『遠き故郷』

〜原発事故から12年が経ち、双葉町は政府の方針によって観光地へと奇妙な変貌を遂げつつある。しかし、この地域は未だ放射能汚染地帯であり、観光地ではない。

2023年/257×364mm/アクリルガッシュ/画用紙

behance.net/gallery/185608603/

2022年1月22日、大熊町下野上大野。絶賛解体中。財産は放射性廃棄物となり、中間貯蔵施設へ。消される前に、記録と記憶に残す。

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2022年1月22日、大熊町図書館。絶賛除染中。大野駅周辺エリアは全体的に線量が高く、この年の6月30日の避難指示解除は、拙速に過ぎた。

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2022年1月23日、大熊町文化センター。周辺はおおよそ1.0μSv/h前後。今も11年前のままで姿を止めている。こうした懐かしい風景もいずれは解体され、記憶から消えていく。

【2023年9月4日付埼玉新聞社会面】

先月25日の講演会の様子が、今月4日の埼玉新聞社会面に掲載されました。改めてスキャンしたものをアップします。記事としては、一部誤解を生む箇所がありますが、そこは講演の拙さ故のものとして、今後の反省材料としたいと思います。杉野さん、ありがとうございました。

【再掲】
東京新聞長期連載『ふくしまの10年』より『見えない放射能を描く』(2020年6月30日〜7月11日/全10回)

(10)リスクだけが残される
tokyo-np.co.jp/article/41785

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FUKUSHIMA Memory and Records 20230610/11.

youtu.be/1eMPSUoKBR8?si=eYfPUd

2023年6月10、11日の大熊、双葉の記録。10日は、大野駅から双葉駅まで、六国を歩きました。11日は、雨が降った影響もあって、限定的な場所しか周ってません。
原発事故被災地の復興情報は溢れても、そうでない場所の情報はどうしても限定的なものになります。しかし現実は、「復興してない場所」の方が圧倒的に多いのです。

「復興」とは何か。少しでも考える一助になれば。

【再掲】
東京新聞長期連載『ふくしまの10年』より『見えない放射能を描く』(2020年6月30日〜7月11日/全10回)

(9)理不尽も立ちはだかる
tokyo-np.co.jp/article/41528

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【おれたちの伝承館】

めでたく2023年7月12日(避難指示解除から7年)、南相馬市小高区ににオープンしました。天井には山内若菜さん、左は豊田直己さん、右は大塚久さんと錚々たるメンツに囲まれて、僕の作品が展示されています。僕の物販関係は遅れていますが、もうしばらくお待ちください。

【再掲】
東京新聞長期連載『ふくしまの10年』より『見えない放射能を描く』(2020年6月30日〜7月11日/全10回)

(8)ずさん管理で川に流出
tokyo-np.co.jp/article/41279

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2019年4月6日の浪江町の記録。今はなき大堀小学校、幼稚園。東京五輪直前に訳もなく解体を急ぎ、今や荒野に囲まれた小さな「ポケットパーク」に少年像が寂しく残るのみ。

fukushimaphoto.myportfolio.com

2019年4月5日の富岡町の記録。王塚神社が消えていたのには驚いたが、今は再建されているようで安心した。

宝泉寺の桜はもちろん、野良桜が美しい。人が作った有名な桜並木よりも、こちらの方が自然で親しみが持てる。

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2018年12月9日の浪江町の記録。

浪江には、飛び地のような帰還困難区域がある。その地域の住民はあえて除染を拒否し、避難指示解除されることを望まなかった。その理由は何故か。

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2017年11月28日の双葉町の記録。今や体育館も正福寺もまどか保育園も解体され、双葉駅は改築された。原子力災害伝承館が建てられた場所は、当時は町内の「放射性廃棄物」を集めて分別する場所だった。全てが懐かしい。

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