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こういう本も近年出ているようです。1890-1940の期間に書かれた、女性作家による幻想怪奇短篇を集めたアンソロジー。恥ずかしながらギルマンのほかは読んでいない作家ばかりです。パート2もあるようです。
handheldpress.co.uk/shop/fanta

はじめまして、SFマガジン10月号特集「SFをつくる新しい力」の文章など拝読した者です。ジェンダーSFに長く関心を寄せているため(大学の卒論がジェンダーSFでした)、『結晶するプリズム』の紹介文に惹かれて本日注文しました。男性読者なのでバイアスのかかった読みになることは避けられないと思うのですが、楽しみにしています。

ブッカー賞候補作家のとある未訳長篇を9割方読みおえる(これもできれば感想を記したい)。次はなにを読むかあれこれ考えるのも楽しいひととき。

【お知らせ】大阪にある海外マンガカフェ・書肆喫茶moriさんの刊行する海外マンガ情報誌『漫海』第4号(8月に刊行予定)に、台湾の作家A ee miさんによるジェンダーSF『Platonic Love』についての紹介文を寄稿する予定です。

『Platonic Love』英語版は国内ではブックギャラリーポポタムさんの通販などで購入できます。いまこの時代に、多くの人に読まれてほしい秀作です。

【情報募集】Amazon.jpで電子書籍が出ていない英語の小説で、Amazon.usやAmazon.ukでは電子版が出ているってありえるのでしょうか。オーストラリアの本で買いたいものがあるのですが、できれば電子版で入手したくて。

あるアンソロジーで読んだリンゲルナッツの詩、とても面白くて詩集で読みたくなる(なんと国書刊行会のクラテール叢書に入っているという…)。個人的には秋山亜由子「虫けら様」の世界観を連想したり。

デヴィッド・ウィーズナー、ショーン・タンの絵本で未読のものをいそいそと図書館から借りてくる。滅茶苦茶面白い!

1.フランスに先を越されながらも、澁澤龍彦『高丘親王航海記』英訳版が来月刊行
2.2023年に中国では長篇が二冊刊行(単行本は海外では初の刊行)
3.SF作家としてのデビュー時期が近かった鈴木いづみはいまも注目を集めており、二冊目の英訳作品集がぶじ刊行
4.英語圏における日本文学受容では目下のところ女性作家への関心が高い(辛島デヴィッド『文芸ピープル参照』)

ということで、いまこそ英語圏における山尾悠子紹介の好機では…!?

辻征夫『かぜのひきかた』。こういう詩集を人生に一冊でも持てる詩人は幸福そのもの。和田忠彦らが好意的に言及している詩人なので手に取りました。

the Times Literary Supplement Podcast、亡くなった作家を再考するような回も定期的にあって、タブッキやガルシア=マルケスのようなエスタブリッシュメントだけでなく、2021年7月はラッセル・ホーバンを扱っています。

2022年7月は、すごく気になっているけど私は読めていない、(妖精文庫で『妖精たちの王国』が出ていた) シルヴィア・タウンゼンド・ウォーナー。

the Times Literary Supplement Podcastに加えて、The Guardian Books podcastのアーカイブも聴き始めています。特定の作家やジャンルのみ扱うものではなく、総花的(?)な英語圏のポッドキャストでおすすめのものがあればみなさまぜひ教えてください!

英米文学翻訳家にしてアイルランド音楽紹介者の大島豊さんに教えてもらったNanci GriffithのOther Voices, Other Rooms、擦り切れるほど聴いているのにまったく聴き飽きない。大好きな一枚です。

・高柳誠『都市の肖像』(書肆山田)

高柳誠。はじめに思潮社の〈詩・生成〉のシリーズで読んだ『高柳誠詩集』の、アナイス・ニン「技芸の冬(『人口の冬』)」の引用が強く記憶に焼きついている。

愛すべきたたずまいのこの小さな本は、市庁舎、運河、天文台、競技場など名もないある都市の細部について、すべて見開き2ページで点描していく散文詩集。三つほど、書き出しだけ紹介したい。

