新しいものを表示

「アリストテレスと同様、ハーヴェイもまた、素朴な生気論者であった。彼は、経験を通して自然について彼が見つけたものを言語化しようと努力した。明らかにこの経験は彼の説に、特別な生気論的自律性をもたらした。
…ハーヴェイの理論的成果はあまり影響力をもたなかったが、その後ほぼ1世紀にわたって生気論的課題の権威と見なされ、その後継者の見解と比べると、より基本的で注意深い主張であった」20頁

スレッドを表示

「ルネサンス期の偉大な哲学者によって、自然の全理論は力学の影響下に入り、力学的なものになった。そして生命観も力学化した」14頁

スレッドを表示

「アリストテレスの生命論体系の重要性を強調しすぎることはない。プラトンに基礎を置いてはいるが、アリストテリス自身による論理の厳密化によって、自然への考察に対するプラトンの影響を拒否する結果になっている。彼は、エンテレキー概念によって、プラトンには欠けていた、イデーと現実との連関について考察した」12頁

スレッドを表示

「アリストテレスの生命観は純粋な生気論であり、純粋に生命現象の全体的考察から生まれ、何か別の学説に対する論争の産物ではないゆえに、私はこれを、原始的もしくはナイーブな生気論と呼びたい。…彼は、デモクリトス派の唯物論から批判され、後のエピキュロス派の学説も彼に対する対抗説の一翼をになった」11頁

スレッドを表示

「魂はエンテレキーと同じように体を組織化する…アリストテレスはここ[『霊魂論』]で再度、魂はすべての生きるものの原理であることを確認する。それは、最も広い意味において魂とは、後に、『生存と器官を保持する能力を内にもった生命体の第1の現実である』、という有名な定義にたどり着く、伏線である」9頁

スレッドを表示

「エンテレキーは、それが現実のものになっていないにしても、言葉のもっとも高度な意味で『在る』のである。この意味において、彫像は、現実化する前に彫刻家の心の中に存在する。エンテレキーの概念は、ダイナミクスの概念よりは、現在の可能性の概念と、完全ではないにしろ、対応している」6頁

スレッドを表示

「科学的『生気論』の最初の主張者が、今日で言うところの、形態形成もしくは発生学の諸問題をその出発点としている事実は、実に興味深い。この意味ですでに、アリストテレスは生気論者の典型である。彼は古典時代と中世を通じて生気論の典型的人物であるだけではなく、最近に至るまで全生気論の先駆者でもあった。動物の運動における調整現象に加えて、胚からの形態形成の現象は、常にすべての生気論の出発点であった」4頁

スレッドを表示

「歴史上、典型的な生気論的説明という点で、アリストテレスは、全歴史を通じて、古典派の代表的人物と見なすことができる。それどころか、彼の生命現象に対する考え方が、18世紀に至るまでのすべての理論の基盤となった点で、彼は中世および近代初期における生命概念をも代表する地位にあると考えられる。つまり、生命に関するアリストテレスによる理論的研究は、生物学史全体の中での要石でもある」3頁

スレッドを表示

「静的目的論(static teleology)と動的目的論(dynamic teleology)…
 静的目的論は、有機体の力学説(mechanistic theory)に基づいた立場である。これによると、生命過程やその秩序は、他のいたるところに妥当する法則による、世界の一般的秩序の特殊なケースに過ぎない。その集合体のそれぞれすべての要素は、自然の同じ要素から偶然そう成り立っているのであり、それらの過程はまとまって結果的に『生命』となっている。この見解に従えば、生命とは単なる組み合わせに特徴があるのであり、何か特殊な法則性によるものではない。…
 動的目的論はよく言われているように生気論(vitalism)の立場をとる。この立場は『生命過程の自律性』の認識に向かう」xvii

スレッドを表示

「ある過程を合目的的と表現するためには、目標の概念と連動している必要があること、目的論の概念はさまざまな過程に拡張されること、そしてその拡張は生命現象に限られること、少なくとも狭義の自然対象に関わるものに限られること、である。なぜなら、目標が存在することを任意に仮定しうるのは、もっぱら生命に関係した場合であり、ともかく限定条件をつけずに考察できるからである」xv

