文舵本編の解説に基づくと(※)、「遠隔型の作者」や「壁にとまったハエ」にも「類推」「判断」「価値判断」などは間接的・控えめにではあっても許されていて、ハエがあえて「壁にとまった“知性ある”ハエ」と呼ばれているのもそのためだと思うんですが、それらさえ徹底して排除した場合には「カメラアイ」になるのかなと思っています。このカメラアイにはおそらく「類推能力」や一般的な意味での「判断能力」、つまり知性は想定されていないので、比喩表現も使わない。とはいえ、あらゆるカメラにもその向こう側にはカメラを動かす/設置した誰かが想定でき、結果として何を/どのように/どれだけetc. 撮るのかという視点の「意図」は反映されるので、究極的な客観視点というのは理想の中にしかない、という今のところの理解です。
※
・p.127「登場人物について振るまいや発言から推測できることのみを話す」
・同「価値や判断は間接的にほのめかすことしかできない。」
ただ、ル=グウィン先生自身は例文の「セフリード姫」でここでいうところの「カメラアイ」をやっているとは思います。
『キャラクターからつくる物語創作再入門』を読みました。3
ただ、「嘘」と「真実」/「WANT」と「NEED」/ポジティブなアーク、フラットなアーク、ネガティブなアーク/3種類のネガティブなアーク(失望のアーク/転落のアーク/腐敗のアーク)といったタームを得られたのは良かったです。お陰で色々なものの見通しがよくなりました。
また、アークから考えることで、登場人物それぞれに物語(アーク)があることを意識しやすくなりそうなのもポイント。特にネガティブなアークをやりたい時は、本書を必ず読み返すべきでしょうね。
余談ですが、自作でいうと「竜と沈黙する銀河」(の主人公)はフラットなアーク、「狼を装う」(の主人公)はポジティブなアークですね。後者は明確に参照元の物語構造があるのですが、それはまたどこかで……。
『キャラクターからつくる物語創作再入門』を読みました。2
たとえば三幕構成におけるTPやMPはあくまでイベントなので、ネガティブでもポジティブでもない。具体的な内容もなんでもいい。構成は器であってその中味は自由――というのはシド・フィールドも書いていたはず。逆に言えば、パターンが多過ぎて探索しきれないし、当然そのパターンの中には一貫しないものや魅力的でないものも存在する。さらに言えば、構成は登場人物と分離できるので、ともすれば棒立ちの人物たちの前でただ出来事だけが起こる、となりうる。
だとすると、「登場人物を中心にした」「成功率の高い(成功した作品から逆算された)」構成のリストがあると便利ですよね。
つまりそれがキャラクターアーク、ということでしょう。
本書のあちこちでプロットとアークを別物のように扱っておきながら、四章においては、キャラクターアークと(サブ)プロットが可換であるように説明しているのも(一読してかなり混乱しました)、そういう事情ではないかと思います。
個人的な収穫としては、当初目指していたキャラクターアークの理解という意味ではさほど成果はなかったのが正直なところです。それは事実上「三幕構成」を理解してさえいれば足りるので。
『キャラクターからつくる物語創作再入門』を読みました。1
「キャラクターアーク」の理解のために読んだので、キャラクターアーク、プロット、構成それぞれの違いに気をつけて読みましたが、本書単独で整理するのは難しそう、という印象です。キャラクターアークと言いつつ、ほとんど三幕構成に沿って説明されるのも大変で、同著者の『ストラクチャーから書く小説再入門』を先に読むべきかもしれません。それでも腑分けは労力がいる。
以下、おれの理解をメモします。
プロット:「構成」を含むもっと広い概念で、構成よりもマクロの意味もミクロの意味も含む
(三幕)構成:ストーリー中で起きるイベントの性質とその提示順
キャラクターアーク:ストーリー中で登場人物がたどる軌跡=経験するイベントの構成
なので、構成はプロットに含まれるし、キャラクターアークは構成に含まれる。究極的にはどれもプロットであると言える。
ここで、構成から「キャラクターアーク」をわざわざ切り出す必要があるとすると、(三幕)構成にはいわば「色がない」からでしょう。
作家(阿部登龍)。第14回創元SF短編賞受賞作「竜と沈黙する銀河」(紙魚の手帖vol.12)、「狼を装う」(同vol.18)。SFとファンタジーと百合とドラゴンとメギド72が好き。
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