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今度はこれを読んでいる まだ2章までしか読めていないが凄まじい気持ちになっている 惨い出来事、人として恥ずべき歴史の話をしているからってだけじゃなく、そうした事柄について(世界のあらゆるところであらゆる時代で起きてきたことを例にとっているのだが)「私はこれを知っている」言い換えれば「私はこれを見たことが、あるいは聞いたことがある(そうとは知らぬままに……)」という身に迫った感覚を覚えずにはいられない話になっているからなんですよね これは読み応えがある……
str.toyokeizai.net/books/97844

確か「残余の声を聞く」を読んでたときに日本の右派と韓国の右派がある種の共闘関係にある、みたいな話を読んでて、あるいはもっと遡るといわゆる旧統一教会と日本の保守との繋がりみたいな話を聞いてる中でも見えていた、このある種の共犯関係、みたいな話について疑問に思っていたのだけれど、そうしたことについて、うん、なんというか、理解しやすく説明があって、なるほどな……と思って読んでいた

そして読んでいるとやっぱりどうしても「みちのおく……」って思ってしまうんですよ みちはすのひとつの問題点はここの話と繋がっていと思います 要するに、死者への意味づけ まぁこの話に限ったことじゃない、多くのフィクションでこうしたことは繰り返されてきたわけですがそれが問題の重さを軽くするわけでは(当然ながら)ない

うわー、大衆の国民化、聞いたことある概念〜って思ってたらやっぱモッセのそれだったし、やたら「(見えない)欲望へ向けて」で名前を見たジジェクも登場して若干テンション上がったりした

ただなんかこう、気持ち悪くなるような生々しさと恐ろしさと罪悪感に苛まれるので読むのがかなり辛いとこはありますね 貸出延長するか、ちょっと時間置いてから読むとかそういう感じにするといいのかもな

読みながら思い出したのが、「ホロコーストからガザへ」でのサラ・ロイさんの話で、イスラエルではホロコースト被害者が「かつての弱さ」と見なされて(建国の正当性に利用される一方で)然るべき敬意が払われていないという話 読み進めるとその辺の話とももっと繋がってきそうな感覚はあります

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