今晩は里芋「媛かぐや」のグラタン、レタスと塩昆布の浅漬。
里芋は農家のお友達に「媛かぐや」を頂いたので、グラタンに。「媛かぐや」、ただの塩茹でも甘くて栗や薩摩芋を思わせるホクホクなので、グラタンに仕立てたらどうかな、と。ホワイトソースは、バター10gに小麦粉10gで玉葱とブロックベーコンを炒め、牛乳100ccをちょっとずつ加えます。今晩は里芋のホクホクを楽しみたいので、ホワイトソースはつなぎくらいの少なめに。「媛かぐや」は12分ほど塩茹でして、ザザッとホワイトソースに合せて、モッツァレラチーズを40g振りかけて、25分オーブンで焼きます。
その間に、レタスの浅漬を。米酢と辣油も入れて、サッパリ辛く。
焼き上がったグラタン、最高……。ホクッホク……!!チーズの焦げも香ばしい!!美味ーーーいっ!!!「媛かぐや」、マジで美味い!甘い!!!
ワインは『『BREAD&BUTTER CHARDONNAY』』。これが、「媛かぐや」と最高に合う……。
美味しかった!!!
小川公代『ケアの倫理とエンパワメント』(講談社、2021)読了。
キャロル・ギリガンが初めて提唱し、政治学、社会学、倫理学、臨床医学の研究者たちが受け継いできた「ケアの倫理」を文学研究者の立場から考察する。「ネガティヴ・ケーパビリティ」「カイロス的時間」「多孔的な自己」を鍵概念に「ジェンダー」「セクシュアリティ」「人種の多様性」というテーマを切り込んでいく。
〈近代社会 にとって、あるいは資本主義社会にとって、「ケアの倫理」が"異質"だからこそ、今の 行き詰まった社会の状況を変えていく原動力になると信じている。〉
#読書
堀江貴文「介護は"誰でもできる"が、自分ではやりたくなかったし、やれもしなかったので他者に丸投げした図」
堀江貴文「介護は"誰でもできる"が、自分ではやりたくなかったし、やれもしなかったので他者に丸投げした図」
「父親を施設に入れる」のは良いんだよ。だが、現場の職員を蔑視しながら、というのが歪ですよね。「誰でもできるなら、自分ですればいいじゃん」と。
〈じっさいにこの日本社会においても、政治こそが、何が無償で行われるべきケアであり、有償で行われる場合にはケアの報酬を決めることでその社会的な価値を決定している 。すなわち、政治(学) )が政治とそうでないものを境界づけているという事実から、わたしたちは、非政治的と思われてい るものこそが政治的な力の作用をもっとも強く受けているのではないかと疑ってみる必要がある。〉岡野八代『ケアの倫理 ――フェミニズムの政治思想』(岩波書店、2024)
『里』二月号、「特別評論 写生幻想」にて「『写生』というビッグ・クエスチョン」を寄稿しています。
島田牙城「古語『写生』のこと」は波多野爽波から牙城さんが受けた言葉がふんだんに記されており、それも興味深かったです。
是非、お手にとってご覧ください。
#俳句
【始まります!】愛媛新聞カルチャースクール「作れる! 句会で学ぶ俳句」講師を務めさせていただきます。
①第4水 13:00~15:00
②1,650円
③定員15名
【体験会 は3/27(水)13:00~】
俳句はものを味わう豊かさを教えてくれます。ともに座を囲みましょう。初心者からベテランまでご参加ください!
濱松哲朗『翅ある人の音楽』(典々堂、2023)読了。
少しだけ読もうと思ったら、ぐっと引き込まれて読み切ってしまった。
「生きづらさ」と言ってしまえば単純だが、人であることの本質的な悲しみに切々と迫っていく。「翅」という異体のモチーフも、文語の「イマココ」感から遠い文体と響き合っていて、痛々しく心を衝いてきた。
耳鳴りににじめる声のとほくあれば黙秘のごとくゆふだちに入る
君の死後を見事に生きて最近のコンビニはおにぎりが小さい
随分ととほくまで来た 自転車でどこへでも行く大人になって
色彩の果てなる夜に鬼灯の実のうづきつつ照り深まらむ
Tシャツは首まはりから世馴れして部屋着つぽさを刻々と得る
氷とはみづとひかりの咎なるを鳥よこの世の冬を率るよ
みづからに疲れてをれば其処にありし他者(ひと)の苦悩に気づかざりけり
落涙の前ぶれとして微笑めばわれにこの世のひかり眩しも
全身に目玉のひらく感触の新宿駅に夜気はせはしき
エレベーターごとゐなくなる物語われに起こらず十階へ着く
岡野八代『ケアの倫理 ――フェミニズムの政治思想』(岩波書店、2024)、読了。
ケアの倫理をフェミニズム思想のなかで文脈化し、キャロル・ギリガン『もうひとつの声で』をフェミニズムの理論と運動の歴史に位置づけ直す。
家父長制は、他者に依存する者たちだけではなく、その依存する者たちを貶め、その関係生産性を指摘領域に留めおこうとする。ケアの倫理は、既存の正義論が前提としてきた公私二元論を批判し、新しい社会を展望する倫理を鍛え上げる契機となった。「正義かケアか」という不毛な議論を乗り越え、両者のパースペクティブを編み合わせる思考が求められる。ケアの実践は、社会的に強要されてきた母性主義から、ケアを開放する試みであった。脆弱性とは、身体と共に生きるわたしたち人間の特徴の一つである。
〈わたしにとって生きるとは何か、 どのような生を送ることを願っているのか、その願いと、政治をどこかで切り離していないだろうか。(中略)政治をあたかもそのようなケアから遠く離れたもののように捉えてしまうことは、一人ひとりの市民の生活に対して無関心で、不注意で、ぞんざいなケアを顧みない政治を認め(ケア・コレクティヴニ〇ニー: (一)、それどころか維持強化さえしている。〉
俳人・岡田一実。俳句とか考えごととか。美味しかった話とか、読んだ本の記録とか、香水(主に量り売り)とか、旅のこととかいろいろ揺らぎつつ。幻聴があり、人生はだいたい徐行。リブ返しはちょっと苦手。体調によっては返せません。
HAIKU,for its own sake. she/they
句集に『境界ーborderー』(2014)、『新装丁版 小鳥』(2015)、『記憶における沼とその他の在処』(2018) 、『光聴』(2021)、『醒睡』(2024)。単著に『篠原梵の百句』(2024)。