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「蓄音機は、<非常に単純な形で>受けとっているものを放つにすぎないのだが、生物の場合、個々の生涯で起きたことは、つぎの行動のための<一般的な可能性のストック>を形成する。ただし、これがつぎの行動の細部すべてを決定してしまうわけでもない。一般に、歴史性に依拠した行動すべてにおいて実際に起こっていることは、<個別的反応>(individual correspondence)の規準とも言うべき奇妙な原理に従って生じている。…真の行動はすべて、歴史性に依拠した個別の刺激に対する<個別の>応答である。
 そして、この歴史的に作られてきた個別的反応は、力学的因果性にあてはめて理解することができない」199頁

グールドみたいなこと言うてますな😅

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「調和等能系とは別種の等能系が存在する。たとえば、卵巣はその第2の型であり、<複合等能系>(complex-equipotential system)と言える。調和等能系においては個々の要素すべてが、調和的に協力して全体を形成するのに対して、複合等能系では<各々の>要素それ自体が<全体>を形づくる能力をもっている。すなわち、そのような等能系では、実際、すべての要素が全体を作る能力を同等にもっている」197頁

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「彼[ヴァイスマン]の理論は、さまざまな実験が行なわれるまでは正しいものと思われていた。だが今では、実験によって、いかなる大きさでどの部分を切り取られても、残された部分が、形の比率を乱すことなく発生しうる系があることが示された。この事実は、『機械』は調和等能的な分化現象の基礎たりえないことを示している。なぜなら、<もしあなたが任意の一部分を取り除いてしまうと>、『機械』は、物理・化学的な物質や作用因をもって特別の調整を行なったとしても、<それ自身を保持しえない>。ところが生物では、まだ発生していない調和系なら、どんな削除実験をされても、形態学的機能に関しては、それ自身を保持できる。
 だから、調和系は『機械』ではない。…自然の中の非力学的作用因である『エンテレキー』が、調和等能系において作用している」196-7頁

今だと、幹細胞や万能細胞で説明し尽くされる現象でせうね😅

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「実験分析発生学——ルーが名づけた発生力学——の成果は、以下のことを明らかにした。多種の発生初期の器官や一部の生物では、実験によってどの細胞群を取り除いても、その残りの部分が、小さくはなるが正常なミニチュアへと発生しうる場合が存在しうる、ことである。換言すれば、実験的に残された発生初期の器官や生物の部分から、生体の一部分が発生するのではなく、小さいけれども体の<全体>が発生する事態を予想してよいのである。私は、この型の器官や生物を表わすのに<調和等能系>(harmonious-equipotential system)という名前を提示した。このような系では、すべての要素(細胞)が同じ形態発生的『潜在能(potency)』を保有しているはずである。…しかもこれらの要素は、毎回の実験でともに『調和的』に作用する。この等能性と調和的作用を根拠にしてはじめて、実験結果は、現に起こったようなものとして、説明が可能になる。
 発生初期の器官の中では、初期段階の卵割や胚葉系が、この調和等能系の例である。
…動物成体はすべて、さまざまな度合いで回復(もしくは再生)可能、つまり、傷を負ってももとの形態を回復できるから、調和等能的であると言える」194-5頁

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「自然に対して、全体性概念は認めるが統合化因果性を認めない理論的立場は、生命的自然だけを念頭におけば、自然の<機械説>(machine-theory)と呼ぶことができる。この機械説は、自然(もしくは生命)を単なる偶然領域に属すると考えることについては、すでに反対の立場にある。
 そしていまや、生気論として、生命は単に偶然の領域のものでないだけではなく、機械説をもっても把握しきれない現象であることを示しうる地点にまで到達した。
 生気論のすべての<証拠>、つまり、機械説をもっても生命現象の領域は覆いつくせないことを示す合理的な根拠づけは、間接的証拠によってのみ可能である。それは単に、力学的もしくは単純因果性では、生じている現象の説明としては充分でないことを示しうるだけである」194頁