スレッドを表示

「私は、合目的性を、大半の動物の運動、それが実際に行動と呼びうる一群の高等動物のそれらに対してだけではなく、本能や反射などその固定性から普通は行動とは言わないものまでに広げる。…
 こうして最終的には、何らかの意味で目的をもち、ある一点に向かっていると見なしうる、純粋に記述的な概念である合目的性の下に置くことができる、生命現象のすべてを把握することになる」xiv

スレッドを表示

「生気論の主たる課題は、生命の過程が合目的的(purposive)であると言うことは、正しいのか、にあるのではない。そうではなくて、生命の過程における合目的性が、無機的科学にとっては既知である要素の特殊な配置の結果であるのか、それともそれ自身に特有な自律性(autonomy)の結果であるのか、という点にある。というのも事実問題として、生命現象に合目的性が大いに存在することは、目的の概念定義そのものと、この定義を生物に適用することから、直接的に演繹されることだからである」xiii

スレッドを表示

Driesch, Hans. (1914) The History and Theory of Vitalism, Macmillan.
=2007 米本昌平訳「生気論の歴史と理論」1-226頁

スレッドを表示

「彼[フランシス・クリック]は、1966年に遺伝暗号表の解読がほぼ終わったのを見届けると、新たな課題を求めて脳研究へと移っていった。これと同時に彼は、猛烈な生気論批判を開始した。『正確な知識は生気論の敵である』という一文で始まるクリックの書、『分子と人間(Of Moelcules and Men)』(1966年)の主張は、きわめて明快である。彼はここで、生命現象のあらゆる次元で、物理・化学で説明しえない部分をいささかでも認めようとする同時代人の見解いっさいを、生気論と裁断し、非難したのである」345頁

脳研究に移ったクリックが見出したのが、若きクリストフ・コッホですた

スレッドを表示

「いわゆる生気論者が問題にしたのは、エントロピー拡大をするエネルギーの第2法則に関してであり、情報量が負のエントロピーとして定義されたことで、現在から見ればこの問題は決着をみたことになる。エンテレキー抜きの生命観を展開したベルタランフィは、より一般的な理論化をめざした『一般システム論』(1968年)を提唱することになる」344頁

スレッドを表示

「エルヴィン・シュレデインガーは、名著『生命とは何か』(1944年)で、『生命は負のエントロピーを食べて生きている』と表現して、課題のありかを指し示した」344頁

スレッドを表示

「結局、ベルタランフィは『エンテレキー抜きのドリーシュ』という生命観を語ることに徹することで、知的社会の中での正当性を得るのに成功していった」343頁

スレッドを表示

ハンス・ライエンバッハ「何よりもわれわれは、ドリーシュがエンテレキーなる概念の導入によって彼の実験に与えたところの形而上学的説明を、まったく支持できないものとして否定しなくてはならない。エンテレキーとは、有機体の発生の目的規定性を因果的因子と同じような意味において、もち上げるよう作為された、欺瞞的構成物以上の何ものをも意味しない」341頁

スレッドを表示

「戸坂[潤]は、ドリーシュの新生気論を詳しく紹介した後、その結びで、『有機体には無機物とは質的に異なった性格がそなわっており、したがってそこには固有な法則(自律性)が支配する。この質的相違が生物の合目的性として、われわれの問題になってきたのであった』…としている」339頁

スレッドを表示

「『有機体の哲学』の成功によって、ドリーシュは1910年代〜30年代における生物学的思想と哲学一般に、無視できない影響を与えた。哲学的な広がりについてここでは詳述しない。動物学者のヤコブ・フォン・ユクスキュルの名前だけをあげておく。…そもそも、ドリーシュの独我論と現象学とは、その哲学的な姿勢がよく似ており、フッサールはこの本[『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』]の冒頭で、ドリーシュとまったく同じ意味でエンテレキーという言葉を使用している。『人間性そのもののうちにエンテレキーとして本質的にふくまれていたものが、ギリシャ的人間においてはじめて発現するにいたったのではないのか、が決定されるであろう』」337-8頁

スレッドを表示
古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。