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Twitterの「いいね」機能が非公開になることで喜ぶのはトランスヘイターとそのシンパですよ

ここでは廣瀬純らを批判対象としています。彼らのような左翼が共同体をまなざす際に偏見や見下しがあるのではという仮説。圧倒的弱者、非の打ちどころのない被抑圧者でなければ感情移入できないという左翼の傲慢さの問題

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ロシアがウクライナに侵攻した時、ウクライナも国家だからナショナリズムを煽ってる(のでどっちもどっちだ)と批判されていたが、イスラエルがパレスチナに侵攻した時はそれがない。それはパレスチナがウクライナと同等の国家ではないから、パレスチナを国家より下位の共同体として見下しているからなのでは?

AyaZine さんがブースト

【お知らせ】English Below
シバイバという団体が主催の、社会派短編演劇祭「SEED for the Future vol.1」に、脚本と演劇で参加します!🙌🌟

わたしはチームBの、「眠られぬ九月の夜よ」という劇を書きました。関東大震災後の朝鮮人虐殺をテーマとした短編演劇です。

なお、ご予約いただく場合は、備考欄に「眞鍋せいら」とご記入ください。

◆公演期間◆
2024年6月25日 - 6月30日
(なお、チームBの公演日は、そのうち6/25, 6/27, 6/29です。ご注意ください。)

◆会場◆
築地本願寺ブディストホール(東京都中央区築地3-15-1 築地本願寺内第一伝道会館2F)

◆チケット◆
一般の方向けのチケット料金は1枚4,400円(1公演分)となっております。

◆購入方法◆
チケット予約開始しています!
予約ページ:ticket.corich.jp/apply/322373/

(画像のALTですが、いま主催に問い合わせているため、申し訳ありませんが少しお待ちください)

「時間-空間の圧縮」の現代に生きる人々は、世界の悲しみを受け止めるにはあまりにも距離が近すぎる。

運動家は平時、言い換えると出来事が起きる前からその出来事に連なる歴史を受け止め、その歴史のなかで自らの行動がどのように位置付けられるのか、そこに自分なりの理解と回答を示すものだ。ところが、運動経験が浅いなかで危機が起こりそこに身を投じる必要に駆られた者たちは、自らの行動が世界全体の運動のなかでどこに位置付くのか、それを自分なりに咀嚼しないまま突っ走ってしまう。そうするとそれらの者たちの思考は身近なところから調達可能な資源や思想を急いでかき集めた出来合いのものをこしらえるしかなく、思いついたまま行き当たりばったりの行動を起こしてしまう。本来はそのような制約のなかで衝突や妥協を繰り返し人格を陶冶していくものだが、理想通りに事が運ばないと関係を断絶し、場をかき乱すだけ掻き回してそれを片付けるだけの責任を取ることもなく内に籠り経験を陶冶する機会を逸する者も少なくない。運動に関わる者が持つべき最低限の心構えとは、自らの思想や行動が、その目的や歴史、経験と照らし合わせてどのように位置づけられるのかを自問することなのかもしれない。

時間と空間というテーマの重要性、ジョン・アーリが何を考えたかったのかということが少しずつわかってきたような気がする

過去の運動では事件を消費することに対する倫理的抵抗が検討され、消費するのではない連帯のあり方を模索することができた。少なくとも、そうするための時間と空間を確保することができた。また、空間的に遠い場所の出来事を客観的に捉え相対化すること、すなわち文字通り出来事から「距離を取る」こともできた。しかし、時間と空間が圧縮された現代では、次から次へと流れてくる情報を素早く峻別し行動につなげることが求められる。また、情報の即時性が強いために「距離の消滅」が起こり、出来事から適切な距離を取ることができない。距離を取るには出来事があまりにも近すぎるのだ。このような状況では、出来事を消費することの是非が検討されず、それどころかそれを検討すること自体が非倫理的だとみなされる。出来事から適切な距離を取ることは冷笑的態度であるとされ、そんなことをしている暇があるなら遠い場所にいる人々のためにすぐに行動すべきだという価値観が新たな倫理として前面化する。しかし、そのような価値観と出来事の近すぎる距離が依拠する土台とは、他ならぬ現代資本主義の経済と価値観なのである。これを相対化することは、現代の社会運動に関わる人々には厳しいのだろう。

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「時間-空間の圧縮」という点に重きを置くことで明らかになる現代の社会運動の問題とは、出来事が消費されること、そしてそれを問題だとみなす倫理的価値観が低下することではないか。

インターネット普及以前の運動は、遠い場所で起こった事件が即時的に伝わらないことで、その事件を十分に受け止めて考え行動する時間があった。一方で、遠い場所で起こった出来事がすぐさま伝えられ拡散される現代では、その事件を自分のなかで十分に落とし込み行動することよりも、その事件にいかに早く反応し動くかが重要だとみなされる。もちろん、テレビや新聞などのメディアによる即時性はそれら普及以前の社会に比べるとまったく異なるものではあるが、しかし、インターネットメディアの同時性、流動性はテレビや新聞とは比べものにならない。

岩波には反トランスの編集者がいるので、『世界』への誹謗中傷で今後トランスの記事を出さないとなったらもうおしまいだ。なんとか踏みとどまってほしい

法学者の齊藤笑美子について何かの折に注意を向けたことがある気がするがあまり記憶がない。怪しげな論文よろしく例の森田の投稿にも👍していたので反トランスに傾きつつあるだろう

トランス差別に加担するNPO 

NPOの運営者は碌でもない奴ばかりだ
x.com/hopetrue/status/17995896

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アジテーターになりたいなら高島鈴のアジテーションを見習え

まずお前らの言う「過激」の中身をちゃんと説明してくれよ。党派争いのためのマジックワードとして使うな

大事なところを外している。もっと違うところを気にしたらどうかね。

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トランス差別に加担するNPO 

「逸脱」を直ちに危険だとみなす人たち
npo-gina.org/blog/2023/03/2012

竹田まなさんの件といい、訃報が続いて哀しい

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