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「サイバネティックスの立場からみれば、世界は一種の有機体であり、ある面を変化させるためにはあらゆる面の同一性をすっかり破ってしまわねばならないというほどぴっちり結合されたものでもなければ、任意の一つのことが他のどんなこととも同じくらいやすやすと起るというほどゆるく結ばれたものでもない。それは、ニュートン的物理学像の剛性を欠くとともに、真に新しいものは何も起り得ない熱の死滅すなわちエントロピー極大状態の全く筋目のない流動性をも欠く世界である。それは過程の世界である。しかも、過程が到達する終局の死の平衡のそれでもなく、ライプニツのそれのような予め定められた調和によってあらゆることが前もって決定された過程の世界でもない。
…知識は生命の一つの面である。そして生命はいやしくも説明さるべきものであるならば、われわれが生きている間に説明されねばならない。生命とは、永遠の形相のもとにおける存在の過程ではなく、むしろ個体とその環境との相互作用である」233頁

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「社会学と人類学は主としてコミュニケーションの科学であり。したがってサイバネティックスという一般部門に属する。社会学のうちで、経済学と呼ばれる一分科は、他の諸分科と比べて価値の数量的な取り扱いがよほどやりやすい点で特色があるが、この分科は社会学自体のサイバネティックス的性格のために、やはりサイバネティックスに属する。これら総べての分野は、その多くがまだ数量的な取扱いの点で精密さが足りないためサイバネティックスという大きな学問の数学的道具を十分利用できないとはいえ、サイバネティックスの一般的思考様式を共にしている。
 サイバネティックスは、これら既成の諸科学において果す機能のほかに、科学そのものに対する考え方、とくに、科学方法論および認識論の分野に必ず影響をあたえるはずである。先ず第一に、サイバネティックスと私の初期の研究にはっきりあらわれている統計的観点は、秩序または規則性というものに対する新しい見方をとらざるをえなくさせる。…かりにわれわれが因果関係の大きさというものをはかることができるとするなら…それができるのは、宇宙が完全にぴちっとした構造でなく、さまざまな領域で小さな変動がありうるような構造であるからこそのことである」232-3頁

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「通信は決して人類に限られたものではない。なぜなら、それは程度の差はあるが、少くとも、哺乳動物や、鳥や蟻や蜜蜂にも見られるからである。しかし…さまざまな通信手段があるとはいえ、人間の言語は動物のものよりはるかに発達しており、はるかに融通のきくものであり、そこには全く異った種類の問題が提出されている。
…言語の各種の面に割当てられていると思われる脳の領域が非常に広いことは、高度に発達した通信手段が人間にとって圧倒的に重要なものであることを立証している。…
 通信は社会のセメントである。…社会をして社会たらしめている本質は、より大きな有機体の中でこれらの個人が行う親密な相互作用である。社会はそれ自身の記憶をもっている。この記憶はその社会に属するどの個人の記憶よりずっと永続的であり、ずっと多様である」231-2頁

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「われわれは組織の解体の大奔流にさからって泳いでいる。そしてこの奔流は万有を熱力学の第2法則が示す熱の死滅すなわち万物の平衡と斉一の状態へ向って押し流している。マクスウェルやボルツマンやギッブズが物理学においてこの熱の死滅という言葉で指したものはキールケゴールの倫理学のなかにその対応物をもつ。すなわちキールケゴールは、人間は混沌たる道徳世界に住んでいると指摘したので有る。この混とん[ママ]世界の中で、われわれのなすべき第一の仕事は自由意思による秩序と制度(体系)の飛び領地をつくることである。この飛び領地は、ひとたび樹立されれば、それ自身のはずみによっていつまでもそこに留まってはいない。チェスの赤のクィーンのように、われわれはできるだけ早く走ることなしに今いるところにとどまっていることはできない」230-1頁

赤の女王!! ここの認識はフォン・ベルタランフィーにそっくり

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(承前)「私はウィラード・ギッブズの仕事へ追いもどされた。すなわち、世界を一つの孤立した(隔離された)現象としてみるのではなく、あらゆる可能な現象にわたる確率分布をもった統計集団のなかの多くの現象の一つとして考えることである。私は、因果関係というものを、有るか無いか(因果の有無)という形で存在するものというよりは、むしろ多いか少いか(因果の多少)という形で存在する或るものとして考えざるをえなくなった。
 サイバネティックスに関する私のアイディアの全背景は私の初期の仕事の記録の中に存している。私は通信の理論に興味をもっていたので、情報の理論、特に、一つの系のある部分について知識をえた場合に残りの部分についてえられる不完全な情報を扱う理論を、どうしても考えるようになった。…不規則ということに対する新しい概念と宇宙の本質的な不規則性についての新しい概念を構成した。…私は神経系の複雑なメカニズムに或る程度接触していたので、われわれをめぐる世界は神経系というものを通じてのみ近づくことができ、またこの世界に関するわれわれの情報は神経系が伝播しうる限られた情報の範囲を出ないということを知っていた」229-30頁