動物園に集められている動物は、稀には絶滅寸前の種もいるが、ほとんどがすでに絶滅した種である。従ってその悉くが剝製や標本である。
「動物園」

書物は図書館の中にしか存在しない。と言うより、書物それ自体の原理からいって、図書館外では存在のしようもないのだ。

書物を読むには、よほど慎重にならなければならない。なぜなら、読むそばから文字は群れをなして飛び立ち、そのまま虚空に吸い込まれて消えてしまうからだ。従って、書物のほとんどは、その頁が空白になっている。
「図書館」

墓場は昼の間だけ市場になる。あるいは逆に、市場は夜の間だけ墓場になる。
「市場=墓場」

2023年9月の読売新聞、泉鏡花の外国語訳(英語と中国語)に挑む俊英たちについての記事。短めの記事ですが、鏡花が生きているうちに英訳の企画もあったという話は面白い。

yomiuri.co.jp/local/ishikawa/f

「International Women’s Day Event: Akutagawa Prize-winning Author MURATA Sayaka」3/18に使用言語日英でオンライン開催とのことです。
tc.u-tokyo.ac.jp/ai1ec_event/1

数か月前に出た『スロヴァキアを知るための64章』(明石書店)にはどういう日本文学がスロヴァキア語に訳されているか(チェコ語ではなく)、という話題も出ていますが、これはスロヴァキアのメディア、Kapitálに掲載された鈴木いづみについての長めの記事。文章中ではSFマガジンの名や、Shintaro Ishihar〇(検索よけ)がどういう風にMieko Kawakam〇を揶揄したか、というような話題まで出ています。
kapital-noviny.sk/radikalne-vi

過去の偉大なマンガ家の絵柄をも融通無碍にパロディ・サンプリングしているのもさることながら、時代のおおきな渦の只中にいながらも(ときに欲をむき出しにし)たくましくふてぶてしく生きていくキャラクターたちを見ていると、なんだか胸を打たれるのだ。有史以来、どんな時代だってヒトには健全で不健全な欲望とそれを満たすための娯楽が存在してきたにちがいない、なんてちょっぴり大げさな思索までしてしまう。

今日マチ子やこうの史代など“若い”作家が戦争を扱った佳作にはこれまでも触れてきたが、『あれよ星屑』は文字通り未知の地平の向こうのそのまた向こうの星の屑を見せてくれる、精神的支柱のような一作になってくれた。

自身作詞を手がけるあいみょんですら、昭和後期から平成の流行語を多数盛り込んだ歌を歌っているくらいで、80~2000年代をミックスする感性はポップカルチャーの世界でも現在のところたまさかめずらしいわけではない。けれど大好きなマンガ、山田参助の『あれよ星屑』(エンターブレイン、全7巻)に新しい想像力をよろこばしくも感じた理由のひとつは、1940年代、死や陰惨のイメージとどうしても紐づけられてしまう終戦直後の焼け野原を舞台にしてこれだけ交響的なエンターテインメント巨編を描ききった部分にある(戦中の回想シーンも多分に含まれているが、舞台としては1940年代と要約してもさしつかえないだろう。

英文学者富士川氏のこの発言からはすでに30年以上が経過している。でも、息を吸うようにサンプリングを楽しみ、過去で遊ぶことができる感性は、表現者であれ受け手であれ、戦後生まれの多くの日本人もある程度持ち合わせているものなのではないだろうか。つまりこうした世代的特徴は、80年代だとか10年単位で区切られるものというよりも、ある世代より下以降に瀰漫しているようなものとして捉えられないだろうか、フライパンに落としたバターの白く薄いひろがりのように。

青山南・江中直紀・沼野充義・富士川義之・樋口大介『世界の文学のいま』(福武書店、1991)所収の座談会、青山南・江中直紀・沼野充義・富士川義之「移住者の文学」より。ここで富士川氏は、80年代になって出てきた“若い”作家たちの過去なるものを扱う手つきが、60年代頃までとは異質であることを指摘している。自分がこの発言を目にして直感的に連想したのは、昨今あたりまえのようにSNSでもみられるフィルムカメラ風に加工した写真や、あるヴィジュアルをピクセルアートに仕立て上げるようなモード(流儀)のことだった。

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