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お昼なのでオヤツを食べに行く。

Ubu さんがブースト

高井ゆと里/周司あきら
『トランスジェンダーQ&A 素朴な疑問が浮かんだら』(青弓社)
seikyusha.co.jp/bd/isbn/978478
本日4/25から出荷開始です。週末から順次店頭に並びはじめるはず。友人と縁を切る前にどうぞ。

もちろん、「私たちはこの国を愛している」と言うことでしか紡げない思いや抵抗できない側面もあるはずで、全てをナショナリズムだと批判するつもりはないです。
それでも、人権運動において権利を取り戻す主体は市民であって国家ではないということ、国家や家など共同体への愛着を主軸にした(あるいは利用した)運動が歴史的に何に回収されてきたのかということに、私たちは運動の中で何度でも立ち返る必要があるとは思う。

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郷土愛もマクロなナショナリズムなのだけど、地元への愛着とか馴染みのある場所への好意みたいなものは私も持っているので、自分もナショナリズムを内面化していることを自覚しつつ、それでもナショナリズムに回収されないでいたい。
国家にせよ家にせよ、それらは人が集まったことで作られた共同体でしかないけど、その共同体に権力が付与されてしまっている以上、そうした共同体そのものへの支持や愛着は、国家ならナショナリズム、家なら家父長制というように、簡単に権威主義や全体主義に転んでしまうよね。

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国家を支持するとか国家を愛するとか、かなり怖い言葉なので、デモのシュプレヒコールで散見されるようになってきたことに危機感ある。
弾圧されている国や地域に連帯することや、その土地の自治権/独立/解放を支持すること、そこに暮らす人や動植物の権利を支持すること、その人々からの意見や声明を支持することと、「特定の国家そのものを支持したり愛したりすること」は、全く別の行為だと思っている。
国家とは最も支配的な権力を保持している排他的政治共同体なので、権力の塊かつ支配の象徴みたいな「国家そのもの」を支持したり愛したりしてしまうならば、そしてそれを参加者たちで共有するのであれば、その運動はナショナリズムまっしぐらなんじゃないのかと。
「We love 〇〇(任意の国名)!!」のようなシュプレヒコールは、(それが自国に向いていようと他国に向いていようと)かなり愛国運動の様相を呈しているので、「どうしてもこの運動にナショナリズムを持ち込みたい」という意図が無いのであれば行うべきじゃないし乗るべきでもないと思う。

昨年末に応募してたキャンペーンに当選して、5万円のギフト券を貰えました。やった〜。運が良くてビックリしちゃう。

Ubu さんがブースト

4巻めちゃくちゃ良かった〜。今巻は収録話もシスターフッドを感じるものが多くて、それがより一層作中での朝顔の活躍を後押ししている。どこかユルいシュールなノリとテンポは引き続き、将棋に魅入られた者たちの血潮沸くような闘いもあって読み応えがあった。一人きりで向き合う、でも一人きりでは到達できない高み。盛り上がってきた……これからの話も楽しみ☖☗
『花四段といっしょ』(4) (ソノラマ+コミックス)』(増村十七 著)
read.amazon.com/kp/kshare?asin

ずいぶん前に『マギ』をオススメしてもらって読めていないままなので、GWに読もうと思います。あと友人から『ダンジョン飯』をオススメされているので、そちらも近々読みたい。『メイドインアビス』は最新刊の12巻まで読みました。(メモ)

『宝石の国』最終回 

ちなみに阿弥陀如来は釈迦により発見された仏であり、釈迦が現れなければ誰も阿弥陀如来の存在を知ることはできなかったとされているので、作中でフォスが阿弥陀如来になれたのはフォスの元に釈迦(彗星フォス)が現れていたからということで、時制の矛盾もない。
フォス一人が三世仏の全てに相当することで、結果的に物語が円環構造になり閉じることになっていて、これもまたマントラ的で非常に仏教思想を感じる。どにらにせよ物語が上手い。
作中のジェンダー表象や恋愛描写については批判点があることも把握・理解しているが、仏教をメインモチーフにした宗教的な作品としての上手さと面白さはめちゃくちゃ評価している……。それに、作者自身のフェティシズムというある種のセクシュアリティと信仰心(作者は仏教校出身)の折り合いをつけるような仏教テーマの物語を、日本で(2012年に開始して)やりきったという点で、クィア作品の一時代を拓いたとも思う。 2/2

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『宝石の国』最終回 

装飾品になることが運命づけられていた宝石が、石座ではなく蓮華座に乗るの上手いなぁ。
最後、フォスは彗星(彗星=計都=釈迦)になるので、フォス一人で三世仏を全部やっているのではないか、など考えた。
三世仏については、過去仏を「阿弥陀如来」、現世仏を「釈迦如来」、未来仏を「弥勒菩薩」とするの一般的。
宝石・月人・アドミラビリス族ら群生を救済したフォスは阿弥陀如来に、途方もない未来の先で過去の救済にあずかれなかった群生を再び救済したフォスは弥勒菩薩、誰かを救う彗星になったフォスは釈迦に相当しているとする。
まずフォスは七宝を取り込み極楽浄土の荘厳さそのものとなり、そして阿弥陀如来となり全員を救済(無に送る)、その後は弥勒菩薩となり岩石生命体たちを救済(極楽浄土へ送る)し入滅、最後にフォスは極楽浄土で悠久を過ごすが、その一部は釈迦如来になる。
最後、フォスが現世(俗世)のフォスを照らしに行けたのは、釈迦(=彗星)という現世仏になったからではないか。 1/2

