極右のリベラル批判本の輸入が多すぎる
ダグラス・マレーは日本でいう百田尚樹みたいな人なので真に受ける方が間違ってる
https://x.com/soldi79710444/status/1857394657065648388?s=46
親切な研究者の方から、唯物論研究協会編『唯物論研究年誌第29号 特集:ケアと資本主義』(大月書店、2024年)をもらったので読み始めるも、特集冒頭の「ケアと資本主義――特集にあたって」に、
「〈ケア〉の議論が盛んになった背景には、言うまでもなく新自由主義、グローバリズムが進めた市場化、商品化の徹底がある。ケア領域も商品化、市場化の対象となり、ケアの営みは市場や商品としての性格を帯びるようになっている」
――という一節があって、金子ハルオを筆頭として70年にわたって積み上げられてきた「サービス労働論」の枠組みが(たとえそれが瓦礫の山であったとしても)みごとに蒸発しており、「ケアの営みは市場や商品としての性格を帯びるようになっている」って最近そうなったのかよ的な新鮮さで書かれていて、なんとも引っかかってしまい一旦閉じた。
トランスジェンダーの権利・健康に関する勧告は、以下の通りです(※試訳です)。
――――-
[勧告]
42. 女性と健康に関する一般勧告第24号(1999年)および持続可能な開発目標の目標3.1および3.7に従い、世界的な妊産婦死亡率の削減ならびに、性と生殖にまつわる保健医療サービスへの普遍的アクセスの確保について、委員会は締約国に勧告する:
(…中略…)
(f) 2023年の最高裁判決を実装すべく、2003年性同一性障害特例法第3条を遅滞なく改正すること。そして、同法3条の規定により不妊化措置を受けなければならなかったすべての被害者が、賠償を含む効果的な被害回復を受けられるようにすること。
――――--(終わり)
トランスジェンダーの当事者団体である「Tネット」と共に求めてきた、ホルモン治療への公的保険の適用、ならびに受刑者を含む全ての人にとってのホルモン治療へのアクセス環境の改善については、勧告には盛り込まれませんでした。それについては悔しい思いもありますが、上記の通り、幅広いSRHR課題と共にトランスの健康・権利のイシューが勧告に盛り込まれたこと、嬉しいです。
女性差別撤廃委員会からの勧告、SRHR(性と生殖の健康と権利)に関する内容で、かつてないほど充実した勧告が出た!!めーっちゃ泣くほどうれしい!
中絶の配偶者同意用件の撤廃、緊急避妊薬へのアクセス、包括的性教育……私たちがレポートで書いたことがめちゃめちゃ反映されてる。
トランスジェンダーの人たちの戸籍変更のための特例法についても、速やかな改正と、法の求めに応じて不妊化を強いられた人たちの被害回復について勧告が出ました。ほんとに嬉しい。
「大量導入」が限定条件の様に一見見えるけれど、丹菊逸治氏は日本を既に「大量」とみなしているから、仮定ではなく、現在の話をしている。
日本の支援体制や労働環境条件を無視して外国人労働者の導入と、労働環境の悪化の結び付きを、氏は必然の因果の様に語る。
この種の語りは珍しくないのかもしれない。支援に関わる人に採用されている事もあるから。
https://x.com/itangiku/status/1803770694028943479
『マテリアル・ガールズ』、読み始めて24頁のバトラー紹介の初っ端で「バトラーは、人間が意味を持って考えることのできるものはすべて、いわば「端から端まで」、社会的に構築されたものであるという仮説を立てている。その意味するところは、言語以前に物質的事実は存在しない、ということである」とあって、「ええぇっ!?」と驚いて読むのやめた……ここでずれると全部ずれるだろ。それって、『構築主義とは何か』(2001年)でバトラーの「もっとも通俗的な反応」って書いてあったやつでは
この件公表されたんですね
https://note.com/li_kotomi/n/n8826c24bc799
誹謗中傷の記録
よく知りもしないくせに、相手の言うことを尊重せず一丁前にズカズカ言ってくる奴はどこにでもいるものだ
https://x.com/a1a7s3/status/1829342760702476350?s=46
佐藤文香に関する告発
佐藤梓の告発に対する反応を調べていたら出てきた
https://x.com/labyrinth0831/status/1828749270914334981?s=46
星野寄稿へのコメントプラス、今朝見ると執筆者がさらに増えていてまたびっくり。「カルト」規定に疑いがなかったり、「率直に意見を述べて議論をできない社会、それはたしかに民主主義の危機である」と〈民主主義は工場の門前で立ちすくむ〉状況どこ行った?的なものなどを見た。
「傲岸、卑屈、執念――これが階級社会を反映した組織の枠内に必ず起る精神の三位一体である」(埴谷雄高「政治のなかの死」1958年)と、スターリン批判のころからえぐり出されてきた半世紀以上の歴史があるわけで、それを「カルト」性と特徴づけるのはあまりにも平板であるのみならず、〈政治〉にまとわりつくその傾向の普遍性を突き出すよりも、単に外部化と排除しかもたらさない。それこそがまた、絶えず「敵」とのあいだに線を引き続ける、〈政治〉の再生産ではないのか。
しんどさは平等であるべき