東海村の臨界事故の時、実はうちの夫が比較的近い地域に単身赴任してたんですよね。たまたま夜中にテレビ点けたら、臨界事故が起きたってニュースやってて、何せ臨界事故だから、どのくらいの規模か全然分からないし、目に見えないし、素人ながらかなり心配した。だから、何となく人ごとではない事故でした。 ちょっと話が逸れるけど、今、鈴木邦弘さんがトゥートで紹介してくれてたvimeo観てて思ったんですけど、ほんの二十何年か前の動画(テレビ番組?)だけど、まだあの頃は人1人の死を今よりはもっとずっと深刻に受け止めて、共有できる感性が日本に残っていたような気がして、この20年の間の日本の人心の荒廃ぶりがしんどいなとも思ったりもして…事故の話とは関係ないですけど、いろんなことを思って観てます。
今日は、東海村で起きたJCO臨界事故で被曝した大内さんの命日だという。被曝してから八十数日、大内さんは生きたとされているが、目も鼻も陰茎さえも溶けて、実際はほぼ1ヶ月で死んでいたと思う(脳だけが生きていたと言われる)。国の威信をかけて、無理やり3ヶ月近くも生かしただけだ。
この時、収束作業にあたった作業員は18人。彼らは今、どうなっているのか。今も生きているのか。
福島第一原発事故後、2013年に吉田所長は癌で亡くなった。当時、収束作業にあたり大量に被曝した作業員は、今どうしているのだろう。1Fの上空からヘリで海水を投入した自衛隊員は、高度が低すぎた為大量に被曝したという。その自衛隊員の居場所は今も不明だ。
「原発事故による急性被曝で亡くなった人は1人もいない」とまことしやかに言われるが、果たしてそうなのだろうか。
『Tokaimura JCO nuclear accident』
https://vimeo.com/114331256
芸能人の訃報が続く中で、ワクチンだ何だと騒ぐ人々が多いが、その前にまず、11年前の3.11を忘れるなと。放射性物質が東日本一帯にばら撒かれてるし、実際にガンが増えてるじゃないか。
ミニ絵本『はかないもの』より⑤(終)
ずっとここにいた
ずっと 11年だよ
ずっと待ち続けて
たくさん倒れた
たくさん苦しんだ 人も 動物も
そして 別の世界が生まれた
人のいない 別世界
そんな別世界に また人がやってきた
わがまま 勝手 弱いくせに 強がって
みているよ 山も川も海も空も
みられているよ
(大熊町立大野小学校にて)
ミニ絵本『はかないもの』より②
今また人が帰り
思いでもろとも 建てものを解体し
木を伐採し 草を刈りとり
土をひっくり返し 生きものを殺し
それを「復興」と呼ぶ
モノいわぬものたちは
ずっとみつめている
ずっと 私たちをみつめている
(大熊町下野上大野にて)
2019年11月10日、浪江町権現堂。避難指示解除から2年半以上が過ぎても、浪江駅前にはまだまだこんな廃墟が残っていた。今は片っ端から解体され、駅東口では再開発計画も持ち上がっている。全てがなかったことにされる前に、記録していきたい。
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2020年6月8日、双葉町山田。帰還困難区域。道路上は除染されており、1.0μSv/h程度。しかしバリケードの脇に立つだけで、線量計は一気に3.0μSv/h程度まで上がる。尤も、このエリアではこれは低い数値だ。
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2020年10月25日、双葉町郡山。中間貯蔵施設エリア。黒い袋に詰め込まれたかつての福島県民の財産は、報道するだけで「風評加害」と罵られる。
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『まつろわぬ民2022 更地のうた』を見てから、スタッフのように後片付けを手伝い、23時半に帰ってくると、自宅最寄駅の出口に「日本維新の会」と書かれたパネルが十数枚置き去りにされていた。裏には吉村と馬場のアップ。数日前、駅前で街宣していた維新の会さいたま市議会議員立候補者が放置していったようだ。
これはアピールのために意図的に置き去りにして行ったのか? なぜJRはこれを放置してるのか? 自民も立憲も共産も、街宣が終わったらみんな片付けるのに、何をやってるんだ?
明らかにおかしいと思い、全部ひとまとめにして隅っこに置いてきた。これは、意図的にやったとしか思えない。維新の会はこんなことを平気でやる。こいつらには絶対に投票してはいけない。
『FUKUSHIMA Memory and Records 20221015/16.』
2022年10月15、16日の双葉、富岡の記録。7分56秒ほどにまとめてみました。
三脚を持って歩くのは大変で、いつもより距離も歩けず帰りは背中の激しい痛みに襲われましたが、それなりのものは出来ました。鳥の声、蟲の声、そして線量計のアラームに耳を澄ましてくれたらと思います。
「復興」とは何か。少しでも考える一助になれば。
2020年10月25日、福島第一原発。ここからわずか4km先に原子力災害伝承館があり、そこにたくさんの子供たちが修学旅行で訪れる。双葉町民だった伝承館職員に「いつまた地震や津波が起きるかわからない。こんな原発のそばで働くことが怖くないですか」と問うと、「そりゃ怖いですよ」と表情を歪ませた。
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2020年6月8日、双葉町郡山。中間貯蔵施設エリアの海岸より、1km先の1Fを臨む。今もここからは大量の放射性物質が吐き出されている。
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2020年3月15日、双葉町長塚。東電新双葉社宅。どの双葉町民よりもいち早く情報を得てすぐに逃げた人たちの家。2022年8月30日避難指示解除。
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イラストレーター、絵本作家、介護福祉士。福島県双葉郡を主に徒歩で取材しています。延べ480km以上を踏破。東京新聞『見えない放射能を描く→https://note.com/niq/m/mad4aa8cf1bdc 絵本『いぬとふるさと』(SLA全国学校図書館協議会 小学校中学年の部選定図書/旬報社)→https://www.junposha.com/book/b557170.html