「特集・近代社会の転換期のなかの家族」『社会学評論』256号、Vol.64, No.4(2014)

「議論のベースは、アリエスからエスピン=アンデルセンへと世代交代した。その背景にあるのが、山田や落合のいう『第1の近代』から『第2の近代』への構造転換である」「特集『近代社会の転換期のなかの家族』によせて」531頁

落合恵美子「近代世界の転換と家族変動の論理——アジアとヨーロッパ」533-52頁

「第1次人口転換と近代家族を単位とする『第1の近代』を作り、第2次人口転換と脱主婦化が個人化と家族の多様化を特徴とする『第2の近代』を開始させた」533頁

「家族の社会史の領域では、アリエスの流れを汲む心性史に替わって、洗練された科学的な手法を用いる歴史人口学が主流となった。近代への移行という大きな絵を描くより、前近代社会のメカニズムの解明が中心的な関心となった。…欧米圏の研究において『近代家族』という概念化が後景に退いた理由は、学説史的偶然と、社会的現実の変化との、両方と言えるだろう」534頁

「近代の家族変動と社会変動をとらえるための理論的基礎は人口転換(demographic transition)とジェンダーであるべきだと考えている。…産業革命が『物の(生産の)近代』を出現させたとすれば、『人の(再生産の)近代』を生み出したのは人口転換であった…
 人口転換は、近代家族の成立を可能にする条件を生み出した。…近代家族の子ども中心主義という心性のいわば人口学的下部構造である。
 …人生の安定性と予測可能性が高まり、家族経験の同質性が高まったとマイケル・アンダーソンは言う…
 …筆者[落合恵美子]が『社会の中にいくつかある家族類型のひとつ』でしかなかった『19世紀近代家族』と、『社会のどの位置にいる人にとっても、同型的な家族が成立しているはずだということを前提としている』『20世紀近代家族』を区別…山田昌弘も実態レベル(実際の家族が近代家族の性質を備えている)と制度レベル(社会が近代家族を前提として構成されている)を区別して、前者を『近代家族』、後者を『近代家族システム』と呼んでいる…人口転換は制度レベルでの『近代家族システム』の成立を可能にした」534-5頁

「注目したいのは、出生率低下は、わずかな例外を除いて、地域ごとにまとまって起きているということである」537頁

「日本以外の東アジア諸国の近代化は、日本よりもさらに圧縮されており、欧米諸国や日本が経験したような『第1の近代』と『第2の近代』の区別なしに、近代をひと続きのものとして経験している。チャン[キョンスプ]がこの状態を『圧縮近代』と呼んだのだとすれば、まがりなりにも2つの異質な近代を意識することのできる日本近代はこれと同じではない。そこで筆者は近年、日本近代を『半圧縮近代』」として概念化することを提案している」538頁

「婚姻に関する指標のうち、同棲の増加と婚外出生率の増加はほとんど起きていないことが、[東アジア諸国と]欧米圏との大きな違いである」539頁

「韓国や台湾では1997〜98年のアジア通貨危機を契機に離婚率が急上昇し、出生率は日本を下回る極低出生率の水準にまで低下した…経済状況の悪化の中、人々はまさに自分にリスクをもたらしかねないものとして、結婚・出産を回避したのである」540頁

「半圧縮近代である日本は高齢化の開始が遅く、ヨーロッパ諸国が高齢社会(高齢化率14%以上)となった1980年代にも人口学的好条件を保っていた。80年代の日本の経済的優位は、少なくとも部分的には欧米諸国との人口学的条件の違いに寄っていた」541頁

人口ボーナス

「小山静子が発見したように、良妻賢母はヨーロッパ起源の近代思想であり、子どもの教育における母親役割の強調は儒教思想では見られなかった…しかし、第1次世界大戦頃から、個人としての女性の解放を主張する第1期フェミニズムがさかんになると、そちらを欧米的な女性観と見なして、良妻賢母は東洋的伝統であったかのように思い込むという取り違えが起きた。興味深いことに、この取り違えは日本のみでなく同時期の韓国や中国でも起きている」541頁

