日本でも最近よく見るようになった企業のサイトのチャットbot、あれもいたずら心にあふれる客(人間)がAIに変な質問をさせないようにするために(変な質問が来たら答えないようにさせるために)、AIに学習させる必要があるのだが、何がいけない質問なのかを判断するのは最終的には人間なのだそうだ。
で、この(エログロ差別etcの)判断がコンテンツモデレーション同様しんどい作業なのだが、日本ではそれを格安で雇える障害者にやらせているのだそうだ。英語を使うグローバル企業では途上国に外注している汚れ仕事を、日本では障害者にやらせている。
技術と社会のこういう側面をちゃんと考えられる「経済学者」が日本にはいるんだろうか。
「同性愛嫌悪」と「反共産主義」
R.バーンスタインやJ.ロビンズの例でもわかるように、1940年-50年代の英米では、「同性愛嫌悪」と「反共産主義」が結合していました。
米国では共産党員と「シンパ」も双方、「communist」となります。
必要であれば、ニューディール派(社会民主主義派)にも「共産主義」のレッテルを貼ることは普通に行われました。
この、同性愛嫌悪と反共の結合を示す言葉が「Homintern」です。
一応補足すると、これは「コミンテルン」と「同性愛」の連結造語語です。
R.バーンスタインは、私的な場で「芸術家はみなhomintern」(この場合は肯定的な意味)と述べたとも言われています。
この「同性愛嫌悪」は現在の英米では劇的に変化しましたけれども、1950年代の英国では「同性愛」はまだ「犯罪」でした。
WWII中ナチスの暗号「エニグマ」解読に主要な役割を果し、また英国ではAIの父とされるA.チューリングは、1952年同性愛「罪」で逮捕され、強制的にホルモン治療を施された後、52年自殺します。
チューリングがケンブリッジのキングスカレッジ時代からゲイであることは、周囲の人間は勿論知っていましたし、ケンブリッジでは特に問題とされませんでした。
同じ論理が「公害」の場合にもはっきりと表れます。
例えば、水俣病の際チッソ労組は、徹底的に「被害者」に敵対的でした。
いわば「チッソ」という「イエ」の構成員であることが、「労働者」であること、「ヒトとしての倫理」よりも優先した、とも言えます。
イタイイタイ病の加害企業は三井金属、新潟水俣病は昭和電工、そして四日市喘息は、中部電力、三菱化成などが加害企業。いずれも日本を代表する大企業です。
どの例でも当該労組は「被害者」側でなく、主君である「企業」への忠誠を選びます。
逆に1963年、三島・沼津に四日市を上回る石油コンビナート建設が発表された際、住民と連携して反対、ついに撤回へと追い込んだのは、自治体労働組合であり、それに協力したのが、同年公害研究会を立ち上げた宮本憲一、都留重人を中心にした研究者です。
とすると、自民党・大企業からすると、公共部門労組は「邪魔」な存在となります。
1980年代から粘り強く公共部門+日教組、自治労が攻撃されつつづけ、今や「瀕死」の状態になっているのは、このような背景があります。
ちなみに日教組は文科省との関係では「とっくの昔」に「降伏」しています。
今は、経産省・財務省から教育部門が丸ごと攻撃されている段階です。
(続きは明日以降)
新婦人といえばコンビニのエロ本撤去なんかもセブンイレブンの本社に要請しに行って、表現の自由があるので…って渋られて、全国各地で地元のコンビニオーナーに細かく申し入れを行って、懇談を進めていたらセイコーマートが全店で撤去の決断をして、各地で撤去するコンビニが増えていって、という段階がいちおうきっちりあるのだけど「ある日突然なくなった」「オリンピックがあるからだ」みたいな話に回収されてフェミマガジンエトセトラの特集「コンビニからエロ本がなくなる日」すら全国の草の根の活動は総スルーでいきなり大手コンビニが決断した扱いになっていて「ふあー、こうやって女性史って無いものになっていくのだな」と思いました。
読む政治:昭恵さんの打診 安倍か岸か…揺れた後継 消えた安倍家/2 | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20230206/k00/00m/010/219000c