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(承前)「だから熔接された橋は内部のひずみをうまく配分して調整をとりもどせるような材料で作られていないかぎり、どこかの個所でひずみがひどく大きくなることになり、実際はそこにひずみが集中されて、ついに橋は引きちぎれるか裂けて、くずれ落ちてしまう。
 こういうわけで、橋や建物は完全な剛体ではないからこそもつのである。これと同様に、組織というものは、その各部分が内部のストレス(歪力)に応じて、多かれ少なかれある程度伸縮することができるときにのみ存在することができる。われわれは、組織というものを考えるときには、組織とはいくつかの構成部分の間に相互依存があり、しかもこの相互依存にはいろいろな程度の差があるものだということを考慮しなければならない。ある内部的な依存は他のものよりも重要であるにちがいない。このことはいいかえれば、その系の内部依存は完全ではないということ、そしてその系のあるいくつかの量を決定しても他の量には変化の余地が残されているということである。この変化はそれぞれの場合によってさまざまで、統計的なものである。そして、少くも[ママ]統計理論以下の何ものも、組織という概念を意味のあるものにすることができるほどの自由を含まないのである」229頁→

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(承前)「サイバネティックスという言葉が私に気に入ったのは、コントロール(制御)の技術と学理を、コントロールという概念があてはまる全領域にわたって表現する言葉として、それは私が見つけえた最善のものだったからである。だいぶ前にヴァネヴァー・ブッシュが私に制御と組織を包括する新しい理論を取扱う新しい科学の道具が見出されねばならないというようなことを云った。結局、私はそういう道具を通信の領域に探し求めた。ブラウン運動についての私の研究からもわかるように、確率論についての私の初期の仕事は私に、一切のことが必然であって何事も偶然ではないような世界では組織という概念は無意味になってしまうということを確信させた。そのようなガッチリした世界が組織されているといえるとすれば、それはガッチリ熔接された橋が組織されているというのと同じ意味でのみいえるのである。あらゆるものが他のあらゆるものに依存しているのであって、橋の構造のどこか取立てて一部に特に依存しているということはない。したがって、そんな橋はひずみを一局部に限っておくことができない」228-9頁→

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「最初に迷ったことは、この本[エルマン出版社の双書の1冊]の表題は何と名づけるかということだった。私は最初『メッセンジャー(使者)』を意味するギリシャ語を探したが私の知っていたものはアンゲロス(ανγελος)だけだった。この言葉は、英語ではエインジェル(angel)すなわち神の使者という特定の意味をもっているため、もう先取権を奪われているから、私の表現したいものを正しくあらわせない。そこで私は通信の方でなく制御の方の分野から適当な言葉を探した。私が考えついた唯一の言葉は舵手を意味するギリシャ語のキュベルネテス(κυβερνητης)だった。私が探している言葉は英語で使うためのものだから、当然ギリシャ語の英語読みを利用すべきだと決めていたので、サイバネティックス(cybernetics)という名前を思いついた。後にフランスではこれに相当する言葉が19世紀の初めから物理学者アンペールによって社会学的な意味で使われていたことがわかったが、当時は私はそんなことは知らなかった」228頁→

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「1946年の夏…私はJ. B. S. ホールデーンが教鞭をとっているロンドン大学を訪ねた。彼は最初の妻君と別れて、戦時中、生理学実験の彼の助手であった利発な若い遺伝学者と結婚していた。彼らは戦時中、高圧下における各種の気体の生理的影響に関する実験を行っていた。
 彼らは二人とも潜水服を着て鋼鉄の水槽の中に幾度も幾度も潜り、高圧に身をさらして、痙攣を起すようになるまで圧力を高める実験をいろいろな気体についてやった。ホールデーンは4回、奥さんは7回、本当に痙攣を起したそうである。このことは、ホールデーンが自分の見いだしえた限りのあらゆる生理的条件の限界を、いつも自分の身をモルモット代りにして試してみたという従来からの彼のやり方と一致していたし、また戦争初期に、岸に打ち上げられた敵の機雷を開いて不発にする名人となった彼の大胆不適さと付合していた。
 大体ホールデーンという人は、自分が重要だと思う仕事をみつけると、自らすすんで危険や苦痛や不人気なことに身を挺するような性格の人である」223頁」

