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「本書においては、キュビエは名前を挙げるにとどめる。生理学の基本的問題で、彼は生気論的ではあるが、独自の論をもってはない。この点は、彼の別な領域での著作を検討すれば、明確になる。彼自身は、ビシャの理論に同意すると宣言している。
 よく知られているように、ゲーテの自然哲学に対する考え方に関して、とくにキュビエは『型』の概念を論じ、『エンテレキー』という言葉もよく使用するのだが、生気論の歴史からすると、明確な進歩が認められないから、名前を挙げるだけとする」84頁

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「有機体生成の教理とその法則について、シェリングは何も明確には述べなかった。むしろ彼は、生気論と目的論的機械論の間で、常に逡巡していたが、後に後者に傾いた。ヘーゲルもまた、客観的な要素的力に対抗して、連続する光として生命を記述するとき、生気論の特徴を帯びるのだが、完全なものではない」83頁

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「『判断力批判』における生物学的内容についてのわれわれの最終評価は、以下のようになる。人間とその行動に関して、カントは明らかに生気論者であったが、有機体に関して彼は、なお問題含みであった。彼は、静的および動的目的論の論理的な違いについて、常に意識していたわけではないし、自然科学のあるべき形についての彼の理想と、自身の生気論とは非常に矛盾したものであり、カントはこれに満足してはいなかった。その理想は誤った厳格な機械論であり、そこでは(まったく不思議なことに、われわれは歴史的観点からそう読みうるのに)魂のための活動空間はあるのに、魂に似た自然の作用因については存在していなかった」75-6頁

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「生物学の基本問題に対するカントの態度…全体をまとめると、彼の主張は以下のことを支持しているようにみえる。
 第1に、純記述的で、もっぱら規制的判断をする目的論。それは、正当な基盤を挙げることなく、それ以上の究極目的を求める原理に立つことを遮断するものである。
 第2に、生気論。ただしこれはカントが、すべての自然現象は先行する運動現象に究極的に還元できる、とするドグマに彼がとらわれており、同時にこの仮定が生命体に関するかぎり支持できないからである、と思える。
 第3に、静的目的論、もしくは力学的に生じるすべての基礎の上にある一定の構造の理論である。この見解はカントの表現の意味合いにより、第2の立場に近いものを意味しているのは事実である。例外は、ここでも生気論的な意味で、その活動的存在ゆえに、人間が挙げられている」74頁

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「カントは後成説を受け容れ、発生の生産能力について語り、生気論者ブルーメンバハに明確に同意する。その上で、間違ったかたちでブルーメンバハを引用する。はっきり、静的目的論の意味で『始原的有機体』を用いるのだが、この言葉は以後二度と使われない」74頁

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「カントは、自身が作りあげた偽りの課題で自説の論理的困難を拡大してしまった生気論者、と言うことができる」72頁

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「[『判断力批判』の]カントが拒否したのは、以下のことである。第1に、有機体は作られた機械であること、第2に、それは特殊な物質から導き出されること、第3に、それが特殊な生気論的法則に従っていること、である。だが私が見るところ、カントは有機体をこの種の特殊な法則に帰属させていた。この3つの否認から(またこれを、構成論的世界に関するカントの結論と調和させることで)、彼が、有機体を一定の機械に格下げし、かつその起源は研究できない課題であると考えた、と推論できることになる。ここでカントは、人間を例外扱いしていることを除いては、『静的目的論者(static teleologist)』である」67頁

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「最後にエマーソンは、私にとって特に実りある概念となったものを出した。それは、生命世界の生けるシステムと、ヒトの社会文化的世界のシステムの間の、根本的な連続性についての私の確信を決定的にする上で多くをなしたのである。これは、遺伝子と、彼が言うように『シンボル』との、機能的等価性の概念だった。おそらく我々はこれらを、種・生命体の遺伝的構成と、社会システムの文化的継承として言い直すことができる。さらに近年では、このパースペクティヴは私にとって、根本的な理論的重要性を持つようになってきた」p.831.

