<大法廷は旧法が「意思に反して身体への侵襲を受けない自由」を保障した憲法13条、法の下の平等を定めた憲法14条に違反すると指摘。96年に障害者差別に当たる条文が削除されるまで「国は政策として障害のある人を差別し、重大な犠牲を求めてきた」とし、除斥期間の経過を理由に国が賠償責任を免れることは「著しく正義・公平に反し、到底容認できない」と述べた。>
OK!!!👏
https://nordot.app/1181113792293339750?c=39550187727945729
違憲判決!!
この結論以外あり得なかった、、、ほんとうによかった。
原告の方々と弁護団の先生方に心より敬意を表します。
除斥期間のところの詳細が知りたい!
「スメハラ」とかいって簡単にハラスメントというワードを使わないでほしい。
パワハラとセクハラと同列に語らないでほしい。
体臭は本人の意思でコントロールできないし、加害の故意があるはずもなく、周囲の人々も尊厳や人格が否定されるダメージを負うわけではない。
いじめ目的で体臭を指摘して心にダメージを負わせることをスメハラと呼ぶのなら、まだ分かるけど。
こんなに「におい」を気にする世の中になったのは、なにかワケがあるのだろうか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9a73c1f911d0010c2e5b68aefa7928514e9d3631
『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(2011年)を観た。
アスペルガーの少年が主人公。
なかなか…周囲とうまくコミュニケーションとれない様がリアルで、観ていてちょっとしんどかった。
自分が母親の立場だったら途方に暮れてしまうだろう。
週末に、Bunkamura渋谷宮下で2度目の『ホールドオーバーズ』を観た。
パンフレット、入手できた!
俳優たちの仕草、表情、前回見逃したものをいくつも発見できてよかった。
メアリーのほとんど表情を変えない静かな芝居に込められた悲しみと怒りに、再び号泣。
愛おしそうに、ベビー服やベビーシューズを1つずつ撫でながら並べていくシーンは、映画史に残る名芝居だと思う。おそらくカーティスのものだったと思わせるベビー服を、新たな命のために手放す。新たな命のために生きるんだと前を向く。その姿を後ろから見る妹さんは、どんな気持ちだったろう。。。
父親と面会した時のアンガスの表情も、すごい。父親に会えていろいろしゃべる時からの、父の言葉を聞いたときの、目がブラックホールみたいになる瞬間までの、、、
ハナム先生が「嫌われ者」なのは、先生の性格が悪いからではない。真面目で正義感があり正しい倫理観の持ち主、それを「融通が利かない」とバカにするのは、まぎれもなく自分の倫理観が崩壊しているからだ。理不尽で不公平な社会への怒りを静かにたぎらせる先生とメアリーが、アンガスをそれぞれの立場からしっかり見守り、いつくしむ。なんて美しい、あたたかい話だろうか。
なんてすてきなプロジェクションマッピング
https://x.com/MasayukiTsuda2/status/1664815926326304775
『ダーティーハリー』で、
ハリーが「こいつはマグナム44っていって世界で一番…」と銃について語る名シーンについて、ずっと「なぜS&WM29と言わずに弾丸の説明してるの??」と謎だったけれど、
安東アナの指摘を聞いて、やっぱり私の疑問は的外れではなかった!と嬉しくなった。
https://www.youtube.com/watch?si=fvO0nUzv5BqzTlcJ&v=w2ugEybpJUE&feature=youtu.be
正しく描写しなければ銃器の恐ろしさも戦争の恐ろしさも伝わらない。
正しく描けば戦争がいかにバカげたことか理解できる。
こういう安東アナの語りはとても誠実で、単に銃を面白がっている人ではない
からこその熱弁も楽しい。もっとたくさん登場して話してほしかった。
安東アナは車を語る会でも絶好調で、この2回はすごくいいのだけれど、
難があるのはむしろ宇多丸さんの方。この時代の宇多丸さんは、「俺たち」感がすごくて言葉の端々にミソジニーが表れていて、それが安東アナの面白い話をいちいち引っかいているのでほんとうに残念。
10年前がこれだったと思うと、ほんとにこの10年間で真摯に学んだんだな、と思う。
ボストンの博物館でのやりとりは、とても良かった。
今を説明するために歴史を学ぶ。
ハナム先生の秘密も、アンガスの秘密も、胸が締めつけられる。
真摯に学問を修めたい生徒が、金持ちの出来心のせいで学問の道を閉ざされる。
