一週間あっという間だった。やることがあった。昨年、ちょっと暇だなあと思う瞬間があったのだけど、あれはなんだったんだと思った。勘違いだったのかなと疑ったが、まあやることはまあまあ増えた。
文章校正で、どの漢字を開く(ひらがなにする)かは、ある程度ルールがある。漢字が好きなので、極力閉じるルールを好き勝手に採用していたのだけど、最近はすこしだけ、開く側に気持ちを寄せている。滑らかに見える文章のよさも認識した。
副詞、形式名詞、補助動詞は、漢字にしなくても気持ちよく思える習慣は身についた。
・副詞(少し、大変、時々)
・形式名詞(その上で、という時)
・補助動詞(して行く、して貰う)
まあ、癖で、ふつうに漢字にしてしまっているときもあるけど。
読書中にメモをとるようにしてみた。昔に同じことをやって廃れた習慣だった気もする。めんどうだけど記憶への定着はまちがいなくこちらのほうがよい。思い出せる感触が強め。思い出せて楽しいという感覚も出せる。読書中の楽しさと読んだあとの楽しさ、どちらを優先するか(速度も落ちるので読める量の問題)、優先順位どうしようかな。手間もかかるし。
『紅蓮戦記』2巻が出たが1巻の記憶が消えていた。ので読みなおしを始めた。
これめっちゃおもしろい…
『世界は終わっても生きるって楽しい 1 (ガルドコミックス)』(鳥取砂丘 著) https://a.co/czyW3gG
「多くの命が奪われる場面にあって、もっとも傷つきやすい人たちが、どんな表情を見せているか、子どもはどんな表情を見せているか。そこを正確に淡々と伝えるメディアならば、 SNSだろうと、テレビだろうと信用できるものです。」
—『プロパガンダ戦争 分断される世界とメディア (集英社新書)』内藤正典著
https://a.co/8bRFKzG
内藤先生のこの言葉は、本当に刺さった。勝手に邪推するなら、研究者、学者という、客観的な事実やデータを尊重すべき立場からこうした発言をすることには、きっと、相当な勇気と覚悟が必要だったのではないだろうか。
2023/1/19(木)
夜いつものように駅から歩いているとスーパーの駐車場にパトカーが赤ランプつけて止まってた、何か事件かもと心配になる。食事制限して4日目。1日500g体重が減っている。太ってるので痩せてるよりは体重、減ってくと思う。高血圧や肝脂肪とかになってるので治ればいいな。家に帰り鼻水出たからティッシュで拭いたら鼻血だった。疲れてるのかも。来週の水曜、有休を取ることにし上司の許可を頂いた、午前中病院行ってあと何をしようか。お台場とか行ってガンプラでも買おうかな。それとも新橋行ってタミヤによりラジコンを買ってみたり。なんて、想像はお金かからない、自由だ。実際お金はそんなに無く家でゲームがいいところだろう。そう言えばゲームは買うんだけどもやってなかったりする。もったいない。風呂に入る。寒さで震え上がっていたので風呂はありがたい。風呂から上がると眠くなる。しばらくしたら寝ようと思う。この日記、スマホから書いている。なるべくPCから描きたく思ってるけどたまにはいいだろう。プログラムでもするかと思いPC新調したけども日記しか使ってない。これももったいない。起きたら元気だといいな。#日記
Mastodonで日記を書く習慣、そして日記タグで遊ぶ(読む)のが最近はとても楽しい。ブログが楽しい、TwitterやMastodonが楽しい、とかよりも範囲が狭くてそこもなかなかよいところだ。「日記を読んでもらえる幸せ」という気持ちのフォーカスの狭さもかなりよい。
社会にのっぺりへばりついた価値観のようなものを持たないようにしたい(というか、持つとしてもそれも一視点としておきたい)と、昔は思っていたけど、その影響がおおきくなってきているなとは思う。
油断するとすぐそのあたりに乗っかる。まわりのひとがその土台の上で話していることが多いから(それをよく耳にしているから)、それを土台にする癖が自分も自然と持ってしまっている感じだ。ここの改善のことを昨日に引き続き考えていた。最近のテーマだな~。
『友達の後ろで君とこっそり手を繋ぐ。誰にも言えない恋をする』の1巻を読み終えた。思った方向性と違ってよかった。これはほどほどの巻数で綺麗に終わるパターンかなー。続けて欲しい感じもあるけど。変に長引くよりよいこともあるからなあ。ドロドロと見せかけてそういうことにしていきたいわけでもなさそうなところがよい。たぶん話作りが上手い書き手なんだと想像する。
若い頃もっと元気だったのは視野が狭かったからだ。最近すこしげんなりして弱気になっているのはいろいろな事柄をより知ったからだ。精神とか身体の強弱の変化で考えたくなるけど情報量の影響おおきそうだなとは考える。若い頃とくらべて弱ったという考えかたはあやうそう。
もうちょっと前向きで快活な気持ちになれる理屈を最近は再構築しようと頑張っている感じがある。
