「『判断力批判』における生物学的内容についてのわれわれの最終評価は、以下のようになる。人間とその行動に関して、カントは明らかに生気論者であったが、有機体に関して彼は、なお問題含みであった。彼は、静的および動的目的論の論理的な違いについて、常に意識していたわけではないし、自然科学のあるべき形についての彼の理想と、自身の生気論とは非常に矛盾したものであり、カントはこれに満足してはいなかった。その理想は誤った厳格な機械論であり、そこでは(まったく不思議なことに、われわれは歴史的観点からそう読みうるのに)魂のための活動空間はあるのに、魂に似た自然の作用因については存在していなかった」75-6頁
「生物学の基本問題に対するカントの態度…全体をまとめると、彼の主張は以下のことを支持しているようにみえる。 第1に、純記述的で、もっぱら規制的判断をする目的論。それは、正当な基盤を挙げることなく、それ以上の究極目的を求める原理に立つことを遮断するものである。 第2に、生気論。ただしこれはカントが、すべての自然現象は先行する運動現象に究極的に還元できる、とするドグマに彼がとらわれており、同時にこの仮定が生命体に関するかぎり支持できないからである、と思える。 第3に、静的目的論、もしくは力学的に生じるすべての基礎の上にある一定の構造の理論である。この見解はカントの表現の意味合いにより、第2の立場に近いものを意味しているのは事実である。例外は、ここでも生気論的な意味で、その活動的存在ゆえに、人間が挙げられている」74頁
「[『判断力批判』の]カントが拒否したのは、以下のことである。第1に、有機体は作られた機械であること、第2に、それは特殊な物質から導き出されること、第3に、それが特殊な生気論的法則に従っていること、である。だが私が見るところ、カントは有機体をこの種の特殊な法則に帰属させていた。この3つの否認から(またこれを、構成論的世界に関するカントの結論と調和させることで)、彼が、有機体を一定の機械に格下げし、かつその起源は研究できない課題であると考えた、と推論できることになる。ここでカントは、人間を例外扱いしていることを除いては、『静的目的論者(static teleologist)』である」67頁
「さらなるステップが、シカゴでロイ・グリンカー議長の下で1952年から1957年まで継続して開かれた『システム理論会議』によって多大な影響を受けた。アイデアが私にとって重要だった数人の参加者の中でも、社会性昆虫生物学者のアルフレッド・エマーソンが際立っていた。いくつかの著作も含む彼が言ったことは、キャノンのホメオスタティックな視点への私の好みを強めた。しかし彼は私を強く傾かせるようなやり方で語ったものの、私は、生命システムだけでなく他の多くの種類のシステムにおいても、当時勃興しつつあったサイバネティック・コントロール概念を選好したというのもあったのではないか、と考えている。この後者が、私の思考の支配的テーマとなったのである」p.831.
Parsons, Talcott. (1970) “On Building Social System Theory: A Personal History,” Daedalus Vol.99, No.4, pp.826-81.
社会学と誤用進化論😅を中心に読書記録をしてをります
(今はストーン『家族・性・結婚の社会史』1977年)
背景写真はボルネオのジャングルで見た野生のメガネザル
https://researchmap.jp/MasatoOnoue/