ブックサンタ、今年から当店も参加します٩( ᐛ )و受付期間は9/23〜12/24まで٩( ᐛ )و
ブックサンタは主に絵本や児童書が対象本になるので、それ以外の本も好き勝手選んで読んでもらいたいぜベイベー٩( ᐛ )وな場合は、当店の「子ども読書ちょきん」をご利用ください(仕組みは簡単、当店で本を1冊買うと10円が「ちょきん」され、子どもは月に1回そこからお金を使って本を買えるのです)。
私はマンガも本だと思っていますし、子どもだからといって難しい人文書を買ってはいけないとも思っていないので、子どもがそのとき読みたいと思った本を買えることを優先したいです。「買ったはいいものの難しくて積んでる本」なんて大人にもたくさんあるんだから。
ブックサンタに世話になってた側の業界にいた者としては、私たちが子どもの時読んでたものだとか、自分の子どもが小さい時に買い与えてたものとかって、今の子に対すると既に「古典」だったりするんよね。端的に言えば、食指が動かない。
あとそういうお金を出せる年代の人たちの「みんなが愛してた作品」って、たくさんのサンタが購入してくれるから被りがち。そしてそういう作品って広く読まれてるから、既に蔵書あったりする。
特に絵本はその傾向が強め。逆に中学年くらいからの児童書とか、もうちょい上のYAとかは弱い。
なのでゾロリとか、おしりたんていとか、つばさ文庫とか、みらい文庫とか、そういうお金出す世代は「別になんの思い入れもない(かもしれない)作品」も、よかったらサンタしてあげてほしい。Amazonとかe-honの児童向けランキングで、直近上位に入ってるやつ。余裕があれば図鑑とかもかなり嬉しい。
言い方はアレかもしれないけど、ブックサンタって買う側の趣味の押し付けになりがちだし、反応が見えにくいから。
大変な境遇にいる子どもたち、にも選書の自由はあるのでね。
これまでずっと「だって自民党くらいしか入れるところなくない?」と抜かしてきた出版営業畑の友人が、あちこちで音を立てて崩れ去る書店の惨状を見続けてきた結果ついに「この状況は本当にマズイ、末期的」とか泣き言を言い出したので、この事態はなにも出版社や書店の努力が足りなかったから引き起こされたものではなくて、低賃金労働やら容赦ない増税やらに伴う可処分所得の低下やらお粗末な教育行政やら大企業偏重の経済政策やらの結果だからと慰めたところ「たしかに政治がヤバい」と開眼するに至った
もう限界という産業は他にも死ぬほどあると思う
政治について話さないで欲しいSNSについては、運営の方個人とは考えが合わないですけどそれはまあどうでも良いと思っていて、わたしが気になるのは「政治について話さないでね」という要請にまったく疑問も不安も感じることのない(あるいはそれを大きな問題とは思わない)日本語ユーザーがこんなにたくさんいるのだな、という点です。わかってはいても気になるし知ってたとはいえ凹みますよね。
朝日新聞デジタルのプレゼント機能で Webの有料記事がシェアされるのをSNSで見る機会は増えた。ぜひ、新聞そのものを講読する(紙でも電子でも)人も増えてほしい。新聞を(とくに紙面で)読むことにはいくつもメリットがある。
1)信頼性がある。もちろん新聞社も間違えることがあるけれど、現代のメディアで抜群に信頼性があるのはやはり新聞。「ネットで全てが分かる時代」も、信頼性の高い情報を生産・流通させている新聞記者や研究者の働きに結局は依存している。※だから新聞社が潰れたらネット空間はゴミになるし、日本のネット空間が極端に右傾化している理由の1つは産経のWeb版が無料だったことにあると思う。
2)ニュースの重要性が判断できる。SNSでは扇動的なコメントと共に騒がれるニュースが、紙面では小さな扱いということもしばしば。もちろん新聞社による紙面の大きさ・場所の分配の判断が常に正しいわけではないけれど、どの面で、どれくらいの大きさで報じられるニュースなのかということから、そのニュースの重要性を知ることができる。Twitterでは全てのニュースが1マスにぺしゃんこにされるので、その判断ができなくて困る。
なんか見ちゃったので書くんですが、楽しいことを書く方が難しくて怒りを書くのはニュースをちょっと見れば出来るってなんなんですかね……大人ならちゃんと必要な時に怒らないとダメでしょ。怒るのはいつでもできるなんて思ってるうちに搾取され尽くして国にころされますよ。