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「エンテレキーが物質次元の生成の進行を留保していたのを解除し、1つ可能性を現実化させる、とわれわれが言うとき、力学的な意味における生成の障害がエンテレキーになって取り除かれる、とわれわれは言っているのではない。このような力学的な意味における解除(Auslösung)は、エネルギーを必要とするが、エンテレキーは定義によりエネルギーではないのである。エンテレキーは、ただ、それが可能な状態にあれば、それ自身で現実へと進行しうるものを許すだけであり、単純に物理化学の影響の結果としてなる状態のことではない。
 自然の中におけるエンテレキーによる留保の起原を語るのは無益である。つまり、<生命の起原>を語るのは無意味である。この問題に関して、われわれが、何か明確な発言をすることは絶対不可能であり、同様に、<死>(death)の意味についての議論も意味がない」192頁

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「エンテレキー、あるいは他の個体化因果性があるとき、それ自身はどんな種類のエネルキーでもないし、いかなる空間的な意味での『物質実体(material substance)』でもない。…エンテレキーは、特殊な(sui generis)、非物質的で非空間的な作用因であり、空間の『中へ』作用する。ただしそれは、われわれが用いている言葉で示す自然に対して、論理学的な意味で属している」191頁

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「可能な変化の進行を留保したり解除したりすることは、個体化因果性を担うものの『作用(action)』様式であり、以後、われわれはこれを、エンテレキー(entelechy)と呼ぶことにする。この名称は、アリストテレス形而上学の用語としてよく知られているが、ここでの用法は、厳密にはアリストテレス哲学のそれに従ってはいない。
…エンテレキーの作用は、与えられた可能性の留保というかたちで存在するという、われわれの理論によってはじめて、従来の古典的生気論(そして現代生気論の多く)が陥っている、きわめて深刻な誤りを回避することができる。これまで生気論に対しては、発生や適応で生物は実際には限界があるのに、生気論の学説に従うと、全能のものになってしまう、という反論がなされてきた。しかし、われわれの理論に従えば、この『調節能力の限界 limits of regularabliity』はこう解釈できる。つまりそれは、エンテレキー作用が働きかけるところの、一定の前形成されている物質的条件に拠るのだ、と」190-1頁

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「その[『家族・社会化・相互作用過程』の]主なテーマは、近代産業社会に現れた核家族を小集団として、世代と性を基軸に…4機能図式に従って分化したものとして扱うことができるというものだった。…これはまたおそらく、私が、生きたシステムにおける分化の現象により一般的に関心を持ち始めた起点でもあった。この関心は、私の以前の生物学的な関心とリンクしていて、『二分裂(binary fission)』の重要性を強調するものだった」pp.844-5.

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「1946年に私は、ボストン精神分析機構の『クラスC』候補者として、フォーマルな精神分析トレーニングに入った。私には精神分析の助けを求める個人的理由[兄と両親の相次ぐ死]がいくつかあったものの…私の関心のより一般的な知的基礎はおそらく明らかである。グリート・ビブリング博士をトレーニング・アナリストとして得たのは極めて幸運であったが、彼はナチのオーストリア併合により亡命を余儀なくされるまで、ウィーンの最初のフロイト・サークルのメンバーだった」p.840.

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「フロイト自身はますます『客観的関係』に重きを置くようになったが、適切な家族の社会学を発展させることはほとんどなし得なかった。…私はフロイトを読む中で次第に、私や他の人々が『社会化』現象と呼ぶようになったもの(フロイト自身の用語は『取り込み(introjection)』だった)の重要性を悟った」p.838.

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「1899年に、パウル・ニコラウス・コスマンが『経験的目的論の要素』…を出版した。…この本は、目的論概念の論理的な定義の枠組みを特別に設定しており、そのため、カントの『判断力批判』といくつかの接点をもっている。
…彼によれば、因果性は普遍的であるが、それだけで妥当性をもつわけではない。彼はこれに、判断の公理として目的論を併置する。そこでは必然性がこれに連動して扱われる。なぜなら必然性の理想は、因果性のそれよりもはるかに大きいからである。一般的形式はこうである。C(原因)=f(E)(効果)、これで因果理論は充分である。『原因』と『効果』という言葉は、ごく一般的な意味で、考慮対象となるすべてのもの全体を要約したものとして用いられる。目的論は、このように形式化される。M=f(A, S) ここで、Mは媒体を、またAとSは、仮定と結果を意味する。
…コスマンは、『生気論か、機械論か』の問題を解決できなかったとしても、少なくとも積極的な意味で、単なる偶然によっては説明できない、生気論的目的論の深い重要性に、決定的な評価を与えた」165-6頁

