Twitterでも何度も書いてるけど、篠田節子さんの「砂漠の船」という小説を昔読んだ時、Twitterスラング的に言えば「ほんそれ!」と溜飲が下がる思いだったんだけど、あれを20年前に書いていた篠田さんの慧眼には今になってなおのこと驚きますよ、まったく(語彙…😓)。
あの当時、あんまり感動したので、夫にも無理やり薦めて読ませたんだけど、夫の感想は「お父さん、可哀想」で「ああ、何にも分かってないんだな」と思った記憶がある。
しかもあの小説のその「お父さん」は上記のshinshinoharaさんの言うようなネトウヨ闇堕ちオヤジではなくて、ガチのリベサヨ夫なんだけど「リベサヨ男あるある」の典型的で妻子が自分の、いい夫、いい父としての“自己実現“の道具みたいになっているのにまったく無自覚。私はあれ読んだ時、長年にわたる自分の父親への怒りの正体を描いて貰った思いでした。
あの小説の優れたところは、それだけにとどまらず、その彼の心の歴史、…生い立ち、両親のことや彼の中の母の像のことまでしっかり描き切っているところ。今もまったく古びていない…というか、世間の人の中に理解できる人がやっと増えてきている…という感じじゃないかしらん。
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@zpitschi 『斉藤家の核弾頭』もあの時代に慧眼でしたね
そう考えると差別の問題って「自分と違う、だけど対等な権利を持っている(自分の思い通りにならない)他者」の存在を(自分の自己実現の道具とか自分の一部とかとしてではなく自分の外の存在として)認められるかどうかという自己愛の傷付きの話なんだと改めて思う。
哲学の方で言えば、まさに暮れに(って昨日ですけど)三宅芳夫さんが書いていたヘーゲルの話なんだけど(私自身は良く知らないけど聞き齧りでそうなんだろうなと思う)。
https://fedibird.com/@yoshiomiyake/109606558485193012
心理の方で言えば、これも古いけどジェシカ・ベンジャミンの「愛の拘束」で描かれていた話ですけど、これ、要するに幼い自己愛の傷つきの話ですよね。
愛の拘束 https://amzn.asia/d/2FdlNix
この日本語訳が出たのは96年か。…この延長に今の差別の大きな問題が浮上してきているんだと思うな。…あの頃まではまだ支配層の特権は不動のものだったんだろうけど(でも日本で言えば“濡れ落ち葉“だなんだと言われ始めた頃ですよね。つまり彼らの特権意識のお守りをしてやる事を皆が鬱陶しく思い始めた頃)今や彼らはそれを奪われそうになっていて、でもそれ以外の人間関係の築き方を知らないんで必死なのよ。 [参照]