三宅 香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか 』(集英社、2024) 、読了。
予見で随分警戒していたが、興味深い内容だった。その歴史性を丹念に 調べ、時代背景とともに「なぜ」に切り込んでいく。
「自己啓発」ということについても、批判と、批判への批判の両方の眼差しがある。
現代を〈強制サれていないのに、自分で自分を搾取する「疲労社会」〉であるとしたところは慧眼だろう。「私たちが戦う理由は、自分が望むから、なのだ」というのは、実に新自由主義を言い当てている。
取り敢えず「ひとつの文脈に全身でコミットメントすることを称揚するのは、そろそろやめてもいいのではないか」という提言も説得力があった。
#読書
千葉雅也『センスの哲学』(文藝春秋、2024)、読了。
〈センスとは、「直観的にわかる」ことで、いろんなことにまたがる総合的な判断力である直観的爱合的判断力。そして、感覚と思考をつないだようなものである。〉とセンスを定義。
ものごとをリズムとして捉えること。ものごとのリズムを、生成変化のうねりとして、なおかつ存在/不在のビートとして、という二つの感覚で捉えること。意味や目的からリズムへ、リズム=うねりとビートに乗ること。
人間は、しばしば予測誤差に喜びを見出す。個性とは何かを反復してしまうこと。
著者は、モデルを再現しようとして不十分にしかできない「下手」よりも、再現がメインではなく、自分自身の線の運動が先にある個性である「ヘタウマ」を奨める。
とても読みやすかった。私はもともと美学や芸術に関心があるので、驚きよりも、共感を持って読んだ。
#読書
ナンシー・フレイザー 著/江口 泰子 訳『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』(筑摩書房、2023)読了。
「資本主義とは何か」という最初の問いに対し、経済システムのみを指すのではなく、「制度化された社会秩序」と見做す。その社会のなかでは、経済化された行動と関係は一つの領域に仕切られ、ほかの非経済的な領域とは区別されてその上に成り立つが、 経済化された行動や関係が非経済的領域に依存しているという事実は否定される。
資本主義社会は「経済」領域を含み、「政体」もしくは政治秩序とは区別される。また「経済的生産」領域を含み、「社会的再生産」領域とは区別される。さらに搾取関係を含み、収奪関係とは区別されるが、収奪関係は否定される。資本主義社会は人間活動の社会歴史的な領域を含み、自然の物質的な土台とは区別される。そして、その全ての上に成り立つ。
資本主義の前提条件を「人種的な収奪」「社会的再生産」「地球のエコロジー」「政治権力」と立項し、みずからの存在基盤を構造的に共食いしようとする社会秩序と、矛盾に満ち、危機を引き起こしやすい特徴について明らかにしている。
【コストを転嫁しておきながら、その転嫁を否認している】という点が、非経済的な不正義、不合理、不自由を照らし出していて、ハッとした。
俳人・岡田一実。俳句とか考えごととか。美味しかった話とか、読んだ本の記録とか、香水(主に量り売り)とか、旅のこととかいろいろ揺らぎつつ。幻聴があり、人生はだいたい徐行。リブ返しはちょっと苦手。体調によっては返せません。
HAIKU,for its own sake. she/they
句集に『境界ーborderー』(2014)、『新装丁版 小鳥』(2015)、『記憶における沼とその他の在処』(2018) 、『光聴』(2021)、『醒睡』(2024)。単著に『篠原梵の百句』(2024)。