イオンシネマの件(ひどい投稿に言及するので念のため)
朝いちでくらった「看護師の立場から言います。映画館スタッフを危険にさらさないで!」の長いスレッドや、それを引用したFIRE済み(プロフィールより)障害当事者の「以前(具体的な場所)でスタッフに車いすを押してもらい転倒し、そのとき負った障害の影響が今も続いています。障害者は(車いすを転倒させないための)自衛が必要です」の衝撃がすごくて、比喩でなく涙が出た。家にひとりだったら号泣してたかもしれん。
人権のことや「合理的配慮」のことを十分に知らされず、また自ら知るためのリソースを奪われている構造というのがあるとはいえ、あったとしたって、他者に権利の侵害を甘受しろと迫るようなことを公共の場で平気で発してしまえる社会、きつい。
企業における「合理的配慮」の実現を真摯に論じるにあたり、その一側面としてスタッフの安全性に言及するということはあり得るだろう。でもこれはそういうのじゃない。
マジョリティが社会のことを考えることから逃げたい、何らの罪悪感や責任を負いたくない、経営者面できる強者感を味わいたい……その動機は想像するほかないが、己のためなら他者を脅かす言説を支持することを厭わないし、厭わないことを隠しもしないという……。
同性婚で社会が混乱すると言うが、見たいですけどね 同性婚により混乱してる社会
映画で記憶に残る犬
ザ・フライ2の犬
メリーに首ったけの犬
#blackholetv
国立西洋美術館の企画展オープニングでの「川崎重工は虐殺に加担するな」など出品アーティストらによる訴えのパフォーマンスについて。「アーティストなら作品で訴えろ」「わかるけど方法や内容がなってない」とかいう意見が やはり出てきた。そんなこと百も承知で、やむにやまれぬなかでの追い詰められた危機的状況での手段ではないのか?そもそも、注目されるオープニングでの主張は効果的だと思う。「こわい」「私は知らされてなかった」という意見で終わりとするほうに情けない限りと感じる。怖いと感じたことや、知らされていないことが情けないわけじゃなくて、それしか言えんのかという話。アーティストなら作品でなくても述べろよ。
(2023-05-08)移民の映画である『EEAAO』への感想。 - UNITAMENTE https://ubuhanabusa.hatenablog.com/entry/2023/05/08/234103
"移民に「家族仲が悪いなら、我慢して仲直りするより、きっぱり家族なんて捨てるべき」と言うのが、「しんどいなら唯一のコミュニティかつ生活圏を捨てて文字通り一人だけのマイノリティとしてマジョリティの中に入って行って生き抜きなさい (それが今よりしんどくてもマジョリティは基本的に誰も助けてはくれません)」と同じ意味を持つ可能性は、実際のところかなり高い。"
すべてが反差別の人によるものかどうかは判断できないけど、「いつも『差別に反対』って言ってるくせに、差別してる作家の作品を楽しむんですか?本当に差別に反対してるなら今すぐ過ちを認めて楽しむことをやめてください!」みたいな詰め方を各所で見ることがかなり多くて、一人ひとりそれぞれに違った特性や生活や考え方やペースや限界や譲れない大切なものがあるという部分が抜け落ちてるように思えて、意見自体は正しいのかもしれないけどわりとゲンナリしてしまう
別垢にいます