学問を修めたくても修められず、金持ちの道楽息子たちの代わりに戦場に送られて死んだカーティスを思うと、メアリーもハナム先生も、目の前の「放蕩息子たち」がどんなに憎いだろうか。どんなに世の不公平を恨んだだろうか。メアリーの静かな表情の演技が、めちゃくちゃ上手。
そして経済的に恵まれていても孤独と絶望に追いつめられるアンガス。最後の校長室で、親の話を聞いたときのハナム先生のため息に、号泣。
校長が自慢して置いていた高級酒、必ずどこかで出てくるだろうと思っていたら(笑)。
『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ』
この日本語のサブタイトル、不要な気がする…。
数日間反芻していて、とにかく良かった。
歴然とした格差と不公平が立ちはだかる時代の学校の風景、すでに胸が痛い。
エリート寄宿学校での生徒と教師と親のたたかいといえば『今を生きる』であり、
エリート寄宿学校のクリスマス休暇といえば『セント・オブ・ウーマン』で、
そういった過去の傑作は意識されているんだろうか、と気になった。
子どもの気持ちに真摯に向き合う親は、非を認めてヘリコプターで迎えに来る。
真摯に向き合わない親は、最後までとんちんかんで、子どもを追いつめる。
ポール・ジアマッティ演じるハナム先生は、成績評価は厳しいけれど公平で、ハラスメント的なことはしないし、別にそこまで偏屈だとは感じなかった。私の好みの問題だと思うけれど。
それよりアンガスの方がマズイと思う。実際に精神科にかかって服薬中だし、ずけずけと人が不快になることを言ってしまうあたり、なにかの特質がある。それは父親の遺伝なのかな、とも思う。あの病的な表情と、大人に対する横柄な態度と、クリスマスにはしゃぐ姿のちぐはぐさが、なんともいえない。(続
『その土曜日、7時58分』(2007年)を観た。
すごかった、、、これが80過ぎの御大の遺作だなんて。脳は30歳のままな気がする。
時間軸は1本ではなく、各人の視点からの話を語るために何度も時間が戻る(その戻るときのバチバチバチッがかっこいい)。
お金が人を狂わせる。魔が差して会社のお金に手をつけた兄と、どこにでもいそうな金欠で考えの甘い弟。罪と嘘を隠すためにまた嘘を重ねる。「自分は賢いと思っているけれども実際そこまで賢くない」人の演技、天才的。このビミョーな愚かさ、弱さ、フィリップ・シーモア・ホフマンの真骨頂。なぜ死んでしまったの(涙)。
2人の生い立ちは詳しく語られないが、父と息子(特に兄)の間には愛情も信頼も足りないようで、兄がなぜ簡単に心理的なハードルを超えて犯罪を思い立ったのか分かってくる。謝罪にむしろ怒りが沸き、車で泣く夫、横で当惑する妻、胸が痛い。
犯人を探し始めるあたりからの父の表情は、妻に先立たれた悲しみとかではない。あの手際よさ、賢い手口、昔はカタギではなかったと分かる。うますぎて鳥肌が立つ。悲惨すぎる結末にうなだれるより「すごいものを観た」という満足感でいっぱい。(冒頭のシーンは一瞬で忘れたw)
『デンジャラス・ビューティー』(2000年)を観た。
サンドラ・ブロック含む製作チームの、「フェミニズムを学びたい意欲はあるものの、まだ途上」な状況がよく分かる。
議論のネタ(教材)としてはとてもいい気がする。
ミス・アメリカ。女性が『鑑賞の対象』にされるミソジニーのコンテストの頂点の1つ。
でももはや#metooの成果で水着審査がなくなったり内面の審査に重点を置いたりだいぶ改革が進んでいるらしい。「そもそもミスコンなど廃止すべきでは」まであと一歩。
その現在点から振り返れば、この作品は水着審査への批判はないし、ましてやミスコンそのものへの疑義も投じていない。
主人公グレースは名誉男性で、「ミスコンに参加する女性なんてどうせ頭悪くて云々」という蔑視を内面化している。(ミスコンで選ばれるような女性を好みとしながら蔑視する)ミソジニー男性の価値観を内面化して男性社会になじもうとする女性の代表として描かれている。
そういう勉強不足な点は看過できないが、ミスコンの内幕としてミソジニー男性が望む「女性vs女性」の醜悪な足の引っ張り合いではなく、親しく互いに助け合う内面の美しい女性同士のシスターフッドが描かれているのはよかった。(続
映画、音楽、芝居、 好きです。
『大脱走』『死霊のはらわた』『スカーフェイス』『マッドマックス 怒りのデス・ロード』
オビワン・ケノービ
フェミニストでARMYです。
この世から差別・暴力・貧困がなくなりますように。
フォローリクエストには、応えたり応えなかったり半々です。例えばプロフィールが空欄の人とかは100%拒否します。