怒らなくても生きていけるなんてきっと優雅なご職業なんでしょうね!わたしは怒って皆選挙に行ってください政治に参加してくださいって叫ばないと明日が不安で倒れそうです。楽しいことだけ書いてる人たちが何か変えてくれたんですか。誰が隣で苦しんでても楽しそうに見過ごしてきた人たちでしょ。
これだけ困窮してこれだけ貧困が増して政府が機能せず感染症からすら市民を守ろうとせず弱者を虐げる仕組みや差別を温存させる国で怒りを表明しない人を、わたしは疑うし信用しない。その態度はとても政治的で体制側に加担している。作り手なら心底軽蔑します。我々は怒るべきです。もっと怒るべき。
選挙やデモ以外に私が次の世代にできることは漫画に誠実に向き合って描き切ることと支援団体への寄付、もっと身近な草の根レベルでは大学生になった従兄弟に読んでほしい(というか私が大学生の時に読みたかった)本を渡すことと一緒に映画を観に行ってそこに何が描かれていたか話し合ったり批評を読んだりすること。
「差別はたいてい悪意のない人がする」「これからの男の子たちへ」を渡したが読む読まないは強制しない、読まなくても本が手元にあるほうがいいしそういう本がこの世にあるということだけでも知っているのは良いことだと思ってる。高麗博物館の関東大震災100年展に行く約束もした。
「『追燈(ついとう)』公開されました。
よろしくお願いします。
https://comic-action.com/episode/14079602755100864512
」
https://twitter.com/sakumo_info/status/169744491859016521
目に入るすべての話題に対してTwitter上ですぐに明確に発言しなければ無関心(=悪)とみなされ、発言したらしたでいつ誤読曲解をふくむ批判が飛んでくるかわからない、しかも批判の仕方が極めて性急かつ断定的で罵りに近いものも含まれる、みたいな雰囲気にはマジで嫌気がさしている。
そういう意味で「(SNS上での)政治疲れ」はしてるし、どのSNSを使うにしろ絶対に繰り返したくない。🐘で一番気を付けようと思っている点。
これは「バズり」の問題とはちょっと違って、早く明確に対応するか否かで誠意(もっと言えば人権感覚)を問われているような感じが強くあったんだ、私はね。
アウトプットできないけど知る/考える、SNS以外で行動することも当然重要なのに、そういうものがないがしろにされてしまう。
そして、悪く言えば、SNSでコメントしたりタグを拡散していれば何かやってる気になれてしまう部分もある。
なので、Twitterなくなったら政治や社会問題への動きが絶えてしまうという危機感は、少なくとも日本語圏においては、あまりにもSNSを過大評価してないかって気もする。社会はもっと沢山のものでなりたってる。
言葉の獣11話更新されてます🐅 https://to-ti.in/story/kotobanokemono11
街頭でアクションをしてるときに真っ向から対立する意見の人と話をした時からずっと考えていたんだよね。「差別主義者」で想像するような、怒りをぶつけたり嘲笑したり痛めつけてやろうとするような、そういう印象はなくて、ただただ素直に不公平だとか不安だとかつらいとか思っているように感じた。その結果、言ってることは完全に「アウト」になってたわけだけど。
しっかりした知識がないまま、ふわっとしたままにそういうひとたちと対峙して言葉を返すのは強さでも責任でもなくてむしろ危ういことだと思うけど(間違ったことを自分が伝えてしまうかもなので)、ただ、「差別主義者」で括って対峙するのではなくて、相手の言っていることが「わかる」ようになるために相手を知ることは、危機的立場にいない自分のようなポジションにこそできることだし、と思ってる。ネットでは難しいですけどね……。
YouTubeでインボイスについての広告流れてきて「消費者には関係ないみたいだね」「納められた税金は医療、福祉、子育てに役立てられます」「この制度で困る事業者への連絡先はこちら!」って可愛いアニメで説明されて泡吹いて倒れた、こんなんYouTubeに流すな〜〜〜消費者関係あるぞまず電気代の値上げ…
YouTubeの広告って、広告でしか流れない?探しても見つからない…家族(…)が食卓を囲んで子どもが親にインボイスについて質問するんだけど、親も「〜みたいだよ」っていう返答で…全員思考停止で不気味だったし言ってること嘘ばっか。最後の最後で「これは違います!!!」ってくる?くるよね??って思ってたらなんもなかった…
『言葉の獣』を描いているmail:kujirabaworks@gmail.com トランス差別許さないNO HATE🏳️🌈🏳️⚧️