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Yoshitugu Tuduki さんがブースト

「スピン/spin」第9号が本日発売されました。
青島は短篇小説「うたうきかい」を寄せています。
祖母の肉声をボーカロイドに作りかえる孫のお話です。やさしい装置になりたいあなたのために書きました。
よろしくお願いいたします。

Yoshitugu Tuduki さんがブースト

第45回日本SF大賞のエントリーが始まっています。
青島の作品では以下のものなどが選考対象です。
良かった作品があればぜひ応援ください。

『私は命の縷々々々々々』(星海社)
「標のない」(『零合 第2号』零合舎)
「エンジェル・メーター」(anon press)
「筒の脂」(FFEEN)

sfwj.jp/japan-sf-grand-prize/4

Yoshitugu Tuduki さんがブースト

「生命はこのまま進化を続けると環境適応に必要な多様性を、個体差の揺らぎの低下によって失い、宇宙のビッグクランチの如く総絶滅するだろう」という予測から、マッドサイエンティストたちが生物の遺伝子をいじり回し始める「あの爆発をもう一度」とか

とはいえ、それがわかっていても、当時の自分はああいう矛盾した感情を抱いていたわけで
それが二次創作者としての感覚だったのか、ファンとしての感覚だったのかは不明だけれど
なんらかの形で作品を「定義」「規定」なんでもいいが「定めたい」みたいな願望はあったと思う
これは別に、例えばキャラクターならそのキャラが実は嫌いだから、とか、何らかの感情の裏返しとして死を望むとかでも、例えば作品なら、作品への不満や、懐古主義からの「これ以上路線変更するぐらいなら終わってくれ」みたいな感覚ではないんだよね
強いて言うなら「作品やキャラクターが今後どうなるかわからないふわふわした状態であるのが恐ろしい」みたいな
やっぱり二次創作や考察がしたいファンとしての感覚なのかもしれないけれど…

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以前読んだとある対談で、お気に入りのキャラクターに「死んで欲しい」と思う心理を聞いたことがある
共感できる人がどれだけいるかわからないが、自分がハマってる作品の放送中に抱いた「作品が末永く続いて欲しいけれど、終わって欲しい」気持ちに近いのかも
連載中の漫画や、シリーズものの小説にも当てはまるけれど、続いている作品って、続いている限り色んな理由で、何らかの認識の転換を迫られるのではないか、って恐怖を覚えることもあるんだよね
公式によるちゃぶ台返しや、公式との解釈違いの発生を恐れるというか
実際、自分がハマってた作品ではそれは起きたし、起きる前から、「ファンとして、ずっと続いて欲しい一方で、考察や二次創作をしたいファンとしては、お話が終わってこの話を『定義』させて欲しい」みたいな
うまく言えないけれど
理屈としておかしいのはわかっていて、例えばお話が終わって、これ以上未来が描かれない作品、あるいは、死んでしまってこれ以上登場しないキャラクターでも、過去に戻って新しい設定やお話を付け足すことはできるんだよね
だから、この恐怖を拭うことはできないし、逆に言えば心配する必要もない

自分は擬人化大好きなのだが、一方で、人ではなく、自然に由来する超常の存在の本質が、人に似た姿をしていたら、「なんで?」と思ってしまったりすることはたまにある
ただ、それが「人が認識できる姿」とか「人の由来となった姿」とか「人に向けた姿」とかだったら納得がいったりする(割とめんどくさい)

神道や日本の民間信仰の神の概念が適用されるファンタジーで、神が人を由来とするモノであれば、忘れ去られ放置されていくことは神としての死を意味する一方で、神が自然を由来にした、例えば自然の存在を縛り付けて神にしたモノとかなら、自然に還ることは解放されることと同義ではないかと思ったり

生体形質転換技術によって、人体に動物の形態を取り入れた獣人と呼ばれる存在になる「獣化」が一般化した世界
獣化措置を受けた人々は、可動施術蛹、通称「キグルミ」にて、6日間のモラトリアム、ヒトでも獣人でもない状態を過ごす
一生に一度しか味わえない「キグルミ」の感覚に翻弄される人々
あるものは獣化後もキグルミの感覚の虜になり、あるものは一度だけの感覚を満喫する
キグルミに入って、獣人になるまで、それは6日間だけのケモ休み…

