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「言文一致styleのグロテスク」というまさにグロテスクな表現をかつて用いたのは松浦寿輝だったと思う。学生時代、『高野聖』や『春昼・春昼後刻』に人生を変えられた自分は、「現代語訳泉鏡花」なんてものがいつか刊行されたらそれこそグロテスクだな、などと思っていたものだった。言語、そして文化の衰微としてそうした未来を捉えていたのだ。

こうした認識に変化が訪れたのは、あるとき、ジェフリー・アングルスが『泉鏡花〈怪異・幻想〉傑作選 本当にさらさら読める!現代語訳版』(KADOKAWA)という本を自身のSNSで紹介していたからだった。日本の外で泉鏡花は川端や三島の十分の一の読者も獲得していないかもしれない。しかしそこにはもちろん、明治の日本語そして作家独自の表現が現代の日本語と大きく隔たっているという事情がある。このとき、現代語訳が刊行されていれば、国外の研究者や翻訳家にとって大きな助けとなりうる。それは、英語学習者が英米の古典をretold版で読むのにも似てエッセンスには触知しえないかもしれないが、必要とするひとにとっては錯綜のラビリンスにおいて眺望を得るための貴重な梯子として現れる可能性がある。もっと言えば、単純にオプションのひとつとして、こういうものがあってもいいのではないか。

詩作における自己再構成のたいせつさを説いたのは作者もエッセイで言及する多田智満子だが、「国際友誼」においては自己を虚の地点にまで解体したのちにもう一度統合(つまり発見)しようとする活発な精神がよろこばしく働いている。鏡のなかのアジアとは単なるひとり仮寝の旅行先ではなく、自身そして言語をみつめるための道具として本作では装置される。

谷崎由衣『鏡のなかのアジア』(集英社文庫)

90年代、川上弘美が頭角を現したときに福田和也は書いた。「その世界はなかなかチャーミングだが、またあまりにも強い規範性に、若干将来性への不安を抱かないではない」。現時点での谷崎由衣の小説のいくつかは、ひょっとしたらさらに一層規範的であるかもしれない。それでも、旅行中に携えたこの薄い文庫本から、日々考えていることについて少なくないインスピレーションを受けることができた。

集中では最新・最長かつ巻末に配置された「天蓋歩行」(クアラルンプールほか)をベストに推す読者が多いとみている。けれど自分は、「国際友誼」(京都)にとくべつな愛着を抱く。作者のほかの本やエッセイ、インタビューで、京都で大学生活を過ごしたこと、異言語に揺れる生活をしていること、本文で言及されている作家を作者自身も好きであることなどをすでに知っていたという事情も手伝って、特異で野蛮な私小説として味読してしまった。〈私〉という長方形の一枚の紙をzig zaguに鋏で切り進め、ごわあとしていびつな一本の長い長い帯にする。ありったけの力を込めて、遠くへ飛ばす。紙だからたとえ限度があるにしても、元の長方形よりははるかに複雑な形状をしているのは間違いない。(つづく)

菅野昭正による伊良子清白についての文章。
shinchosha.co.jp/book/463201/

伊良子清白『孔雀船』、最愛の詩集のひとつだけど、日夏耿之介が熱愛していたというのは先日会った知人が教えてくれるまで知らなかった。自分が読んだのが、日夏の序文つきの版だった可能性そのものはあるけど。日夏訳「サロメ」や矢野目訳シュオッブ、泉鏡花などが好きな方には『孔雀船』、強く強くおすすめです。

『カモガワGブックスVol.4 特集:世界文学/奇想短編』会場で購入してくださった方、通販で購入してくださった方、どうもありがとうございました…!

実質的に薦めてもらった(と僕が勝手に思っている)本――ラッセル・ホーバンTurtle Diary(ヨーロッパを旅行しながら読んでいた、と感懐を込めて言っていた)、国書刊行会〈文学の冒険〉シリーズで刊行予定がありながら未訳のままのジョルジュ・マンガネッリ『センチュリア』(イタリアの作家だが英訳で読んだそう)、ヘンリー・ミラー『わが読書』、カール・ヴァン・ヴェクテンの書評、トマス・ディッシュの書評、コジンスキー『異端の鳥』、ピーター・S・ビーグル『風のガリア―ド』、ノーマン・スピンラッドBug Jack Barron、イエイツの詩など。これと別に強く薦めてもらった本があるのだけど、生きているうちに読めるかな、せめて読んでから死にたい。洋書である。

