笙野頼子『放火予告を「免れて」います』③より 

「マスコミ学術は米帝であり文壇は総督府、頂点に東○大学と朝○新聞がある。その一方現場は私小説からSFまで全部植民地、その中で彼らに与しない作品を書くこと自体が抵抗運動です」
note.com/choeisha/n/na8fe3901d

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笙野頼子『放火予告を「免れて」います』③より 

「ジェンダー主義は女性の抹消、女消しであると共に、表現の自由ばかりか表現それ自体を壊滅させますから。その問題点はノーディベートだけではない。例えば、——主語の簒奪、記述の一貫性の不可能化や破壊、当事者の黙殺、基本的事実の隠蔽等で、これらは文学に必要な時系列や観察、理性、論理、言語に対する死刑宣言となります。なので現時点において、文学=女という程、書き手としてこの問題にこだわっていると、私は私小説目線で主張しています。」

ここで思い出すのは酒井直樹によるクリステヴァ批判。「女が西洋を救う」と主張するクリステヴァの西洋への回帰を酒井は批判するが、その際、批判の力点を置くべきは「女が」ではなく「西洋を救う」の方だと言う。問題はフェミニズムというよりコロニアリズムの方にあるということだ。これを笙野に敷衍するなら、「女が」ではなく「文学を救う」の方に力点を置くべきだということになろう。もっとも、笙野のなかでは「文学=女(=被植民者)」なので敷衍するにはいくつか連立式を立てなくてはならないが。

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