Ubu さんがブースト

政治的ノンバイナリーのすすめ
scrapbox.io/smzn0401/%E6%94%BF

他に実行できることの意見を募集します。リプライください。他のところも過不足あれば教えてほしいです。

『セーラームーン』の何が好きかと聞かれたら、私は結局のところ「主人公含めいろんなキャラがジェンダー関係なくあらゆる相手にトキメキ散らかしてるPansexualness溢れるpolyamorousなところ」かも……。古い部分もあるとはいえ今読んでもかなりクィアだよねセーラームーン。
同じ「Pansexualness溢れるpolyamorousなところ」を私は『ムーミン』にも感じている。ムーミンってそういうところありますよね。私はあると思います。クィアリーディング可能性の高さというか。

今後さ、「『虎に翼』の誰がタイプ?」っていうクィアガールズトークができそうな予感する。「セーラームーンだと誰がタイプ?」とかさ、やりませんでしたか……クィアガールズトークを……(私はやりました)。
言い出しっぺなので言っておくと、うーん私はね〜、好きなキャラはよねさん、描かれ方が一番気になっているのは崔香淑、タイプは涼子です。セーラームーンだと、セーラーマーズとセーラープルートです。

Ubu さんがブースト

LUSH労働組合のかたがTRPでパレスチナ虐殺反対を掲げようとしたところ、上から弾圧を受けたという告発。

LUSH……かなり信頼をおいていた企業なので、ショックだ。結局欧米中心主義的なピンクウォッシュでグリーンウォッシュだったんだ。
明日面接終わったら反対のお問い合わせ送ろう。
twitter.com/AkiraShijo/status/

元の方のInstagram→ instagram.com/____m.o.n____?ig

Ubu さんがブースト

“ICUでは、オールジェンダートイレを設置するにあたり、どんな懸念があるのかを学生に尋ねる事前アンケートを実施しました。ただし、設置の可否についてはあえて問いませんでした。その理由は、「設置の可否を問いかけてしまうと、マイノリティーの声はいつまでも届かないから」です。”

壁を厚くしたり天井まで届いてるタイプにしたり入口を2箇所にして行き止まりを無くしたり個室の中に手洗いもあって人と会いにくい動線にしたりできるだけフラットな面にして隠しカメラの設置をしにくくしたりよく考えられてる。

「オールジェンダートイレ」ICUや東大に 工夫したのはどこ? | 朝日新聞Thinkキャンパス asahi.com/thinkcampus/article-

私がよねさん好きだからかもしれないけど、よねさんの描き方は個人的に朝ドラの女性表象のブレイクスルーだと思っている。
踏み躙られる辛さを知っているマイノリティ当事者としての活動家が、能力主義/成果主義的なマッチョさに染まってしまうことや、女性でありながらミソジニーを内面化してしまうこと、そしてそれを乗り越えて包摂的な視線を獲得していくことを、複雑に描いていて上手い。
一方で、異性装であるという(クロスドレッサー/トランスマスキュリン的な)ある種のクィア表象
としては、よねさんの描き方はまだ旧態依然だとも思っていて、そこは今後に期待している。
よねさん初登場時の、外見からだと「えっと…この方は…」と男女どちらか混乱するけど声を聞いて「あ…女の子だ」と納得するシーンとか、性別二元論すぎて作品のテーマからしても相応しくない演出なんじゃないのと。ep17もそうだけど、異性装をギャグ的に消費する演出が続いているのは引っかかる点。
よねさん、怒れるマイノリティ活動家なのでどうか物語から退場せずに(怒れるマイノリティ活動家は物語の半ばで退場させられがち)、物語の中心に居続けてほしい。

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『虎に翼』、好きなキャラはよねさんなんだけど、自分に属性が近いのと描かれ方に注視しているのは崔香淑なので、女子部メインキャラみんなそれぞれ抱える困難が描かれているのに崔香淑だけまだ単独エピソード貰えてないことにはやっぱり不満がある。
作中で主人公たち女学生がああした女性差別に晒されているのは史実からしてもリアルな描写なんだけど、崔香淑は女性差別と植民地差別を受けてるはずで、「女のくせに!」とは言われても「植民地民/朝鮮人のくせに!」とは言われてないのは、考証からしても明確に嘘なんだよな。これ本当に良くないと思う。植民地主義の漂白。
国が戦争に向かう中で最初に弾圧されたのは、(日本人の明確な反戦論者よりも)疑わしいとみなされた植民地出身者なので、作中でこれから戦争を描くにあたって主人公に戦争の訪れを感じさせるための事件が起きて、最初の被害者になるのが崔香淑なんだろうなぁと私は思っているけど(当たってたら褒めてね)。
この読みが当たっているなら、決定的なことが起こるまで崔香淑は主人公の側でお友達をやっているだけのキャラクターとして描かれるのかもしれない。植民地主義/民族差別を「なかったこと」にした描写がこのまま続くのではないかと毎話ヒヤヒヤする。

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最近は麺料理がマイブームなので自炊するときは麺類ばかり食べている。

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