海外文学の選書眼ということでは畏怖してやまない知人のひとりと地方都市で会う。十代中頃にはもうジェイムズ・ブランチ・キャベルSomething About Eveを原書で読んでいるみたいな恐ろしい人。新幹線と私鉄に乗り継ぎ数時間ほど、駅で落ち合ったのは夜も更けた頃。

完全に話を合わせてもらうしか仕方がないのだけど、おたがいが読んでいてかつ肯定的な感想を交わした書物――ラッセル・ホーバン『ボアズ=ヤキンのライオン』、ケイト・ウイルヘルム『杜松の時』、ピーター・S・ビーグル、ジョルジュ・マンガネッリ「虚偽の王国」、アンナ・カヴァン、ジョイス・マンスール、伊良子清白『孔雀船』など。(つづく)

「ひなぎく」を念願かなって観れたので、チェコ・ヌーヴェルバーグの歴史的背景を知るために『チェコとスロヴァキアを知るための56章』(明石書店)を読み始める。赤塚若樹、阿部賢一なども執筆。

kyokoyoshida.net/other_works

吉田恭子さんがエッセイで書いている英語圏のrejection slip(文芸誌の不掲載通知)、いま読んでいるアップダイクのエッセイ集More matterにも登場するんですが、もうこういう紙の形式は前世紀の遺物であると考えていいんですかね(吉田さんが英語で創作の投稿を始めたのは90年代。エッセイは全文がサイトで公開されています)。なお、ワタシが英語圏の文芸誌に評論を送ってあえなく不掲載の結果におわったときは、Good luck for your future endeavoursなんて文言があって、お心づかいを感じると同時に、就活の「お祈りメール」みたいだなと思いました。

@hiroosa 用事で先日キャンパスに行き、メディアセンターで配布していた「塾」を手に取ったのですが、AI特集でご写真つきで対談が掲載されていたのでビックリしました。😀 自分もこの分野について学ばないとなあ、という気持ちになります。

ここ数日の読書。谷崎由衣「国際友誼」、堀田季何『人類の午後』。連続して鮮烈な本/作品に出会えた。

高橋睦郎や吉岡実など数多の現代詩を英訳してきたHiroaki Sato編の日本女性詩アンソロジー、 Japanese Women Poets: An Anthology: An Anthology(Routledge、2007)。その中で、現代詩の範囲に入ると思われる箇所の目次。左川ちか、多田智満子、阿部日奈子、小池昌代、蜂飼耳らのほか、水原紫苑など歌人の名前も。

新幹線に乗って、言語学系でもっともお話を聞いてみたかった先生の一日限りのレクチャーを受け、海外文学の選書眼ということではもっとも畏怖する方のおひとりと会ってきました。これ以上充実した休日はありえません◎

以下、ルーマニアの方とエリアーデ『ムントゥリャサ通りで』について話したときの自分の発言の再現(一部)。平易な英語でも、最近は毎週文芸について書くか話すかはするようにしている。I feel a fear of reading another work of his, other than Pe strada Mântuleasa. Many of my friends have said that work is his best. While I know other works should be excellent as well, I want that experience to be kept as a singular, eternal one, in lieu of being replaced by an impression of other works. It is so beautiful that I want it to be like an object fixed in an amber.

ポポタムで購入した台湾のジェンダーSFマンガがすごくいい…。

国籍問わず、現役の日本文学研究者でもっとも仰ぎ見ている方のおひとりとお会いしてきました。ここまで来たら何かしらインタビューのコンテンツをつくりたいよ~。しかし自分で同人誌をつくるだけのノウハウはない。

ひととじかに会って書物の話をするのは稀なのですが、種村季弘の話題になっただけで「人間かよ!?」とか、筒井康隆の話題になっただけで「レオナルド・ダ・ヴィンチじゃないの!?」とかというフレーズがポンポン出てくるあたり自分のミーハーぶりを表している。

東氏がやっている雑誌(検索避け)のロシア現代思想特集の座談会、読み耽ってしまう。言及されている思想書はなにひとつ読んでいませんが、近現代史や文学やそのふたつの関係についての知識が多く得られる。

世界のいろいろな大学の授業がオンラインで受けられるedX、ぱっと探した限りでは、無料で受けられるcreative writingの授業は見つかりませんでした(有料のものなら発見できましたが…)。

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