岡野八代『ケアの倫理 ――フェミニズムの政治思想』(岩波書店、2024)、読了。
ケアの倫理をフェミニズム思想のなかで文脈化し、キャロル・ギリガン『もうひとつの声で』をフェミニズムの理論と運動の歴史に位置づけ直す。
家父長制は、他者に依存する者たちだけではなく、その依存する者たちを貶め、その関係生産性を指摘領域に留めおこうとする。ケアの倫理は、既存の正義論が前提としてきた公私二元論を批判し、新しい社会を展望する倫理を鍛え上げる契機となった。「正義かケアか」という不毛な議論を乗り越え、両者のパースペクティブを編み合わせる思考が求められる。ケアの実践は、社会的に強要されてきた母性主義から、ケアを開放する試みであった。脆弱性とは、身体と共に生きるわたしたち人間の特徴の一つである。
〈わたしにとって生きるとは何か、 どのような生を送ることを願っているのか、その願いと、政治をどこかで切り離していないだろうか。(中略)政治をあたかもそのようなケアから遠く離れたもののように捉えてしまうことは、一人ひとりの市民の生活に対して無関心で、不注意で、ぞんざいなケアを顧みない政治を認め(ケア・コレクティヴニ〇ニー: (一)、それどころか維持強化さえしている。〉