「シュレーディンガーは『生命とは何か』の中できわめて重要な2つの問いを立てていた。ひとつ目は、遺伝子の本体はおそらく非周期性結晶ではないか、と予言したことである。ふたつ目は、いささか奇妙に聞こえる問いかけだった。それは『なぜ原子はそんなに小さいのか?』というものだった」132-3頁
「シュレーディンガーは、生命が、エントロピー増大の法則に抗して、秩序を構築できる方法のひとつとして、『負のエントロピー』という概念を提示した。エントロピーがランダムさの尺度であるなら、負のエントロピーとはランダムさの逆、つまり『秩序』そのものである。
生きている生命は絶えずエントロピーを増大させつつある。つまり、死の状態を意味するエントロピー最大という危険な状態に近づいていく傾向がある。生物がこのような状態に陥らないようにする、すなわち生き続けていくための唯一の方法は、周囲の環境から負のエントロピー=秩序を取り入れることである。実際、生物は常に負のエントロピーを ”食べる” ことによって生きている」149頁
「私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい『淀み』でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が『生きている』ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる。…
シェーンハイマーは…自らの実験結果をもとにこれを『身体構成部分の動的な状態(The dynamic state of body constituents)』と呼んだ。彼はこう述べている。
生物が生きているかぎり、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である」163-4頁
「<秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。>
…シュレーディンガーの『生命とは何か』で、彼は…すべての物理現象に押し寄せるエントロピー(乱雑さ)増大の法則に抗して、秩序を維持しうることが生命の特質であることを指摘した。しかしその特質を実現する生命固有のメカニズムを示すことはできなかった。
…エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのである。つまり流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになるのだ。
私はここで、シェーンハイマーの発見した生命の動的な状態(dynamic state)という概念をさらに拡張して、動的平衡という言葉を導入したい。この日本語に対応する英語は、dynamic equilibrium…である。…
自己複製するものとして定義された生命は、シェーンハイマーの発見に再び光を当てることによって次のように再定義されることになる。
〈生命とは動的平衡にある流れである〉」166-7頁
「さまざまな分子、すなわち生命現象をつかさどるミクロなジグソーパズルは、ある特定の場所に、特定のタイミングを見計らって作り出される。そこでは新たに作り出されたピースと、それまでに作り出されていたピースとの間に、形の相補性に基づいた相互作用が生まれる。その相互作用は常に離合と集散を繰り返しつつネットワークを広げ、動的な平衡状態を導き出す。一定の動的平衡状態が完成すると、そのことがシグナルとなって次の動的平衡状態へのステージが開始される。
この途上の、ある場所とあるタイミングで作り出されるはずのピースが1種類、出現しなければどのような事態が起こるだろうか。動的な平衡状態は、その欠落をできるだけ埋めるようにその平衡点を移動し、調節を行おうとするだろう。そのような緩衝能が、動的平衡というシステムの本質だからである。平衡は、その要素に欠損があれば、それを閉じる方向に移動し、過剰があればそれを吸収する方向に移動する」263頁
「生命という名の動的な平衡は、それ自体、いずれの瞬間でも危ういまでのバランスをとりつつ、同時に時間軸の上を一方向にたどりながら折りたたまれている。それが動的な平衡の謂いである。それは決して逆戻りのできない営みであり、同時に、どの瞬間でもすでに完成された仕組みなのである。
これを見出すように操作的な介入を行えば、動的平衡は取り返しのつかないダメージを受ける。もし平衡状態が表向き、大きく変化しないように見えても、それはこの動的な仕組みが滑らかで、やわらかいがゆえに、操作を一時的に吸収したからにすぎない。そこでは何かが変形され、何かが損なわれている。生命と環境との相互作用が一回限りの折り紙であるという意味からは、介入が、この一回性の運動を異なる岐路へ導いたことに変わりはない。
私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのである」284-5頁
がんと闘うな近藤的な結末😅 人類史上延々と続けられ多大な効果を上げてきた家畜化・栽培化による「自然」の改変(人為淘汰)をどう考えてんのかねえ
「生命現象に参加する粒子が少なければ、平均的なふるまいから外れる粒子の寄与、つまり誤差率が高くなる。粒子の数が増えれば増えるほど平方根の法則によって誤差率は急激に低下させうる。生命現象に必要な秩序の精度を上げるためにこそ、[シュレーディンガーの言う]『原子はそんなに小さい』、つまり『生物はこんなに大きい』必要があるのだ」143頁