記事中ほんとうに1ミリも「世襲批判」の観点がなくて草も生えない。政治部脳のトンチキをメディアから一掃するのが本邦の政治を少しでもマトモなものにする第一歩なのかもしれんなあ。
まあ今更もう手遅れなんやろけども
もうほんとさぁ、戦争とかしてる場合じゃないよ。全世界が環境問題解決に全振りすべき時なのに。右翼に権力持たせないようにしないと、地球持たないよ…。
“ウクライナ政府によると、燃料や兵器の使用、火災、避難民の移動など、この戦争による直接・間接的な温室効果ガス排出量は、二酸化炭素(CO2)換算でおよそ8300万トンと見積もられる。北欧スウェーデンの年間排出量の2倍を上回る”
“裁判の結論は「(男性から受けた脅迫について)警察や周囲に相談していれば、事件は避けられた」”
って酷いな。警察に相談していても殺されるケースがたくさんあるのに😠
『女性はなぜ不倫相手を包丁で刺したのか SNSで複雑化する精神的DV』
https://mainichi.jp/articles/20230207/k00/00m/040/343000c
汚染水を放出する前からこのザマだよ。これ、「福島県のニュース」じゃなくて、全国ニュースだよね。どうしてこう、矮小化したがるかな。
水揚げされたスズキから基準超える放射性物質検出 出荷停止に
https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20230207/6050021695.html
(記事リンクを貼り直して再掲)
日本の腐ったシステムの典型。日本証券金融のトップは70年間も日銀の天下り。一部の人が「甘い汁」を吸い続ける自民党政権と同じ。ところが、一般の労働者対しては、市場原理を強調する竹中平蔵みたいなのが跋扈し、非正規雇用を増やしていった。結婚する人は減り、子を産む人も減った。そのうち誰もいなくなる。
日本証券金融、臨時総会 天下り実態調査求める株主提案を否決 - 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20230207/k00/00m/020/122000c
「社会思想史」というジャンル
従って、「社会思想史」というジャンルは経済学部のマルクス主義(特に市民社会派)の人たちが中心となり設立された、という意味で極めて「ユニーク」なもの。
「政治思想史」、「哲学史」、そして「社会学史」とも異なり、欧米の「思想史 history of ideas」とも異なります。
特徴としては、現在への批判的介入の視点、社会科学と歴史学との接点を探る、などが挙げられます。
例えば「政治思想史」は基本18世紀までが主な研究対象。
何故なら、アレントが問題にしたように、「政治」と区別された「社会」という概念が前景化するのは19世紀になってからだからです。
「政治」と区別された「社会」の前景化、これは勿論資本主義の全面的な展開と関係があります。
ですから、マルクス主義の方法論+資本主義への批判的視座を備えた「社会思想史」が19世紀・20世を分析・叙述するには適合的なのです。
逆に、この二つの特徴を捨て去った「社会思想史」には、存立理由がなくなります。
元来、「社会思想史」は経済学部の科目でした。しかし、日本の経済学の急速な新古典派化(新自由主義化)によって、現在、マルクス派はほぼ一掃されました。
今や「絶滅危惧種」といってよいでしょう。
追悼:水田洋さん(1919-2023)
「市民社会派」マルクス主義の最後の一人であった水田洋さんが逝去された。
水田さんは、「市民社会と社会主義」で知られる平田清明(1922生)とともに、高島善哉(1904生)ゼミ出身。三人は日本の「社会思想史」の草分けとも言える「社会思想史概論」(岩波)を1962年に共著として出版。
この「社会思想史」、海外にはない「ユニーク」なジャンル。
理由の一つは、マルクス主義を大学で本格的に研究できるのは、当時は日本だけだったこと。
西ドイツでは事実上禁止。(フランクフルト学派は奇妙な例外。一般には1968年まではマルクスの著作は入手困難。)
米ではレッド・パージでニューディール左派的な研究者も放逐された。