ふと思ったが、着ぐるみ着て獣化ってタイプの亜種として、「獣化装置が着ぐるみ型」というのはいいかもしれない
生活における支障を少なく、尚且つ体性感覚などを徐々に馴らしながら、ある程度ゆっくり獣化させていくみたいな

サメデターなる映画、試しに本編をちょっと見てみたら海中映像が
プロが撮った感じではないので実際に近隣で潜って撮ったものではなかろうか
夕日のグリーンフラッシュの後のシーンだけれど、砂地の上で魚が多少群れている
たぶん大西洋岸なので、魚を同定
映像が不鮮明な上に、変なエフェクトもかかっているので不明瞭だったが、尾鰭が二叉し、背中から尾鰭下葉にかけて1本の黒色帯が走るのが見えた
ちょっと時間がかかったが、バージャックCaranx ruberという大西洋産のアジ科魚類だった
数匹の群れを作るっぽい

ちょっと思ったけれど、動物向け再生医療と異種移植と、あと培養肉の需要増とかが組み合わされば、例えばブタの食肉目的の飼育が培養肉に置き換わってできなくなり、異種移植用のブタ細胞を残して、飼育されるブタが消える、みたいな現象も、創作の題材としてはできるのかもしれない
それこそ枕目さんの「フォルカスの倫理的な死」とか溝渕久美子先生の「神の豚」と似たシチュエーションではあるが

そういえばこの前行った葛西臨海水族園のカリブ海水槽
嬉しくも不服なことに何故かここの前だけガラガラだったので堪能してきた
ちょうど給餌の時間らしく、上からレタスが降ってきた
(藻類食の種も多いので、代替としてレタスやキャベツをあげることが多いらしい)
よく見たらハイハットまでいますね 最高ですね

ミズヒキイカ属の動画探してたらNOAAがいい動画上げてたので共有します
生きた個体は外套膜が透明なのね
oceanexplorer.noaa.gov/video_p

ホヤを食べたことはないけれど、ホヤが我々脊椎動物に非常に近いことと、それなのに一部は恐らく水平伝播によって植物が産生するセルロースを生成しその体に使っているというのはよく聞く

Yoshitugu Tuduki さんがブースト

というわけで今日も旬のうまい魚を知る本。トビウオって500mも飛べるんだ!私は100m泳ぐので精一杯なのに…………とか思って読み進め、出てきたのがホヤ。ホヤ食べたことある人いるかな?本の中でも、ホヤにハマる人と二度と食べない人の確率は半々くらいって言ってて、一度食べてみたいような、知らないままでいたいような…………という気持ちになっている。いつか、機会があったら、かな…………(食べないやつだこれ

ちょっと先日読んだ某SF(ネタバレになるのでタイトルは伏せます)を読んで思ったのだが
脳をインプラントやナノマシンでSF的に電脳化する場合、元々あった(シナプス間の化学物質伝達含む)回路を邪魔しないように新設回路を配置することで、増設もできるってなると
例えば事故などで脳の一部を物理的あるいは機能的に失った人物に同様の処置を施せば、残った脳と増設回路を合わせて、事故前と同等レベルの脳機能を取り戻したり、あるいは脳そのものをコンパクト化させることもできるのでは
ってネタが思いついた

6500万年「後」の海で、鳥類を起源とする海生知的生物トゥアイの1羽となり、襲いかかって来る強敵を倒しながら種族の危機を救うために冒険するSteamで発売予定のアクションゲーム「グレイシャード」
ストーリートレイラーが出てます
日本語フルボイスだそうで

youtube.com/watch?si=RvXvUV1oB

一周回って色んな起源のケモが一つの世界に集結するような妄想もしたくなったけれど際限なくなりそうだし、なんか雰囲気が変わってるから別ジャンルと認識したほうがいいかもしれない
人間が獣化した未来のケモと人間が現れなかった世界のケモとケモ宇宙人と人に作製されたケモと普通に異世界のケモなどが一同に介するファンタジー
なんかこう、四次元以上の次元に渦ができていて独立した擬似的な四次元を形成し、それに条件を満たす空間(ケモワールド)が引き寄せられているみたいな

稲田さんの「喪われた感情のしずく」、作られた感情と自然に生まれる感情のどっちが自分の感情って問題が主題なのかな~って思ってたらその辺の主題を盛り込みつつとんでもない話にもっていかれたので、昼間読んだ時は本当に驚いてしまった

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