていませんが、半数以上が斎藤前知事に投票したと言っていました。
今や兵庫県民でない私が言うのも何だけど(前回の知事選のときには兵庫県民)、稲村和美前尼崎市長にも知事にはなってもらいたくなかったので、個人的には斎藤前知事が再選され、ふたたび不信任を付きつけられ、今度は議会を解散し、その後県政が回らなくなって再度不信任を付きつけられて失職し、次の知事選では稲村前尼崎市長でないまっとうな候補が出馬して兵庫県知事になるという(おそらく一連の流れはそんなにうまくはいかない)結果を望んでいたので、斎藤前知事の責任をしっかり追及するためにも再選されてよかったのかなと。微妙だけど。
「既得権益」とされるものへの憎悪、歴史的には「部落解放同盟」とか「在日特権」あたりからはじまって、そのたびごとに恣意的に敵を替えつつ現在にいたる感じか。
アテンションつーか火をつけて回るビジネスが成立してしまったので、それ専門のガベッジ野郎が次から次へと出てくる。
こうした〈叩かれてきたもの〉の歴史的変遷をたどったのが、能川元一さんとの共著『憎悪の広告』なんですよね。ターゲットとされたものへの攻撃の執拗さと定着度合い、その反面にあるターゲットの移ろいやすさも含めて、クソい右派論壇誌の広告から可視化していくという企画でした。
まじかいな笑。汚濁に塗れた選挙終了。兵庫県政の停滞は続く。何にせよ、86人全ての県議が辞職要求したことも、全会一致で不信任決議が可決したのも、選挙期間中に支持者がばら撒いたデマも、暴行も、公職選挙法違反も、なかったことにはならない。議会は続く。百条委員会も続く。
https://x.com/yahoonewstopics/status/1858104297751507455?s=46&t=jICNGQ8DArwoSrgaRbJlEw
民意が正義を決定するわけではない。泉氏、影響力とギャラのためにテレビに出続けたいだけじゃないか。
【1ページ目】泉房穂氏 当確の斎藤元彦前知事に〝謝罪〟「厳しいトーンで対応してきた」「お詫び申し上げたい」 | 東スポWEB https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/324128
例えば1980〜90年代ぐらいまでは、漫画本やロックのレコードを自主制作&自主流通するようなことも、大資本に占有されたインフラ状況へのカウンターパンチになり得た。しかしプラットフォーム資本主義以降は、インディレベルで既存インフラに対するカウンターを仕掛けることが、とても難しい。
どんなアクションも、大資本が用意するプラットフォーム上のいち商品としてしか成立し得ない。インフラレベルでカウンターを仕掛けること・既存状況を否定することの難易度が、果てしなく上がっていく。表現のレベルでカウンターであっても、インフラのレベルでは大資本の論理を飲むしかなくなっている。
スケールすることこそが正義という感覚は、ビジネスのレベルだけでなく文化表現のレベルにおいても、この10年ほどで深く再強化されたと思う。自立性や個人主義的思考は、どんどん蔑ろにされていっている。
神戸出身の相方が「同級生らも斎藤に入れたって言うてた」って言うので「なんで??????」と聞いたら「あの自⚪️した職員がおるとか全部ウソらしいで」だって、、、。
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ハァァァァァァァ(特大のため息)
坂東から帰洛したみやこのムジナ