英でも、すでに研究職についていたホブズボームなどを除いては1960年代まで門は閉ざされる。(例えばE.P.トムソン)
水田さんが翻訳者でもあり、友人でもあったホブズボームも、長年所謂「万年講師」。オックスフォード、ケンブリッジへの道は保守派の歴史家に阻止された。
ホブズボームについてご関心のある方は、2021年の拙稿「越境する世界史家」(「世界」11,12月号)をご笑覧下さい。
英米では経済学部ではマルクス主義は現在でも扱いません。
官僚や政界の「オフレコ下」としか思えないような場面の情報が大量にここのところ出てきていることに注目すべきだと私は思います。オフレコ下でメディアの人に聞いたところでは(笑)、安倍政権以降、報道機関への霞ヶ関からのリークが急増しているそうです。
絶望ばかりではないと思います。霞ヶ関にも絶望は満ちており、変えようとする人はハンパなくいるはずです。そこに希望を持ちたいです。
「大本営、80年ぶりに復活」が正しい見出し。
西部邁と「まともな保守」
昨日、首相秘書官の性的マイノリティへの差別発言に関連して、本筋ではないものの、西部邁に言及しました。
西部邁、「反米保守」という点で、一水会や中島岳志などの「まともな保守」を論壇へプロデュースする大きな役割を果した、と言えます。
同時に自称「まともな保守」であるからには、当然家族規範・性規範に関しても「まともな保守」。
私は、数回に渡り、この「まともな保守」のメディアへの「異常」とも言える露出について批判してきました。
さて、問題は、「週刊金曜日」などの「市民派」系メディアも、この「まともな保守」言説に長らく依存傾向にあること。まあ、中島岳志が編集委員であるのだから、当然ですけれども。
生活クラブ生協の「本の花束」などでも、ほとんど毎回のように中島岳志と天皇崇拝者・吉本ファン(隆明の方)内田樹が登場するのは、ほんとにうんざりした。
さらなる問題は『批評空間』が西部、そして詐欺師の福田和也を頻繁に登場させたこと。
福田和也、「百人の労働者の命より一杯の極上のワインの方が価値がある」と言って見せる「愚か者」。
彼に「文化資本」を与えた点だけでも浅田彰、十分に批判に値します。まさに「ポストモダニズム」と詐欺「極右」の癒着とはこのこと。
うーん…。これ。防犯カメラの映像が息子だと親は本当に気づかなかったんだろうか。山上のある種「模倣犯」(動機は逆かも、だけど)の可能性もある気がする。遺書も、遺族が捨てたり改竄したりする時間があるよね。このままお蔵入りなの?軽々しく邪推すべきではないのは分かっているけれど。なんだかモヤる。
2022年11月29日、宮台氏襲撃。
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一週間後(12月5日頃?)、リフォーム業者が容疑者の家(別宅。8年くらい前までエホバの証人の集会所)に2階の雨戸の戸袋に鉄板のようなものを取りつけ。
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12月12日初めて防犯カメラの映像が公開された頃から「食事をとらなくなるなど様子が変わった」(家族談)。
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12月16日に死亡(自殺とみられる)。
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2023年1月30日、警視庁により防犯カメラに写っていた自転車の購入者が判明。自宅などを調べた結果、男の死亡が確認されたほか、自転車などが見つかる。
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2月1日、警視庁が自宅を捜索。
宮台氏、午前9時ごろに容疑者が死亡したと連絡を受ける。
遺書も見つかるが、事件についての記述はない。「家族や知り合いの方にご迷惑をおかけしました」などと記述。
母親は、エホバの証人の信者。
重度知的障害のある子どもがいます。福祉(公助)が充実した国に日本がなることを切望しています。
右翼思想のコアに女性蔑視があることに気づいてから、女性差別が関心の中心です。