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国会図書館デジタルコレクション、佐藤惣之助『市井鬼』(京文社)とかロード・ダンセイニ『バブルクンドの没落』(研究社)とかまである…。『バブルクンドの没落』、はじめて中を見たけど文法解説はさほど詳細でないですね。

大森望『現代SF1500』冊でマンガで★★★★☆がついているのが『亀の頭のスープ』ですが(大傑作だと思います)、マンガで同等かそれ以上の評価がついている作品ってなんなんだろう。

アンリ・ミショー『魔法の国にて』、読み進めていますが凄絶。牧眞司『世界文学ワンダーランド』で紹介されている書籍では数少ない「小説以外」の作品です。

SFセミナーの翻訳家パネルでも話題のあった翻訳訳語辞典って、もとは山岡洋一が作成したものだったんですね。ためしにafter allで検索したら「畢竟」と訳している用例が出るとか、なかなか面白いです。dictjuggler.net/

自分は最近はひたすらthe Times Literary SupplementのPodcastを聴いています。おすすめがあればぜひみなさま教えてください。

2021年の記事ですが、老舗Penguinに掲載された、英語圏の文芸系おすすめPodcastをまとめた記事。
penguin.co.uk/articles/2021/01

「ミショーの作品は――詩篇も現実の旅も架空の旅も絵画も――、もう一つの無限を限りなく探し求めて、われわれの無限のうちのいくつかと――最も秘密の、最も恐るべき、また最も嘲弄的なそれらへと――向かってゆく。一つの長い曲りくねった探検に他ならない。」(オクタビオ・パス)

「ミショーの作品は、SF文学の中で栄えているいくつかのテーマを、優美な濃縮された形式の下に、われわれに差し出す。それは、空想の民俗学であり、そこには魔法の力がある。」(ビュトール)

デルテイユが残念ながら読めないので、デジタルコレクションでアンリ・ミショー全集を拾い読み。炸裂する面白さ。

国立国会図書館デジタルコレクションで長年の探求本、矢野目源一訳・デルテイユ「黒死病の巴里」が収録されている『世界短篇小説大系 仏蘭西近代傑作集』(近代社、大正14年)を発見。けれど、短篇のはじめの数ページが脱落していて泣きそう。どなたかお持ちでないでしょうか…?

あなたの裸は海原の島
鷗の群れ飛ぶ空の下
翼を広げた鷲さながらの
手足の なんと美しいこと

あなたの額は 湧きあふれる井戸
水底には血 水面には蜜
汗の噴き出す炎暑の中
あなたの身体は ひんやりした泉
火照りを癒す
飲み物
「島」部分(ヌーラ・ニー・ゴーノル『ファラオの娘』思潮社)

アイルランド語と教育の関係にも興味がある。戦後教育をアメリカによって規定され、国語の時間を減らして英語の授業数を増やすべき、との議論に決着点のみえない日本に住む人間だって、感情移入のできる問題ではないのか。

海老島均一・山下理恵子編『アイルランドを知るための70章 【第3版】』(明石書店、2019)。アイルランド語で創作するヌーラ・ニゴーノルは『ファラオの娘』しか読んでいなかったのだけど、アイルランド詩の状況を概説する池田寛子「もう一つの世界へのまなざし」を読んで、もう少しこの女性詩人について深く知りたいと思うようになった。アイルランド語を理解する国民が数少ないなか、キアラン・カーソンら英語詩人がニゴーノルを「直訳を離れた個性的な訳」で訳し評判を呼んだという記述があるのは興味深い(『ファラオの娘』の場合は、大野光子の訳を高橋睦郎と佐々木幹郎がブラッシュアップしたとあとがきにあるのを想起しても、なおさら)。ポーランドとアイルランドでは国民のあいだで詩が大きな位置を占めている、とはまたべつの野心あふれるわが国の詩人・四元康祐の見立てだが、2018年にニゴーノルはポーランドの国際文学賞を受賞したとも池田寛子の文章にはある。

いま進めている企画のために山尾悠子や尾崎翠などのさまざまな作品を読んだり、読み直したりしているのですが、うつくしい言葉の世界に身を浸せることはよろこびそのものです。

大学生になってやっと本格的に海外小説を読むようになって、2年生になると中央線の書店や古書店にも足繁く通いはじめた。ひと恋しい性格のわりには、そんなときはだいたいひとり行動だったと思う。中野のタコシェにはもう消滅していたペヨトル工房の本のデッドストックがまだあって、近未来的な装幀に魅せられた。バロウズの『ノヴァ急報』も、バラードの『クラッシュ』(これは図書館で借りた本)もひと目でミルキィさんの装幀だとわかる。『クラッシュ』、92年に出た本に思えないようなデザインだよなあ、と当時の自分は感じて、そう感じたことをきょう、ちょうどいまも憶えている。
 「アイデア」のような雑誌のブックデザイナーを特集する号を読むと、ミルキィさんの仕事がまとめて紹介されていて、この本もあの本もか、と発見がやってくる。近年購入した、山尾悠子さんを特集する「夜想」、エッセイ集『迷宮遊覧飛行』に至るまで手がけていることについては、なんだか幻想小説以上の不思議さを感じずにはいられない。(おわり)

気づいてみると、人生のながい時間をともにしているのがデザイナーのミルキィ・イソベさん。小学校の頃に遊んでいた初代ポケモンカードのデザインを手がけていたのがこの方だった。おもちゃやゲームとタイアップしていた「コロコロコミック」がポケモンカード発売間近の号で「デザインはミルキィ・イソベさん」とわざわざ紹介していて、そのカタカナ表記がなぜか印象的だった。とある数奇な理由でポケモンカードを高校まで遊んでいた事情はここでは省略するが(兄から管理人をバトンタッチされ、生まれてはじめて運営したhtmlのウェブサイトはポケモンカードについてのサイトだった!)、ミルキィさんのデザインしたカードを友達の家で、カードゲーム対戦も許される池袋の専門店で何千回とシャッフルしたじじつがあるのはまちがいない。(つづく)

母語話者の翻訳家の方とともに少しずつ読んでいるChester AndersonのThe Butterfly Kid、比較的最近知った作品なんだけど、1968年のヒューゴー賞長編候補作。ほかにディレイニー『アインシュタイン交点』やシルヴァーバーグの長編が候補になっているけれど、この年はゼラズニイが制している。

「小説の中で絵画を描写するなんて企ては、なんと無益なことなんだろう」と感じる読者が多いのは理解できますが、クロード・シモン「農耕詩」の雑誌版(「「早稲田文学」)、キアラン・カーソン「対蹠地」といった作品は言語の線条性そのものにじかに攻撃を加えるものであると個人的には読んでいます。

As a college student I was seeking metaphysical perfection, yet why I’ve been intrigued by Polish and Irish poems lately is another reason.

@Kanata フォローありがとうございます。本全体の感想はまとめられていないのですが、『結晶するプリズム』も楽しく読ませてもらっています。どうぞよろしくお願いいたします。

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