『宝石の国』最終回 

装飾品になることが運命づけられていた宝石が、石座ではなく蓮華座に乗るの上手いなぁ。
最後、フォスは彗星(彗星=計都=釈迦)になるので、フォス一人で三世仏を全部やっているのではないか、など考えた。
三世仏については、過去仏を「阿弥陀如来」、現世仏を「釈迦如来」、未来仏を「弥勒菩薩」とするの一般的。
宝石・月人・アドミラビリス族ら群生を救済したフォスは阿弥陀如来に、途方もない未来の先で過去の救済にあずかれなかった群生を再び救済したフォスは弥勒菩薩、誰かを救う彗星になったフォスは釈迦に相当しているとする。
まずフォスは七宝を取り込み極楽浄土の荘厳さそのものとなり、そして阿弥陀如来となり全員を救済(無に送る)、その後は弥勒菩薩となり岩石生命体たちを救済(極楽浄土へ送る)し入滅、最後にフォスは極楽浄土で悠久を過ごすが、その一部は釈迦如来になる。
最後、フォスが現世(俗世)のフォスを照らしに行けたのは、釈迦(=彗星)という現世仏になったからではないか。 1/2

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『宝石の国』最終回 

ちなみに阿弥陀如来は釈迦により発見された仏であり、釈迦が現れなければ誰も阿弥陀如来の存在を知ることはできなかったとされているので、作中でフォスが阿弥陀如来になれたのはフォスの元に釈迦(彗星フォス)が現れていたからということで、時制の矛盾もない。
フォス一人が三世仏の全てに相当することで、結果的に物語が円環構造になり閉じることになっていて、これもまたマントラ的で非常に仏教思想を感じる。どにらにせよ物語が上手い。
作中のジェンダー表象や恋愛描写については批判点があることも把握・理解しているが、仏教をメインモチーフにした宗教的な作品としての上手さと面白さはめちゃくちゃ評価している……。それに、作者自身のフェティシズムというある種のセクシュアリティと信仰心(作者は仏教校出身)の折り合いをつけるような仏教テーマの物語を、日本で(2012年に開始して)やりきったという点で、クィア作品の一時代を拓いたとも思う。 2/2

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