「現在の東アジア社会は、ジェンダーに関して、少なくとも2つのグループが見出せる。第1のグループは、現在の女子労働力率は比較的低いが上昇傾向にある社会で、日本、韓国、台湾が含まれる。第2のグループは現在の女子労働力率は高いが下降傾向(主婦化傾向)にある社会で、タイなどの東南アジア社会と中国である」542頁

この図はわかりにくい😅

「近代家族論は、近代の2つの局面を区別することで、さまざまな理論的混乱を解決することができた。『半圧縮近代』ゆえに辛くも可能な理論化だった」543頁

「労働者が組合によって守られていたヨーロッパでは、不況は中高年ではなく若い世代を直撃した。この若者の失業が、晩婚化と結婚できない人々の増加につながり、その解決策として共働きによる生計の維持や同棲が選択されたという因果関係も見て取れる」545頁

江原由美子「フェミニズムと家族」553-71頁

「リベラル・フェミニズムは、『女性は、家庭生活から解放され社会で活動できるようになるべきだ』と主張したけれども、そこから女性が現実に行ってきた家庭内の仕事(あるいはその一部)をそのあと誰が担っていくべきかについて、主要な主題として論じることはなかった。リベラル・フェミニズムは、私生活に深くは踏み込まなかったのである」555頁

現実には外注(市場化)されて、それも別な女性が担っていくことになり、結果として職域隔離が悪化したわけですね

「現代フェミニズムは、女性にとって、(性愛関係を含む)家族生活と職業生活は、そのいずれも手放せないような重要性をもっているということを、共通認識としている。…私生活における家族の重要性を、第1波フェミニズムよりもむしろ強調していると言いうる」557頁

「現代フェミニズムの家族に対するもっとも重要な認識は、性別分業の問題以前に、家族を私的領域として他の社会領域から切り離す公私分離規範に対する疑義にこそ求めるべきだとも、言いうるだろう」558頁

「フェミニズムの視点に立つならば、『近代家族』の近代性には、大きな疑問が付与されることになる。少なくとも『近代家族』は、家族の最終形態の類型であるどころか、近代社会の基本的価値観が浸透する過程において大きな変動を被らざるをえない類型であると、言いうるだろう」564頁

「ジェンダーとは、たんに性別や性差を意味するのではない。また、たんに『生物学的性差』とは異なる『社会的・文化的性別』を、含意するのでもない。むしろ、『生物学的性別』という性別観を利用することで正当化された社会における女性の位置づけ(主流社会科学における女性の位置づけも含む)を批判的に考察する視点を、意味している」565頁

「『性別分業』のハビトゥスからの離脱を意味するセルフコントロール感の強化は、女性の専業主婦選択を肯定することにも通じる…自分自身が選択しているのであれば、『専業主婦志向であろうが、就業継続であろうが、周りからとやかくと言われるべきことではない』という感覚である。この感覚は、若い世代ではもはや『当たり前』に近いほど、強まっていると思われる」566-7頁

「辻村[みよ子]によれば、リプロダクティブ・ライツの概念には、『リプロダクションの自己決定権』と、『リプロダクティブ・ヘルスケアへの権利』の2つが含まれる…『リプロダクティブ・ヘルスケアの権利』の意味を強めたリプロダクティブ・ライツを表す語として、リプロダクティブ・ヘルス/ライツという語が用いられることが多い」569頁

筒井淳也「親密性と夫婦関係のゆくえ」572-87頁

「こういった国[アメリカやカナダ]での政策の結果、いずれにしても女性の相対的な所得水準が向上したが、それは女性の経済的自立、ひいては単独世帯化を促したというよりも、むしろカップル形成を後押しした…
 …一般に同棲カップルは婚姻カップルよりも出生力が低い傾向が見られ、同棲の増加は全体の出生力を低下させるように作用するが…それでもシングルの出生力よりも高いのであるから、結果として同棲は婚外子出生力の増加に寄与しているといえる。
 …少なくとも先進諸国の夫婦関係、カップル関係を見てみるかぎり、『シングル化』が目立って進行しているという状況を見出すことは難しい」574頁

