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「日本の伝統的家族は、社会政治的な制度というよりはむしろ、ビジネスのためのユニットだったようなのである。儒教道徳は、もともと中国では政治的な目的を備えていたのだが、日本では経済的目標へと方向づけられ、家父長はビジネスリーダーだった。他方、両者の間のきわめて示唆的な類似点は女性の地位が低いことであり、これは大部分において儒教からの影響だったといえる。
 …ベトナムの伝統的家族は中国の大家族にみられたような社会政治的制度の性質を備えてはいなかった。…各村落は血縁によって直接結ばれた核大家族(親族集団)の成員によって構成される村の諮問会議(族表〔tôc biêu〕)という独自の自主管理のメカニズムももっていた。儒教は、こうした村落共同体の日々の活動において、比較的小さな影響力しかもっていなかったといえる。…
 こうした村落組織において、家族の一般的形態は準ー核家族(semi-nuclear family)とよべるような何かだった。両親と祖父母は一番上の息子と同居し、他の息子や娘たちは原則、結婚して別の家庭を築くのが習わしだった。…血縁で結ばれた拡大家族(ゾンホ〔dong ho〕)のつながりの強さは、実際には感情と相互扶助の側面だけにしかみることができなかった」286頁

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Đô Thai Đông. (1990) “Gia đinh truyên thông va nhưng biên thai ơ Nam Bô Viêt Nam,” Tap chi Xâ hôi hoc 3(21), pp.9-14.
=渡邊拓也・加藤敦典訳「ベトナム南部における伝統的家族の変容」、283-95頁

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「中国では『同姓不婚』という婚姻規制によって、その血縁集団構造が典型的な父系単系出自集団となった。これに対して、日本古代では同父同母の兄妹婚は禁忌として排除されたが、同父異母・異父・同母の兄妹は通婚範囲内にあった。しかも女性を血統上排除するという中国のような規制がなかったために、血縁は父方母方双方を通じて無限に拡散することになった。ゆえに、日本では祖先からの血縁の『系統』をたどるような出自集団が形成されなかった。したがって日本古代社会の血縁集団は無系あるいは父母双方の血統が未分化の状態にあるキンドレッド構造であり、それ以外の母系制・父系制・双系制出自集団や父母双方の血統が分化した『双方親族集団』とはなりえなかった。日中両国の互いに異なる血縁集団の構造はそれぞれ異なる婚姻形態・婚姻規制によって規定されたのである。婚姻形態・婚姻規制が異なれば形成される血縁集団の構造も異なる。血縁集団の構造は直接に婚姻形態・婚姻規制によって規定されたのである」264頁

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「『純血統』という概念は、民族によってまったく異なった実態を持ち、性格の異なった婚姻形態によって規定されている。日本古代の天皇家が固執した貴い、神聖にして侵すべからざる『純血統』には、同じ血縁集団内の男女、および彼らと婚姻関係を持つあらゆる血縁親族が含まれていた。この『純血統』を維持するのは天皇家『一族』の内婚である。このような婚姻の結果、父系・母系とその親族はみな同一血縁集団に属することになる」263頁

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「日本では、女子も祖先の血統を受け継ぎ、結婚後も男性と同等な『血縁集団構成員資格(membership)』を有したということである。皇族には、同一祖先の下の男性と女性が含まれるということになる。…したがって、こうした血縁集団は血縁の『系統』を持たず、それゆえ『母系制』『父系制』のいずれでもない。そして『双系制』は単系を前提としている以上、日本古代の血縁集団は『双系制』でもなかったはずである。
 また、この社会では、父の兄弟または子女との婚姻が普遍的なものであったために、西野[悠紀子]氏は『父系近親婚』と名づけた。しかし著者は、このような婚姻形態のもとでは必然的に父方の近親婚だけでなく、母方の姉妹とその子女との近親婚も存在していたと考える」262頁

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「中国古代の魯・斉両国間の婚姻は生物学的に近親婚である。しかし、『同姓不婚』の婚姻規則は、両国間で行われたような『姉妹型一夫多妻婚』による近親婚を父系宗族の範囲外で行うことにした。このような族外婚制は血縁親族の構成員を血族と姻族に分け、父系と母系という異なる血縁系統に分けるという重要な役割を果たす。まさにこのような意味において、中根千枝氏は『族外婚』を父系制・母系制と連動した重要な婚姻規則であると考えている。
 中国古代における『同姓不婚』を前提とする『姉妹型一夫多妻婚』とは異なり、日本古代社会では『姉妹型一夫多妻婚』と同時に『異母兄妹婚』も広く行われていた。…このような婚姻は平行イトコ婚でも交叉イトコ婚でもなく、父方から見ても、母方から見ても文化人類学的には族内婚と見なされる。このように日本古代社会における『姉妹型一夫多妻婚』は『異母兄妹婚』と同時に現われるところにその重要な特徴がある。…日本では血縁構造を父系・母系に分かつことはできない。それは『母系制』『父系制』『双系制』のいずれでもない。つまり『出自』系統は持たない。無系的および血統上での未分化のキンドレッドの範疇に属するべきものである」255頁