昔はもうちょっと「なんでも解釈しだいである」ということを思えていたはずなのだけど、情報量が増えた結果、解釈コントロールにまわすリソースというかエネルギーを減らしてしまっている気がする。
暗いところばっかり見てるのもなんかそれが癖になっちゃうんだよなー。ここのところそれも続いているのでなんとか制御したい。
人真似が問題かなあ。無意識な人真似ってものすごくしている気がする。朱に交われば赤くなるじゃないけど、まわりの生き様には影響を受ける(同じ挙動を取るようになってしまう)。思った以上にまわりの人たちは暗めの振る舞いやことばを出していて、それをそのまま、「自分も同じように出すよう振る舞ってしまっている」気がしてきた。立派で優秀そうな人がやっているとなおさらだ。権威的な人って希望的に見えるけど逆な気がする
睡眠不足を続けてしまった気がする。元気も失われるのでさすがに意識的に寝るようにしたい。文字数ぎりぎりまで書こうと基本思って書いているけどつらくなるならやめてもよい。ただ、つらいのをどれくらい我慢するかは難しい。なにがつらいのかも実はよくわからない。仕事がつらいとか思うことは多々あるけど、ほんとうに無一文ギリギリになって空腹も限界、といった中で、今の仕事を与えられたら歓喜してやるはずなんだよな。この手の想定はする。突拍子もないシミュレーションもあるけど、これくらいのシミュレーションは突拍子もないとは言えない気もするし(フィクションに足を踏み入れる思考実験よりはまだ現実的)。コテンラジオなどの歴史的な話を聞いていて、奴隷制や、シンプルに戦争に見舞われた人々がいたことを聞いたりして、それを比較して考えてしまうところもある。現代日本にいるだけで(だいぶ微妙になりつつある感じにはなっているけど)十分幸福であるというのは未だにあると思う。そういうのって比べるものではないと言ってしまうのは簡単だけど、むしろ比べるものなんじゃないのという視点も想像できる。そしてこういう話を書いたのは今日もちょっと嫌な空気があったからだ。職場~。安定しないな~。まあいいけども
まもなく日が変わる。日が変わるという概念も極めて自然に受け容れるようになってしまったけど、最初は謎だったんじゃないかなあ。夜が来て朝が来るだけでなにが変わってるんだという視点のほうがやや好きだ。まあでも人間は区切りが好きなので、区切れそうなところは区切っておきたい。まあそれはそれで。
週末にすこし模様替えをしたので月曜日の可燃ゴミが多かった。早めに起きて出しに行った。前に住んでいたところは深夜に出してもよい場所だったので、今は不便になっている(引っ越した)。通勤距離が長くなって睡眠を比較すると削っているところはある。睡眠時間が寿命に直結すると最近は思えているので、ここの調整には悩む。世の中けっこう楽しいので眠る時間がもったいない派だ。
数日前に読み始めたVTuberをテーマにした人気WEB小説、すうっと飽きてきてしまった。同じことをずっと繰り返しているだけだ、と感じてしまったせいだ。人間関係が進まない(変わらない)ところに感じていそうだ。ハラハラを求めるか否かという好みの話はあるけど、同じ感じかな?少し違う気もする。
日常系的なゆったり感、苦手なところもあるけど、気に入るものもある。そういった細かな違いにはたいへん興味が引かれる。
「最後の宇宙船」田中空
いいねいいね。
朝からいいSFマンガを読みました。
土曜日。二度寝も考えたけど結局実現できず7時半ごろ起きた。曇りからの小雨。
昨日の仕事では面談が思ったより盛り上がってやや残業になった。残業しない形の対応もできたと思うのでコントロールミスだ。帰り際にばたばたしてやり残しがある。土曜か日曜のうちに少し対応しておきたい。読んでおいたほうがよさそうな資料の送付もあったので、これも目を通せるなら通したほうがよいなあ。なんとなくここは頑張っておきたいなという感じがある。普通に楽しそうだからというのはありそう。
テレビが新番組に切り替わる時期になった。Amazonビデオに並んだ新作アニメを眺めた。異世界転生の多さに驚く。異世界転生モノは、面白いものも多々あって、好きになりつつはある。あれだけ量があれば玉石公開で良質なものも集まってくるだろう(良いものがアニメ化もされるだろう)と思うけど、右を見ても左を見てもみたいになってくると複雑な気持ちにはなる。単純にバリエーションあったほうが楽しそうに見える。区別するのもたいへんだし。新番組だと原作が好きなので「リーゼロッテ~」を楽しみにしているかな。
ドンブラザーズの「トキかけなぞかけ」回を観た。よかった。未来設定は外伝とかでも活かせそうで期待したい。
カロリーメイトバニラ味がわりと最近出た。妙に好きだ。バニラ味を成立させるために細かい食感や味つけの調整をしてそうな感じもなんだかよい。「一本満足」だと白いやつが好きで、「クリーム玄米ブラン」も白いやつ(高価版)が好きだなと気づいた。全体的に白ばっかり好きだけど甘党なせいか。チョコもホワイトのほうが好きだし。
