外山流の意趣返しをすれば、彼を面白がる人間は感性が死んでいる
そして後半のインタビューでは恥ずかしげもなく使い古された偏見を垂れ流している。これに「よく言った!」と言っているトランスヘイターどもはフェミニズムにいったい何を求めているのだろうか
https://gendai.media/articles/-/131622
外山の放言を「当たり前のことしか言っていない」として喝采を送る連中はここに期待しているのだろう
「“革命家”外山恒一が「はっきりさせておきたいこと」』では、昨今のLGBTをめぐるポリコレや「反コロナワクチン」について持論を展開する。」
なかなか面白いラインナップ
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3924
あ、そうか。移民とジェンダーなら小ヶ谷さんの研究があるか
https://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641174986
極右のゴミ
反トランスのクズどもにとっては"同和利権"、"在日特権"と同じものとしてみえるようだ
https://x.com/tomyamkum/status/1801756089534525855?s=46
笙野頼子『放火予告を「免れて」います』③より
「ジェンダー主義は女性の抹消、女消しであると共に、表現の自由ばかりか表現それ自体を壊滅させますから。その問題点はノーディベートだけではない。例えば、——主語の簒奪、記述の一貫性の不可能化や破壊、当事者の黙殺、基本的事実の隠蔽等で、これらは文学に必要な時系列や観察、理性、論理、言語に対する死刑宣言となります。なので現時点において、文学=女という程、書き手としてこの問題にこだわっていると、私は私小説目線で主張しています。」
ここで思い出すのは酒井直樹によるクリステヴァ批判。「女が西洋を救う」と主張するクリステヴァの西洋への回帰を酒井は批判するが、その際、批判の力点を置くべきは「女が」ではなく「西洋を救う」の方だと言う。問題はフェミニズムというよりコロニアリズムの方にあるということだ。これを笙野に敷衍するなら、「女が」ではなく「文学を救う」の方に力点を置くべきだということになろう。もっとも、笙野のなかでは「文学=女(=被植民者)」なので敷衍するにはいくつか連立式を立てなくてはならないが。
笙野頼子『放火予告を「免れて」います』③より
「マスコミ学術は米帝であり文壇は総督府、頂点に東○大学と朝○新聞がある。その一方現場は私小説からSFまで全部植民地、その中で彼らに与しない作品を書くこと自体が抵抗運動です」
https://note.com/choeisha/n/na8fe3901d1a8
陰謀論スゴイ
義務教育の失敗ではなくむしろ成果でしょ、というツッコミもあるが、問題は教育にあるのか、というそもそもの疑問もある。「「ノンポリ・中立」のスタンスをとって幼稚に倫理的判断を留保してきた「大人」になれない大人たちの共犯」という表現の端々から出る思い込みも気になる
https://x.com/ushidayoshimasa/status/1801192428428505284?s=46
ハラスメント
磯直樹やべー奴だな。自身も書評でハラスメントされた経験があるのに他人に対してはこういう振る舞いをするんだな
https://x.com/dn_networks/status/1800872677428896128?s=46
反トランスの投稿はこれまで通り賛同の意味で大量の「いいね」が押され、アルゴリズムによって反トランスとは無関係のユーザーにもタイムラインにその投稿が表示される。これにより反トランスがTwitter上の「常識」かのように浸透しユーザーが教化される。
「いいね」の非公開で得をするのは、これまで反トランスに親近感を持つも大手を振るって公開できなかった潜在的シンパたちである。他ユーザーに「いいね」欄が公開されないことで反トランスの投稿に賛意を送ることができる。通知機能が今まで通りの仕様なのであれば、反トランスの大手アカウントにも賛意を送ったことが通知されるため、「表ではトランスジェンダーとその仲間が怖くて何もできないけど、わたしはあなたたち反トランスを応援しています」というシグナルを送ることができる。かくして反トランスの想像的共同体が膨れ上がっていく。
しんどさは平等であるべき