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「環境変化に対する生命の適応と内的恒常性の維持は、すべて…フィードバックループによって実現される。柔よく剛を制す。まさに『柔らかな』相補性が生命の可変性を担っているのである」184頁

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「『柔らかな』相補性は、工学的に見れば、結合力の高い堅牢な組み立てに比べ、耐久性の点で劣るように見える。またピース自体が常々作り変えられる点も非効率的・消費的に見える。しかしそうではない。秩序を保つために秩序を破壊しつづけなければならないこと、つまりシステムの内部に不可避的に蓄積するエントロピーに抗するには、先回りしてそれを壊し排出するしかない」181頁

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「生命とは動的平衡にある流れである。生命を構成するタンパク質は作られる際から壊される。それは生命がその秩序を維持するための唯一の方法であった。しかし、なぜ生命は絶え間なく壊され続けながらも、もとの平衡を維持することができるのだろうか。その答えはタンパク質のかたちが体現している相補性にある。生命は、その内部に張り巡らされたかたちの相補性によって支えられており、その相補性によって、絶え間のない流れの中で動的な平衡状態を保ちえているのである」178頁

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「<秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。>
…シュレーディンガーの『生命とは何か』で、彼は…すべての物理現象に押し寄せるエントロピー(乱雑さ)増大の法則に抗して、秩序を維持しうることが生命の特質であることを指摘した。しかしその特質を実現する生命固有のメカニズムを示すことはできなかった。
…エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのである。つまり流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになるのだ。
 私はここで、シェーンハイマーの発見した生命の動的な状態(dynamic state)という概念をさらに拡張して、動的平衡という言葉を導入したい。この日本語に対応する英語は、dynamic equilibrium…である。…
 自己複製するものとして定義された生命は、シェーンハイマーの発見に再び光を当てることによって次のように再定義されることになる。
 〈生命とは動的平衡にある流れである〉」166-7頁

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「私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい『淀み』でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が『生きている』ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる。…
 シェーンハイマーは…自らの実験結果をもとにこれを『身体構成部分の動的な状態(The dynamic state of body constituents)』と呼んだ。彼はこう述べている。

 生物が生きているかぎり、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である」163-4頁

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「シュレーディンガーは、生命が、エントロピー増大の法則に抗して、秩序を構築できる方法のひとつとして、『負のエントロピー』という概念を提示した。エントロピーがランダムさの尺度であるなら、負のエントロピーとはランダムさの逆、つまり『秩序』そのものである。
 生きている生命は絶えずエントロピーを増大させつつある。つまり、死の状態を意味するエントロピー最大という危険な状態に近づいていく傾向がある。生物がこのような状態に陥らないようにする、すなわち生き続けていくための唯一の方法は、周囲の環境から負のエントロピー=秩序を取り入れることである。実際、生物は常に負のエントロピーを ”食べる” ことによって生きている」149頁

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「生物は、自力では動けなくなる『平衡』状態に陥ることを免れているように見える。もちろん生物にも死があり、それは文字通り生命という系の死、エントロピー最大の状態となる。しかし、生命は、通常の無生物的な反応系がエントロピー最大の状態になるのよりもずっと長い時間、少なくともヒトの場合であれば何十年もの間、熱力学的平衡状態にはまり込んでしまうことがない。その間にも、生命は成長し、自己を複製し、怪我や病気から回復し、さらに長く生き続ける。
 つまり生命は、『現に存在する秩序がその秩序自身を維持していく能力と秩序ある現象を新たに生み出す能力をもっている』ということになる」148頁

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「私は、現存する生物の特性、特に形態の特徴のすべてに進化論的原理、つまり自然淘汰の結果、ランダムな変異が選択されたと考えることは、生命の多様性をあまりに単純化する思考であり、大いなる危惧を感じる。
 むしろ、生物の形態形成には、一定の物理的な枠組み、物理的な制約があり、それにしたがって構築された必然の結果と考えたほうがよい局面がたくさんあると思える」144-5頁

急にエボデボめいた話に😅

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「生命現象に参加する粒子が少なければ、平均的なふるまいから外れる粒子の寄与、つまり誤差率が高くなる。粒子の数が増えれば増えるほど平方根の法則によって誤差率は急激に低下させうる。生命現象に必要な秩序の精度を上げるためにこそ、[シュレーディンガーの言う]『原子はそんなに小さい』、つまり『生物はこんなに大きい』必要があるのだ」143頁

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「シュレーディンガーは『生命とは何か』の中できわめて重要な2つの問いを立てていた。ひとつ目は、遺伝子の本体はおそらく非周期性結晶ではないか、と予言したことである。ふたつ目は、いささか奇妙に聞こえる問いかけだった。それは『なぜ原子はそんなに小さいのか?』というものだった」132-3頁

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「生命というあり方には、パーツが張り合わされてい作られるプラモデルのようなアナロジーでは説明不可能な重要な特性が存在している。ここには何か別のダイナミズムが存在している。私たちがこの世界を見て、そこに生物と無生物と識別できるのは、そのダイナミズムを感得しているからではないだろうか。では、その ”動的なもの” とは一体なんだろうか。
…ルドルフ・シェーンハイマー…は、生命が『動的な平衡状態』にあることを最初に示した科学者だった。私たちが食べた分子は、瞬く間に全身に散らばり、一時、緩くそこにとどまり、次の瞬間には身体から抜け出て行くことを証明した。つまり私たち生命体の身体はプラモデルのような静的なパーツから成り立っている分子機械ではなく、パーツ自体のダイナミックな流れの中に成り立っている」7-8頁

古来より我々ホモ・サピエンスは生物と無生物をそれほど截然と「識別」できておらず、むしろ無生物の中に生物的なもの、さらには何らかの意図を嗅ぎ取ろうとする認知バイアスを備えてきたんだけどなあ(宗教等の起源)…あと「動的平衡」という言葉を専売特許のように使ったのはシェーンハイマーではなく、「一般システム理論」の生物学者フォン・ベルタランフィーのはず(その辺を福岡は知らぬはずはなく、意図的に混同させてるのかな?)