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「父系制社会では父方平行イトコ婚、母系制社会では母方イトコ婚が禁忌される。父の兄弟とその子供および母の姉妹とその子供は自己と同じリネージの人間であると考えられているため、平行イトコ婚が禁止されている社会では、社会的血縁関係は父系と母系に分かれるばかりでなく、父系親族・母系親族どちらもがそれぞれリネージとなり得る。つまり血縁集団構成員資格(membership)の継承・伝達においては父系と母系が独立した位置に置かれているのである。このような血縁構造は『双系出自』(『二重出自』、『両系出自』/bilinear filiation)といわれる。この『双系出自』(『二重出自』、『両系出自』)はすべて平行イトコ婚を禁止し、父と母の血統が分けられるのを前提としているのである」253頁

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「いわゆる『姉妹型一夫多妻婚』とは1人の男性の複数の妻が姉妹同士であることを指している。そのような婚姻形態は、古代の世界各地のさまざまな民族における一夫多妻婚の段階にしばしば見られる。例えば…中国の周代の『腰制』はそれである。そしてこのような婚姻形態は春秋時代にも引き続き見られた。…日本の『古事記』『日本書紀』『続日本紀』『日本後記』『先代旧事本紀』などの古代史料の中でも、こういった婚姻形態は枚挙にいとまがない。…中国古代の魯と斉の国の間の婚姻は、日本の古代文献に記載される『姉妹型一夫多妻婚』という婚姻形態からいえば同じである。しかし中国の場合『姉妹型一夫多妻婚』を行う一方で『同姓不婚』という婚姻規則を貫いているのに対し、日本古代では『異母兄妹婚』が普遍的に見られることから、両国の婚姻形態・婚姻規則は異なる性質を持ったものであるといえる」246-7頁

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官 文娜(2005)『日中親族構造の比較研究』思文閣出版、74-103頁

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「同じく7世紀末に、それまで男女共通の『王』(みこ)号で呼ばれていた王族男女に、皇子(みこ)と皇女(ひめみこ)という男女で異なる称号が設定され、待遇に明確な差が設けられた。『氏々男女』として男女共労/協働で朝廷に奉仕してきた豪族層男女も、男性官人(トネ)と女性宮人(くにん)(ヒメトネ)として職掌や出仕先が明確に分けられ、身分・待遇に大きな差が設けられた。女性名接尾辞『メ』『ヒメ』の画一的付加は、公的制度での男女区分の成立と明確に対応している。
 『風土記』が編纂されたのは、まさにこうした転換がなされ、それが規範として社会に浸透しはじめる8世紀前半のことである」243頁

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「律令制以前には、男女を交えた集団労働が行われ、生産物は集団的に貢納されていた。男女個々人を厳格に台帳上で識別する必要はなかったのである。しかし、律令租税制のもとでは、調庸は人頭税として成人男性の一人一人に課される。実際には女性の生産物であっても、男性の名前で納められ、効率的・計画的な国家財政システムの構築が可能になった。徴兵制の成立と戸籍制度の成立は密接不可分で、成人男性を画一的に徴発する律令軍団制も同時に整った。奴婢は氏姓をもたないことで一般良民と区別され、さらに男女で法制上の扱いが異なるので、戸籍上の婢の名前にはすべて『メ』がついている。女性名接尾辞『メ』は、それまで集団として生存していた人々の一人一人について、生物的に男・女の区分(セックス)を判定し、それを公的負担上での”男””女”の区分(ジェンダー)に転化・明示する意味をもつ記号だったのである」243頁

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「そもそも、史実をみていけば、祭祀も神がかりも女性だけの役割や特性ではない。古代においては、男女1組の神職者が、現実の政治や経営と一体となった祭祀を掌っていた。巫女も、一般には未婚に限定されてはいなかった。男性神職の力が強まり、社会全体での女性の地位低下が露わになるにつれて、それに反比例して、一部女性の権威化・神秘化がはじまるのである」238頁

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「毎晩、同じ相手のところに行くわけではないので、男は複数の相手に通うことができる。気持ちが冷えてきたら、通わなくなるだけである。女も、これまで通ってきていた相手との関係が薄れれば、別の相手を通わせる。ただし、前の相手がまた思い直して通ってくることもあるだろう。その場合には、一時的にせよ、”多夫”現象も生じることになる。実際、そうした事例はめずらしいものではない。女性の性関係が1人の夫に限定され、それ以外の関係をいわゆる密通・姦通として厳しい制裁の対象とする社会慣行が成立するのは、はるかのち、平安後期以降のことである」228頁