「重要になるのは、純粋な関係性の特性のうち、関係がそれ自体から得られる満足のみに基づいて維持されるということと、関係をもつにあたっての態度・規範が外在的要因から自由になっていくということを区別することである。後者はいわゆる恋愛の自己言及的特性…であり、恋愛についてのよりラディカルな特性である」577-8頁

「経験的な証拠はランダムマッチングの普及を示唆していない。多くの国では学歴同類婚がいまだに広範に見られる…
 …趣味行動と恋愛行動は、いずれも『自然で自発的な選好の結果』であると誤認されやすいが、その実好みが構造化されている可能性が高いという点で共通点がある。
 …実証研究の成果からは、排他的関係性における同類結合が減少しているというはっきりとした証拠は出てきていない。アメリカでは、恋愛関係、同棲、結婚という関係性の移行に沿ってパートナーとの同類性が増していくという『選別仮説(winnowing hypothesis)』が検証されている」578-9頁

「同棲における関係持続性というテーマは実証研究では定番のものとなっている。アメリカでは、同棲経験者がその後結婚した際の離婚率の高さが研究者の関心を集めた…現在のところはセレクション効果であるという見方が有力である。つまり、自由な関係性への志向性の度合いが同じレベルにある人たちを比べた場合、同棲経験それ自体がその後の結婚の解消を促進する、という証拠はない、ということである。
 …L. バンパスとH.-H. ルーによれば、アメリカでも親が同棲関係にある子どもの割合は増えており、かつそのために子どもにとっては家族関係が不安定化していることが実証されている」580頁

山田昌弘「日本家族のこれから——社会の構造転換が日本家族に与えたインパクト」649-62頁

フォロー

「国家と家族が、人々の生活(心理的、経済的)にとって特権的な存在になった…近代社会は、人々が1つの『国家』と『家族』の一員であり、かつその関係が選択不可能、解消困難であることを前提として、さまざまな社会制度が組み立てられている」650頁

「近代社会の形成とともに欧米で広まったカ家族のあり方を日本では『近代家族』と呼んでいる(欧米ではこちらを『伝統家族』と呼ぶ)。…
 性別役割分業を近代家族の不可欠の特徴とするかは議論の余地がある。…
 …筆者[山田]は、扶養やケアといった生活上の責任と愛情や生き甲斐といった親密性の供給が結合しているところに近代家族の最大の特徴があると判断している(この結合はパーソンズの家族論の中に滑り込んでいたものである」651頁

「1970〜80年代日本社会は、『近代家族』の頂点にあったといえよう。(近代化で先行した北西ヨーロッパ、アメリカ社会は、1920〜60年代が近代家族の時代と言うことができる。落合が述べるように、日本の近代家族の時期は『圧縮』されているので、時期は短いにしても、欧米諸国と同等の近代家族が形成されたと考えられる」652頁

「家族の消滅論…ベックは、家族をゾンビ・カテゴリーと呼び…ギデンズは貝殻制度…と呼んだ」655頁

「『男は仕事、女は家事』という近代家族の規範に沿った家族を形成したくても、それが不可能な人が増えるという現実が出現する。…
 近代家族規範が予定する生活を、経済的に形成・維持できない人々が大量に出現する。これが、社会の構造転換が家族に与える影響の1つの帰結である」656頁

「自由や平等、自己実現の桎梏であったはずの近代家族のあり方が、生活上、そして、心理的に社会的包摂を保証するものとして人々の目に映るようになる。
 たとえば、性別役割分業規範は、女性の仕事での自己実現を妨げ、家事労働を押しつけるという不公平を生み出す。逆に言えば、このシステムの中に入ってしまえば、つまり、安定した収入のある夫と結婚できれば、仕事をしなくても生活できる保証が得られることになる」657頁

「欧米(とりわけ英米独まで)では、近代家族のリスクの高まりで、近代家族を維持することを諦める人が多数となる社会となった。一方、日本では、リスクがあっても近代家族を維持しようとする人々がまだ多く」659頁

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