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「さらなるステップが、シカゴでロイ・グリンカー議長の下で1952年から1957年まで継続して開かれた『システム理論会議』によって多大な影響を受けた。アイデアが私にとって重要だった数人の参加者の中でも、社会性昆虫生物学者のアルフレッド・エマーソンが際立っていた。いくつかの著作も含む彼が言ったことは、キャノンのホメオスタティックな視点への私の好みを強めた。しかし彼は私を強く傾かせるようなやり方で語ったものの、私は、生命システムだけでなく他の多くの種類のシステムにおいても、当時勃興しつつあったサイバネティック・コントロール概念を選好したというのもあったのではないか、と考えている。この後者が、私の思考の支配的テーマとなったのである」p.831.

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Parsons, Talcott. (1970) “On Building Social System Theory: A Personal History,” Daedalus Vol.99, No.4, pp.826-81.

「『根源的合目的性(primary purposiveness)』の概念は、ブルーメンバハとヴォルフが前成説に反対し、生気論に同意する論拠なのだが、この言い方がヴォルフの場合のいちばん明確な表現である。
 これに比べて、ブルーメンバハによる形成衝動についての作用様式の説明は、本質的に不明確で暫定的な性質のものであり、重要ではない」55-6頁

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「生気論の真の証拠としては、生体の形成は、その部分が相互に影響し合う極小の構造を基礎する論理では不可能、という事例をあげなくてはだめである。しかし、ブルーメンバハがあげる証拠は、この時代に考えられる類似の例でしかなかった」54頁

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「ビシャは、夭折したが、生気論者であった。ただし彼は生気論を論証することには失敗し、しかもそれは、形態形成の事実に立脚したものではなかった。彼は、『生命所有(propriétés vitals)』を、重力や弾性などと同じ水準のものと主張した」52頁

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「古典的生気論は、J. F. ブルーメンバハ(1752〜1840年)をもって、その最高峰に登りつめる。
…少なくとも生気論の真の証拠とみなしうる地点へ彼は到達し、アリストテレスの地点からさらに本質的な一歩を踏み出しえたのである」49頁

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「[シャルル]ボネが言うような、『魂という言葉を著作の中で頻繁に用いる研究者は、生気論者と呼ぶべきだ』という主張には私は異議を唱える。一般的な答えとして、最近までそうであったが、魂(アリストテレスのvous[ママ、おそらくνους]に対応した)をその指標だと、多くの人間は考えてきた。ただしそれは、自然に属さない何ものかについての知識と理論がまだ混乱していた時代の話である。魂は、自然の部分には属さない、自然にあい対立するものである。ただし、双方とも絶対的現実性をもつものとして把握される」44頁

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「[カスパー・フリートリヒ]ヴォルフは、静的もしくは構成論的な目的論を明確に拒否し、動的目的論すなわち生気論を採用するに至る」38頁

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「ビュフォンの業績を批判的にまとめるとすれば、生気論自体としての意味ではなく、彼の方法論の生気論的正当化についての評価に、尽きるのではないかと思う。ビュフォンは、生気論を論証しようとは思わなかったが、彼は科学的正当性を示そうと努力したことで、素朴な視点から洞察力をきかせた理論を展開することになった。ビュフォンはシュタールより偉大だ、という時(ただし後者の分析はビュフォンをはるかに凌駕しているが)、それは彼がつぎのことをはっきりと認識していた事実に起因する。つまり、機械論に比べて何かしら新しいことを言明しており、自分にはそれを言う権利があるのだ、ということを」33-4頁

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「[ビュフォンの]『内の鋳型』の結果に由来する力は、生長を促進し、生殖器官の中に特別な秩序を集約させる物質の過剰分のすべてを、この力に適合させるような影響下に置く。ここにダーウィンのパンゲネシス説との並行関係がある。…ここでは、生殖細胞の起源について真の生気論的な説明がなされている。…ビュフォンが、発生について展開説[evolution]に立つにもかかわらず、生殖細胞の形成については特別な生命力(vital forces)の効果を認めている」32頁

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「後成説の信奉者は全員が生気論者であり、すべての論争が重要である」30頁

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「シュタールの立場は『アニミスト(物活論者)』であり、生気論者ではない。しかしこの違いは、シュタールの影響が強いモンペリエ学派の中ではたちまち消えてしまう。この学派は生気論にはっきり立っているからである」28頁

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