仕事で職場のひとの面談をした。最近ちょくちょく進めている。話を聞くのは楽しい。不満や疑問を聞くのは複雑だ。改善の余地があるのかわからない。組織ごとに変える気があるところとないところがあると思うので、その空気はまだ掴めていない。
見かけたライトノベルの人気ランキングでVTuberを扱った小説がランクインしていて、読んでみたら非常に面白かった。一日でだいぶ読んだ。VTuberが好きなので細かい描写がわかって面白い、というのはあるけど、それぞれに人間関係の描きかたが面白い感じではあった。だいたい登場人物が面白くて関係性が面白ければ、設定やテーマはどうであれ、面白く読めてしまうというのはあると思う。そこの良し悪しとか好き嫌いはまた別に語る話だけれど。
粗製乱造のなかにも輝くものを作る人が現れるのは面白い。才覚面でもコダワリ面でも面白い要素だ。
変だったこと奇妙だったこと珍しかったことを日記に書きたいと思ってしまいがちだけど、普通のこと平凡なこと日常的ないつもと同じことを書き続けることによって、その進捗や推移で見せられるものもあるとは思う。起床時刻や天気や食事を記録し続けるタイプのやつだ。すこし具体性を持ったものを書こうと思って始めたここの日記なのでそういうのも取り入れてみてもよいかもしれない感じはある。読み返してみても面白いだろうし。
別の話だけど、一文一文がぜんぶ独立した日記もよいかなとも考えた。わざわざ筋道たてて段落ほどの文章を書かなくても発想ひとつひとつを記録する日記も面白そうな感触はある。話題ひとつは一文で収めるルールにするとか。でもこれは飽きそうかなあ。どれくらい強制力を持たせるかにもよるけど。でも、言葉を連ねながら深掘りしていく流れが楽しいことは(書くときも読むときも)あるので、あんまり意味ないか。
今日の仕事は業務量がちょうどよかった。リズム的にやや暇くらいの想定だったけどそうでもなかった。これくらいが満足感ある。満足感とかって、強い、高い、濃い、等々どれで表現するのがよいのか迷う場面がある。たぶん満足感だと強いで、満足度だと高いになるのかな。安易は判断だけど。
Suicide mention
Ten years ago, #AaronSwartz died by suicide following a prolonged and relentless crusade by the U.S. judiciary to prosecute him for allegedly downloading academic articles.
After his death, @freedomofpress took over maintenance of the open source whistleblower submission platform he had been developing, now called SecureDrop, hoping to get news orgs to adopt it. It's now used by dozens of news outlets worldwide.
Thank you, Aaron. ❤️ We are honored to carry on your legacy.
数日ほど日記をサボった。仕事開始が憂鬱すぎていろいろなものに目をぎゅっとつぶった結果だ。仕事というか職場だな~。仕事は別に嫌いじゃないので。あと、ぎゅっとつぶるという言いかたを意識的に選んだのだけど、擬態語(ぎゅっと)はなんだか落ち着く。レトリックはわりと気分を落ち着かせる感じがあると思っている。ことば自体にもその効果があると思うけどレトリックはなおさら。なんか、ちょっと目線を変えてくれる感じは、気分がよい。あと、書いてから言うのもなんだが、サボった、と露悪的に書くのも良し悪しだな。別に休んだでもいいし、それがよいと思ったのでそうしましたという感じを出してもよい。卑下みたいにする必要はない。
「文藝」の春号を買った。批評特集が読みたかった。批評という概念がいまだにつかめていない。でも、文学、哲学、人文学、批評、といったものたちが重要性を最近は感じる。知っておいてよいし、そういった学問が培おうとしてきたものも知っておいたほうがよいと感じる。とはいえ、めちゃくちゃ雑な認識なので、話を聞いて、精度や粒度を高めたい。
『佐々木とピーちゃん』5巻を読み始めた。もうちょっと派手な展開になってほしいけど、そうじゃない良さもわかるので難しいところだ。
愚痴