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「『古事記』『日本書紀』『風土記』『万葉集』といった書物からわかる日本古代の婚姻は、妻問婚といわれるものである。ツマというのは、一対の片方をさす言葉で、男からみた妻もツマ、女からみた男もツマである(この用法は、現在でも短歌の世界などには残っている)。男女どちらかが、自分の気にいった相手に『あなた、わたしのつれあい(ツマ)になってくれませんか?』と求愛・求婚の問いかけをし、相手がOKすれば、ただちに2人はむすばれる。結婚生活がはじまっても、普通、すぐには同居しない。それぞれの親・兄弟と生活・労働をともにし、夜になると相手方に通い、朝には帰る。男女どちらからの通いもあるが、多くは男が通った。子どもが生まれると、自然の成り行きとして、母方で育てられる。子どもが何人か生まれるころには同居するが、ずっと通いのこともあり、同居に至る前に関係が切れることも、同居後に別れて出ていくことも頻繁にあった。夫婦関係は、のちの時代とは比べものにならないくらい、流動的だったのである」228頁

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「律令国家体制が確立し政治権力が上部に集中した奈良時代(8世紀)にあっては、村の神祭りは『国家の法』を”お触れ”として村長から説き聞かせられる場にすぎなかった。しかし、小さなクニがいくつか連合して1つのまとまりをもった政治権力を生み出しはじめたばかりの邪馬台国の時代(3世紀)には、『会同』はもっと重い政治的機能を持っていたはずである。そしてそこに”女”はいたのである」224頁

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「倭人伝では、『合同』の場に女も男も全く同様に参加し、『父子』の間でも、『男女』の間でも、そこでの着席順や行動のしかたに差がないという。『魏志』を参照して書かれた『後漢書』倭伝では、『ただ会同に男女別なし』とあって『父子』の語がないが、『男女』が区別なく参加することは明記されている。中国の史書編纂者にとって、女も参加する倭人社会の集会は強い印象があったのだろう。…高句麗と倭では、『会同』の構成と質がかなり異なることがわかる」222頁

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「<女性首長と武器・武装>
 弥生から古墳時代前期を通じて、女性首長が広く存在していたこと、彼女たちは、もっぱら祭祀を担う巫女的首長とか男性首長の補佐だったというわけではなく、生産や流通にもかかわる権限を持ち、政治的同盟を結ぶ主体だったということは、現在では、かなり古代史学界の共通認識となってきた。
 問題は、女性首長と軍事の関わりをどうみるか、という点である。…
 考古資料を総合していえることは、兵士は一般的には男性だったらしいが女性もいた、甲冑を身につけての陣頭指揮は男性が行っていたらしいが武器を服装する女性首長も存在した、ということだろう」214頁

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「前期の首長墳について、その分析結果をまとめると、おおよそ次のようになる。
 ・古墳時代前期(5世紀中葉以前)において、各地域の中心となる首長墳の中核部分に熟年女性が単独で埋葬されている例、複数埋葬のうちの中心人物が熟年女性である例などを含めて、女性首長の存在は、九州から関東にまておよぶ。
 ・副葬品からみて、地域政治集団の女性首長は祭祀権だけではなく、軍事権・生存権をも掌握しているとみられ、同時期の男性首長と同様の主張権を持つ。
 ・小集団を背景とする女性小首長の中には、祭祀的・呪術的性格の濃いものも含む。
 ・成人男女2体の首長埋葬や、男性首長につぎ第2の地位を女性埋葬が占める例も多く、首長権の一部を分担した女性が広く存在した。
 ・男性首長の単独中心埋葬は、女性首長例に比べてわずかに多い程度で、男女2体を中心部に埋葬する例よりは少ない。
 ・大王墓を含む巨大古墳の多くは、現在も発掘が制約されていて、被葬者の性別を判断できない。
 …日本の古代に、女性首長がまれな例外としてではなく、男性首長と肩を並べて広く存在していた、ということだけはほぼ間違いなくいえよう。『風土記』の伝承には、それを生み出すだけの現実的背景があったのである」212頁

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「播磨国風土記では、女神と男神の牧歌的な神話の形ではあるが、生産・労働・政治に関わる、首長としての日常的活動の側面をうかがいみることができた。…古代には男性首長も女性首長もいて、その首長としての機能には、性別による違いや分担はあまりなかった、とみてよいのではないだろうか」210頁

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「<滅ぼされた土蜘蛛八十女たち>
 …肥前国風土記に描かれているのは、いずれも頑強に抵抗して滅ぼされた女性小首長の姿ということになる。…各地に女性の小首長がいて、たてこもり、抵抗して、殺された、という話が、ごく自然に通用する伝承世界だった、ということはわかる」202-3頁

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