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「生物が保持する形態の調節の能力について、数年間、実験を行ない、1891年以来続けてきた発生生理学での実験結果を集成し考察を続けた結果、『調節(regulation)』概念についての論理的分析の結果と、『行動(action)』概念を結びつけることで、私[ドリーシュ]は意見をすっかり変え、生気論を完全な体系へと完成させてきた。
 すでに1895年に私は、『行動』の問題の分析から、生気論が必然であることを確信するようになった。…1899年の初めに『形態形成の現象における定位 生気論的現象の証拠』…これは、生命の過程は少なくとも、それ自身の法則に従う、動的目的論的な、自律的なものとしてはじめて理解可能であることを明確に論じた、最初の著作である。
…1903年の私の著作、『要素的な自然要因としての「魂」』…において、私は、人間の行動を客観的な運動現象として分析した」164-5頁

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「1893年に私[ドリーシュ]は、ウィガントとパウル・デュボア・レイモンの方法論的著作から強い影響を受け、目的論が生命現象の還元不可能な特殊な性格のものであることを、はっきりと自覚するようになった」162-3頁

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「1894年に、[グスタフ]ヴォルフは、ダーウィン主義か目的論か、という問いに対する解決策として、明確に企画された実験を行なった。彼の目的は、生物が最初の発生過程において、いったん削除された器官を回復させるかどうかを確かめ、その回復がどうなされるかを調べることであった。この実験の積極的な成果として、『初源的終局性(primary finality)』が証明された。それは一方で、ダーウィン主義をばかげたこと(ad absurdum)と格下げにし、他方で、積極的適応という事実によって、重要な形で目的論を支持するものとなった。
 実験は、イモリ(Triton taniatus)の眼からレンズだけを取り除くというものである。実験では新しいレンズが、虹彩の外縁から成長し再生された。それは、通常の発生に対する対応ではないにもかかわらず、問題の合目的性にとって最適な形でことは進行したのである。
 かくして、初源的終局性は実証された」😅 161-2頁

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「新生気論が本当に確立してきた原因は…W. ルーに代表される、実験形態学、『発生力学(Entwicklungsmechanik)』の再興があったことである。生命の自律性の理論を支えるすべての新しい事実は、この研究領域において獲得されたものである」157頁

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パーソンズにフロイトを読むように強く勧めたのは、ホーソーン実験のエルトン・メイヨー。p.835.

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「展開・完成化・有機的生長の法則というさまざまな形をとる、非ダーウィン的進化の支持者…ここには、ハーバート・スペンサーもつけ加えておくべきだろう。偶然説に立つ純ダーウィン理論に対する、多様で徹底した反対論は、ともかく意味があると思われるからである。一般的に言えば、ダーウィン主義に反対する進化論の立場は、また結局は、生気論か機械論かのどちらかとなる」155頁
「最適者生存」の名づけ親なのに😅

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「生気論に直接関わる問題としては、[エドモント]モントゴメリーは、有機的現象それ自身の基礎として、いかなる機械理論にも反対した。
…彼は、原理的問題において、また『自律的』という言葉遣いにおいて、生気論者であった。…彼の方法は、一方で有機体を、他方で心的生命を参照し、この2つの問題を結合させる解決策を求めることにある」153-4頁

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「ハルトマンは、現代哲学の代表的人物であり、また、生気論の問題を考察する唯一の現代の哲学者である。…ハルトマンの哲学体系を一言で言えば、『生物学的』であることである。それは、生物学を基礎としており、形態形成、本能、そして人間行動における心理と物理の関係に関して、たいへん生気論寄りに生物学を解釈する型の哲学である。
…ハルトマンの理論は、生気論の歴史にとってはきわめて重要である。それは、要素的生命因子と無機的な因子との関係を明確にするために、生命の自律性の教義を厳格に適用しようとする最初の試みだからである。…ただしハルトマンの理論は、事実問題として生気論に直接関わるものではないし、生命についての機械論的解決が不可能であることを、厳格に示したわけでもない」147-9頁

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