年末に光を解約したこともあり、期間内に装置の返却を求められたので、年末に装置を発送し、年明けすぐの期間内に到着したのを配達記録で確認しているのに、返却期限になると向こうからは機械的に催促のメールが来た。おそらく、年末年始の休暇のせいで返却を確認できていなかったのだと思うが、未だに到着確認のメールも来ない。本来なら、行き違いについて、詫びの一つもあって良いと思うのだが。
また、スマホの代金の支払いのためにソフトバンクのクレジットカードに入会させたくせに、なぜか、解約後の数ヵ月分はクレジットカードから引き落とさず、別に支払い方法を求めてくるというのも謎だ。そのままクレジットカードで落としてくれれば良いのに・・・。
安かろう悪かろうと言われれば、そうやって納得してしまいそうになるが、こういう不義理なことをしているようでは、商売として、いずれつまずくのではないかなぁと思うね。
散歩しながら考えていること
朝の散歩で外に出ると、ほとんど毎日のように「外はこんなに広いんだ」と感じます。空を見上げると、毎日雲が違った形になっていて驚くほどです。
普段は部屋の中でコンピューターのディスプレイを見て過ごしていることが多いので、目の前の数10センチ位の世界で考えことをしていることになります。
もちろん、それは物理的な話であって、心の中では、そういった物理的な制約から大きく離れて、とても広大な世界を飛び回っているのですけれど。
でも、やはり、物理的な広さや空間を実際に感じるのはまた違う感覚があります。
当たり前の話ですね。
いつも私は数学の読みものを書いているわけですが、そこでは様々な性質が個別に扱われたり入れ替えて扱われたりします。たとえば、物理的な世界では、(私たちの日常的な世界では)、当たり前のように「長さ」という概念が使われますが、数学の世界ではそれほど当たり前ではありません。
どのように長さと呼ばれる概念を定義するか定めたり、あるいはまた、長さ等が存在しない空間を考えたりすることもよくあります。
そのような世界を、日常からかけ離れた荒唐無稽な世界と感じる人もいますし、あるいはそのような「絵空事」を考えるのに意味がないと思う人がいるかもしれません。
でも、もちろんそんなことはなくて、数学の世界を考えることは、それ自体が興味深く、楽しいことでありますし、私たちが普段過ごしている生活とは、違う意味で「現実」が存在していると感じることもあります。
さらに言うなら、私たちが当たり前だと感じている性質や概念をもう一度改めて問い、なおすきっかけになる場合すらよくあります。
日常生活で当たり前だと感じることに対して「それはどのような意味だろう」と問いかけてみたり、「その前提は変更することができないんだろうか」と考えてみたりする。それらは、決して絵空事の話ではなくて、現実に向かうための大切な問いかけ、考え方だったりするでしょう。
それは決して、数学の世界を無理矢理に生活と結びつけるという意味ではありません。それをやってしまうと逆に、数学の世界をねじ曲げてしまう危険性がありますし、あるいはまた数学を正しく理解できなくなってしまうことすらあります。
正しく理解してはじめて、正しく適用したり、正しく応用できたりするのです。生半可な応用や、雰囲気だけの適用では、本当に大切なものをつかみ損ねてしまうものです。
これはプログラミングなどのIT技術でも似たようなことがよくありますね。ITのことをわからないまま、思い込みで現実社会に応用しようとして、技術者が見たら不可思議なシステムが生まれたりするのはよくあることです。
急がば回れ。
きちんと理解しないまま大きなものを組み立てようとしたり、正しい理解に至らないまま多くの人に適用したりするのは危険だなと思います。
朝の散歩をしながら、そんなことを考えています。
時に「主語がおおきい」というツッコミがあるわけだけど、結局のところ、主語がおおきすぎるせいで範囲がはみ出ている(ので、論理破綻しているますよ)、ということが主軸なわけで、「主語がおおきいことがダメ」という認識でいると危険そうだな、と思った。主語をおおきくするならそれに適切なくらい論理をしっかりさせる必要がある。それができないならそうすべきではない、という認識でよい。
日記タグが面白くてそればかり書いているけど、読書タグも面白いな。そのうちこれも扱いたい。そういう意味では、各媒体ごとのタグもよいなと思うし、あるいは、作品、コンテンツ、という区切りの語りを見せてくれるタグもあってよい。感想タグとかがあればそれでよさそうかな(みんなで共有化して使ってくれる未来はぜんぜん見えないが)。
『亡びの国の征服者』1巻を読み始めた。あと『ぼっち・ざ・ろっく』(アニメ)を6話くらいまで見た。ぼっちざろっくは面白いな。2022年面白かったアニメでよく見かけたタイトルなので、興味をもったが、楽しい。原作からのアレンジも多そうなところがよい。別メディアに移植するときは、そのメディアの特性に合わせて改編してほしいほうだ(そんな単純なことでもないのだろうが)