「ベアは一見したところ、真の生気論者で、単なる静的目的論者ではない。彼は両者の基本的な違いに気づいてはいないが、こうも述べている。『生命の過程全体は、物理・化学的現象の結果ではなく、これを制御するものによる』。 …ベアの貢献を、もう一点言及しておく。それは、ダーウィン主義者の言う『生物発生原理(biogenetic principle)』を、発生の歴史が『一般的なものからより特殊な関係に移行するもので、1つの特殊な関係が他に移行するのではない』ことを指摘して、訂正したことである。 …攻撃や誤解をたくさん含んではいるが、実はベアには生気論的な考え方が維持されている」141-2頁
「真の生気論、少なくとも生命の形態について目的論的な考え方に言及している思索家以外で、注目してよい人間としては、晩年の[フォン]ベアがいる。彼は、1860年代〜70年代に、講演や講義の中で繰り返しその見解を説いた。 古典的生気論の中でのベアが果たした役割は二次的である。…目的論的な説明を採用する中で、ベアはダーウィン主義への反対陣営に加わった。 …彼の主張内容を、はっきりした考え方として切り出すのは、実に難しい。彼は、生命過程を有機的な構成の結果とは見なさず、『有機体それ自身が構成し変換するリズムとメロディー』と言っているのである。生命過程を『自身の体を自ら作り上げる創造的思考』と定義したり、型と特殊性との連関を彼は『調和とメロディー』だとするのだが、これなどは単なる比喩でしかない。 ベアは、刺激を『なにか初源的なもの』以上には明らかにしなかった。それは身体の構成から生まれるのではなく、『生命過程を完成させるもの』として、その上位に位置する。幸いなことに彼は、『良心』を『本能の最高形態』と呼ぶのである」140-1頁
リービヒ「無機的な自然の力に関する知識が不充分であるために、有機物における特殊な力の存在はしばしば否認されてきた。この特殊な力は、無機的力の本性に抗し、その法則に矛盾する行動様式をもつ無機的な力に帰されてきた。その存在をあえて否定する人は、あらゆる化学的な結合は1つではなく、3つの原因、つまり熱と親和性に加え、凝集と結晶化における『形成力(formation forces)』が前提とされている事実に対して無知である」 「生体の中には、凝集力の優位にたち、元素を新しい形態へと結合させる第4の原因がさらにつけ加わる。それは、新しい質——生体の中を除いては出現しない形態と質を、獲得するためのものである」108頁
「すべての物質は組織化されて、常に変化している。しかし、その組織化と変化において、変化の原因となる外部の影響が変化しないかぎり、永続する何かがある、という説である。生体の物質もその例外ではない。たとえば不可侵入性がそれである。トレビラヌスに言わせると、生体組織を構成している生体物質が例外であるのは、単に表面的なものであるにすぎない。宇宙の渦巻きから生じる自然を救うためには、宇宙の波動を打破するダムのようなものが在るはずである。これを媒介する力は、物質の可能性にとって必要な第一義の力ではない。『それゆえわれわれは、第一義的な力からこれを区別して、生命力(vis vitalis)と呼ぶ』」91頁
「トレビラヌスが初めて、生物学という言葉を、生き物についての理論全体を意味するものとして用いたことは、注目に値する。『われわれの研究の対象は、生命として違いを示す形態と現象、その事態が起こる条件と諸法則、それを生み出す原因についてである。これらの事柄に関わる科学を、生物学もしくは生命の理論と命名することにしよう』」90頁
どっちなんすかね…😅
https://twitter.com/9w9w9w92/status/1335908761458757634?s=61&t=respR7r04qX1B_3D9mrIuA
社会学と誤用進化論😅を中心に読書記録をしてをります
(今はストーン『家族・性・結婚の社会史』1977年)
背景写真はボルネオのジャングルで見た野生のメガネザル
https://researchmap.jp/MasatoOnoue/