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なんとなく
vita brevis, ars longa(人生は短く、学芸は長い)
を思い出す。

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この時期クウィンティリアヌスは近しい人たちを亡くしており、著述の仕事も停滞しがちであったというが、以上のように考えて自らを鼓舞していたものらしい。

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だが我々は生きていて、そして何か生きることへの指針が求められるが、学問を逆境に対する唯一の慰めと考えた賢人たちに信が置かれるべきだろう。
クウィンティリアヌス、「弁論家の教育」6.1.14

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Sed vivimus et aliqua vivendi ratio quaerenda est, credendumque doctissimis hominibus, qui unicum adversorum solacium litteras putaverunt.
Quintilianus, Institutio Oratoria 6.1.14

Quo usque tandem abutere, Catilina, patientia nostra?
(Cicero, In Catilinam Prima)
どこまで濫用するのか、カティリーナよ、我々の忍耐を?
(キケロー、カティリーナ弾劾 第1)

これを見つけたのは副詞や比較級の話題の中ではなくて、quodの従属文の用例の中にたまたま見つけたのだけど。

eoque ad te tardius scripsi
という文を見つけたが、このtardiusという副詞比較級(より遅れて)も、述語的に訳した方が良いタイプのやつかな。
「それであなたに一層遅れて(手紙を)書いた」→「それであなたに(手紙を)書くのが一層遅れた」
みたいな。

memoroの動形容詞のmemorandum, -aがやはり「思い出されるべきもの」の意で、現在はこれが「メモ」と呼ばれていたりする。

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元は動詞のadmoneoで「思い出させる、気づかせる」なので、memoroという動詞と同じようなものだ。

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varro の中に(動名詞の方かもしれないが多分、動形容詞の)ammonendumというのが出てきて一瞬戸惑ったが、admonendum(思い出させるべき)の異形だった。

perseusでnubilo調べるとnubilusの与格とか奪格しか出てこないね…

雄山閣の邦訳本はLOEBの英訳部分がベースだったかしら……

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これはOLDの用例だけど、LOEBの本文は微妙に違う。
nubilante sit, si attollatur,の部分が
…nubilantes attollat…になってる。

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博物誌の37巻94の紅玉の項目で、石の表面が曇るという方の用例があるね…。
ut (carbunculus) positus extremo uisu nubilante sit, si attollatur, exardescente fulgore
(縁が曇っている紅玉が置かれる時、燃え上がる輝きによって、それが高められるようなものがよい)
…かな?

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もっとも受動態の形で非人称的に使う例はあるようだ。
ubi nubilabitur …sub tecto ponito
(曇っている時には…覆いの下に置くべし)
みたいな例が辞書に出ていた。Catoの農業論らしい。

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動詞pluit(雨が降る)やning(u)it(雪が降る)とかの自然現象を非人称的に使うわりに、nubilat(曇る)は見かけないと思うが、これは天気だけじゃなくて物の表面が汚れて曇るみたいな時にも使うからかもしれない。

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