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「比較的高度な労働を除くと、ふつうの工場労働者はたいてい、その一つ一つの動作とその役割りがすべてあらかじめ指定できるほど、きわめて型にはまった仕事をしている。この点に注目して動作を研究したのが、テイラーやギルブレス兄弟のシステムのような高能率作業しシステムである。
…オートメーション工場の自動操作によっておきかえられるのは、こういうレベルの仕事である。私の考え方からすれば、本質的にはオートメーション化によっておきかえられる人間労働は、非人間的な種類の人間労働であって、それがたまたま産業革命が起って以来人間のやるべき仕事とみなされて来ただけの話なのである。しかしそれにもかゝわらず、もし急激にこういう種類の労働がとりあげられて代りのものが与えられなかったなら、失業問題は破局的なものとなるにちがいない。
 ではこういう労働はどこへ行くべきなのか。…オートメーション化が徐々に進んでゆく間に、非熟練工場労働者が、何らかの格上げによって…高級な労働者の位置へ進めば無理がない。したがってこういう格上げが可能かどうかという問題は、決定的に重要な問題となる」220-1頁

昨今のAIによる労働代替の問題と同じような話したはる😅

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「1944年の秋になると、私の後半生と思想とに大きな影響を及ぼした一連のいろいろな出来事がおこった。私はすでに高速度計算機とオートメーション工場の関係について考え始めていた。そして、すごいスピードで計算をやってのけ磁気テープと穿孔カードにより流れ作業の手順の決定——すなわちプログラミング——を行うことのできる計算機がすでに生れている以上、オートメーション工場も近い将来には生れるはずだという考えに到達した。そこで私は、社会的にあるいは有害であるかもしれないオートメーションという問題について、世の人々によく説明することが、私の第一の義務となったのではないかと思うようになった」208-9頁

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(承前)「従来は医学ではものごとを局所的に考える傾向が非常に強かった。この傾向は脳に関しては特にいえる。大脳皮質つまり大脳両半球の表面のほとんどの領域に対しても、一つ一つ別々な機能が発見されるか仮定されてきた。しかし、ものごとを局所的につきつめることを強調する傾向は、有機体の全般的な問題を、局所的に限定できる原子的現象より軽くみさせることになっていた。
 私たちの制御装置の研究は、このような局所現象がどのように組み立てられて、脳全体——いや実は、人体全体——にわたる大きな過程をつくりあげているかについて、よりよい見通しを与えつつあるように思われる。健康体のはたらきについても、こういう綜合的な過程が理解されなければならない。なぜなら、病理的状態では、この綜合的な過程が、個々の部分の故障に帰着させることができないような仕方でこわれることがあるからである」204-5頁

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(承前)「最近私の注意をひいている医学的な問題がもう一つある。ウォルター・キャノンは、クロード・ベルナールの昔にかえって、人間の健康、いや肉体の存在そのものが、ホメオスタティック・プロセス(ホメオスタシス的過程)と呼ばれるものに依存していることを強調した。…生命のみかけ上の平衡状態というものは、能動的な平衡であり、このなかでは何かが基準からはずれると、そのはずれがそれと逆向きの反応をひき起こすようになっている。これは、われわれのいうネガティブ・フィード・バックの性質をもつものである。
 したがって、身体の調子が悪くなった時には、患者のからだの中でフィード・バック仕掛けが内部的にこわれているにちがいないのであり、その失調を数学的に記述したものは、フィード・バック仕掛の性質とその故障の性質とを表示するはずである。…私は、このホメオスタシスの病気という概念は、医学の多くの分野できっと有用なものになるだろうと感じている」204-5頁→

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「そもそものはじめから私は神経系と数字式計算機との間の相似に心をうたれた。私は、この相似関係はあらゆる点で成りたつものであるといおうとするのでもなく、また神経系の性質は、数字式計算機と同じだと言えばそれで一切がつくせるのだと主張するのでもない。私はただ、神経系のふるまいのある種のものは、数字式計算機のそれと密接に似ているといいたいのである。
 神経系は、たしかに、衝撃を伝達するいろいろな要素からなる複雑な網である。…神経線維は一種の論理機械であって、前のいくつかの決定の結果に基いて、その次の一つの決定がなされるようになっているのである。これは本質的に、計算機械のなかの一個の要素の行う操作様式である。このような基本的な相似性のほかに、補助的な相似点もある。それは記憶、学習等々のような現象に関するものである」204頁→

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(承前)「実際、その時私は、他の多くの時と同じように気がついたのだが、数学者が、数学ほどの精密さをもたぬ分野の科学者たちの助言者の役割をつとめるさいに、しなければならぬ主なことの一つは、こういう人たちが数学に対してもっているあんまり大きな期待をくじくことである。…こうして、通信の問題全体にわたって——それが社会的通信であれ、生理的通信であれ、機械的通信であれ——同一の考え方が通用することを十分確信すると同時に、こういう数学以外の分野で数学がなしうることを過大評価することに水をぶっかけたのは、生理学者や社会学者でなくて、数学者自身だった」200頁