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「分子生物学的な生命観に立つと、生命体とはミクロなパーツからなる精巧なプラモデル、すなわち分子機械に過ぎないといえる。デカルトが考えた機械的生命観の究極的な姿である。生命体が分子機械であるならば、それを巧みに操作することによって生命体を作り変え、”改良” することも可能だろう」5頁

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福岡伸一(2007)『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書

これサントリー学芸賞を獲って、著名アスリートや企業経営者にかなり読まれてるんだよなあ…為●さんとか富士フ●ルム古森さんとか(生物学者で評価している人はたぶんいないと思いますが😅)

「動的平衡とは、合成と分解、酸化と還元、切断と結合など相矛盾する逆反応が絶えず繰り返されることによって、秩序が維持され、更新されている状況を指す生物学用語で、私が生物学者として生命を捉えるとき、生命を生命たらしめる最も重要な特性だと考えるものである。
 だから生命とは何かと問われたら、躊躇なく、それは動的平衡にあるもの、と定義することになる。動的平衡ゆえに、生命は、柔軟で、適応的で、可変的で、傷つけば回復し、問題があれば修復できる。動的平衡ゆえに生命はこの地球上に出現して以来、38億年の長きにわたって連綿と存続してきた。
 動的平衡とは、”生命が変わらないために変わり続けている” ことでもある。その意味で、動的平衡はある種の有機的組織論とも言える」316頁

読了。内容は大して変わらないのに、ベルグソンに比べてはるかに読みやすかった(売れるわけですな😅)…しかしもう、お腹いっぱい😅

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「生命、自然、環境——そこで生起する、すべての現象の核心を解くキーワード、それが《動的平衡》(dynamic equilibrium)だと私は思う。間断なく流れながら、精妙なバランスを保つもの。絶え間なく壊すこと以外に、そして常に作り直すこと以外に、損なわれないようにする方法はない。生命は、そのようなあり方とふるまいを選び取った。それが動的平衡である」315頁

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「生命は開いた円弧であるときのみ、そして分解が合成をわずかに先回りするときのみ、生命たりうるのである。それが閉じた完全な円となってしまえば、つまり合成と分解の駆け引きによる動的な流れが消えたとき、生命は単なる物質と化し、下るべき坂を下るしかなくなる」311-2頁

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「ベルグソンの弧において、分解がわずかに合成を上回って起こり続けるとすれば、その帰結として生じることは、円弧は坂を登り返しつつありながら、刻一刻、その全長を少しずつ短くせざるを得ない、ということだ。円弧は物質の下る坂を登りつつ、少しずつその長さを縮め、エントロピー増大の法則に部分的に抗しつつも、徐々に小さくなって最終的に消滅してしまうことになる。ここに生命の有限性の必然があるのではないだろうか。同時に有限性があるゆえに、そこに時間の経過が(あえて踏み込めば時間の発生が)あるのではないだろうか。…
…ここでもまた分解と合成という逆反応の動的平衡が成立している。そして重要なことは、この動的平衡の現場でも、わずかに分解のほうが、つまりテロメアの短縮のほうが勝っているとうことである。このことが生命の時間を限局しているとともに、生命の秩序、物質の下る坂を登り返すことに寄与しているのである」308-11頁

ベルグソンの弧の短縮という純粋概念上の出来事と、テロメアの短縮という現実で起きている現象とは、見かけ上似ているだけで全然別ものだと思いますが…何かもう、ムチャクチャですな😅

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「ベルグソンの弧は、細胞のあちこちで実際に常々作動しているのだ、そして合目的な運動と動的な構造を、つまり秩序を細胞にもたらしている。すなわち物質の下る坂を登り返している。かくなる現象は生命のさまざまな局面で観察することができる。
 分解と合成の逆限定、つまり互いに他を規定しつつ、協同している現象は、生命を俯瞰すると枚挙にいとまがない」307-8頁

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「合成と分解を同時進行させながら、その同時進行において、わずかに分解が合成を先回りしたとき、一瞬、平衡バランスが崩れ、揺らぎがエントロピーの減少する方向に起こりうる。もちろんすぐに平衡はエントロピーが増大する方向に戻ろうとする。このときまたわずかに分解が合成を先回りし、再び揺らぎを作る。このように分解と合成のプロセスが逆方向に同時・連続的に起こりつつも、常にわずかに分解が先回りするとき、生命の環たる円弧は、物質が必然的に下るべき坂をゆっくりと登り返すことが可能になる。
 これを動的平衡と呼ばずしてなんと呼ぶべきだろうか。坂を登り返す、この動的な円弧を、ベルグソンの弧(Bergson’s Arc)と名付け、動的平衡の数理的な概念モデルとしてここに提案したい」302-3頁

ベルグソン自身は弧の話にはしてねえけどなあ…😅

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「生命は合成と分解を絶え間なく行っている動的平衡としてあること、その中で、合成すること以上に分解することに専心していること、ある意味では、合成を『先回り』する形で分解を最優先に行っていること、そのためのシステムを二重三重に備えていること」299頁

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