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「私が[メキシコから]アメリカに帰ってみると、アルツーロと私が共同でやってきた種類の研究、つまり、神経系の研究を一種の通信系の問題とみて近代的数学技術を応用することが、非常に活発な関心をひきおこしていた。同僚の一人がニュー・ヨークのメイシー財団を説きふせて、この問題に関するいくつもの討論会を組織した。これは数年間つづいた。ここには、精神病学者、社会学者、人類学者などが、神経生理学者、数学者、通信専門家、計算機設計技師などと共に集って、考え方の共通基盤が発見できないかどうかを論じた。
 討論は興味深いものだったし、事実われわれは、多かれ少なかれ、互いに他の人が使っている言葉でものをいうことを学びとったのだが、完全に理解するには大きな障害があった。このようなセマンティックな(語義的な)困難は、次のようなことから発するものであった。つまり、全般的にいって、数学のもっている精密さの代りになるような言語がないこと、また、社会科学の用語のかなり大きな部分は、数学的な言葉で表現する方法がまだわかっていないものごとを言うのに専ら使われており、しかもそうならざるをえない、ということである」200頁→

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「日常生活に、フィード・バック現象をあまりによく使っているから、かえって、しごく簡単な動作のなかにもひそむフィード・バックの本性に気づかないことが多い。…人間のからだのなかの平衡は、生命現象のなかにみられる平衡の大部分と同じように、静的なものでなく、破壊をもたらすようなどんな力に対しても積極的に抵抗する過程が、いつも相互に作用している結果である。われわれの直立していること、歩くこと、これらはみな重力に対抗して、いつもジュウジュツ(柔術)[!!]をやっているようなものであり、また生命というのは間断なく死を相手にレスリングをやっているようなものだ。
 この点から私は、神経系を多くの点で一種の計算機と考えざるをえなかった…
…神経生理学者と心理学者が使う<記憶>という言葉が…さまざまな分野のすべてにわたって通用する便利な言葉であることに、みんなが気づいた。また<フィード・バック>という言葉もみつけた。…情報を測定するのには、イエスかノーの数によって測定するのが便利だということにみんなが気づき、いつのまにか、この情報単位として、<ビット>という言葉がきまった。この会合を私は、新科学サイバネティックスすなわち、機械及び生体における通信(コミュニケーション)と制御(コントロール)の理論の誕生地とみなしたい187-8

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「計算機の研究に対する私の興味は、真ちゅうや銅やガラスや鋼でつくられる計算機の現在過去将来の流れなどをはるかにこえたところへ私を押し流してしまった。大脳と神経系もまた、計算機としての重要な特性を備えている。…神経系の全か無か(オール・オア・ナン)の法則…
…神経線維とフリップ・フロップ回路は2つの、しかもただ2つの、平衡状態をもっている。この相似は非常に密接で、線維の端に通信が達するずっと以前に、線維は刺戟の強さという形ではなく刺戟の数の形で情報を運んでいるという点まで相似である。
 神経線維はスイッチ装置であるばかりでなく、他のスイッチ装置に接続する装置でもある」186頁

この辺から、サイバネティクスの着想に向かっていったんすかねえ

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「計量経済学は次の2つの段階を踏まないうちは、現在以上にはあまり発展しないだろう。その一つは、需要とか在庫高とか等々という計量経済学が扱う量の測定は、それらの量の関係を扱う力学と同程度の精度と厳密さをもつ基準に従わなければならないということである。もう一つは、われわれの取扱う量は本来統計的な性格のもので、完全に精密な量ではないということを、最初から認識して、ギッブズ流の取り扱い法に入ってゆかねばならないということである」180頁

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「われわれがもちだしたのは次のような特殊の質問だった。神経病のなかに患者が静止しているときには全くふるえを起さないが、水のはいったコップを取り上げるような動作をしようとすると、しだいにはげしくふるえだし、結局やろうとすることが果せなくなり、例えば水をこぼしてしまう、というような失調症が知られていないだろうか。
 ローゼンブルース博士の答えはこうだった。そういう病理的状態はよく知られており、インテンション・トレマー(意図振顫)と呼ばれている。そして非常に多くの場合、障害のおこっている場所は小脳に存在し、小脳は人体の組織的な筋肉活動の様式と強さを支配しているのである。フィード・バックが人体の調節に大きな役割を果たしているのではないかというわれわれの想像は、フィード・バックの病理が、秩序正しい組織的な人体行動に生ずる既知の一定の型の病理ときわめてよく似ている、という確固とした事実によって確かめられた」175頁

「振顫(しんせん)」は今日では「振戦」と当て字にするのが普通なようで、「顫」の字を拾ってくるのに苦労しました😅

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Fedibird

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