特に旧Twitterなんかで「環境問題は先進国の意識高い金持ちの道楽」「余裕があるから環境問題の話ができる」みたいな言説を目にすることがあったけど、これって物凄く傲慢な考えだよ。
気候変動が特に顕著だけど、環境破壊が猛威を振るっている国・地域多くは「途上国」と呼ばれるグローバルサウスで、それ加えて戦争と同じく弱い人ほど被害を受けやすい構造になっている。故に、「途上国」の特に若者ほど気候変動に危機感を感じ、環境破壊に反対している。なのに、まるで環境破壊反対を主張しているのは「余裕がある人々」だけであかのように主張するのは、全く何も分かっていないし、現に気候変動を始めとした環境破壊によっ苦しみ、それに抗議している人々への冒涜だ。
星野リゾート、なぜ西成周辺?観光需要戻り「豪華さではなく希少性」
https://www.asahi.com/sp/articles/ASRBD5QRYR9SUTIL00F.html
最近読んでゲロ吐きそうなほど不愉快になったニュースが、星野リゾートが西成周辺にホテルを建てることで。ドヤ街の1500円の簡易宿所の近くに38000円からの高級ホテルを建てて、従業員が客を連れていく西成ディープツアーを開催するんだってさ。
多分、小山田圭吾の件もあったからか90年代の鬼畜系サブカルは最近総括されている印象だけど、旅行関連では「ディープ」という言葉が悪い意味でずっと使われ続けている。少なくとも、私は使いたくない言葉だ。
体感的保守王国
これだけ裏金問題もあったし、さすがに島根も自民党が負けるのでは?と他県の人に言われると、保守王国の体感というのは伝わりづらいものだと改めて思う。
なんというか、フツーの島根県民にとって自民党に投票することは善悪とは無関係の問題であり、変な話だが何なら政治とすら無関係である。島根において政治とは自民党のことであり、それ以外の政治は存在しないからだ。
背景にはもちろん利権も組織票もあるが、それだけではない。我が保守王国にとって自民党に投票するか否かは文化習俗や世界観に近い。自民に票を入れないことは、社会常識に180度背を向けて世捨て人になるくらいの問題なのだ。
それは例えば、肉食に少し似ているかもしれない。今や肉食の取りすぎが健康リスクを高めることはたいていの人が知っている。社会への関心が高ければ気候変動に影響することも知っているだろう。しかし、それと自分が肉食をやめるかどうかは多くの人にとって別問題だ。予想されうるリスクや善悪が人の行動を変えるとは限らない。
島根県民だって自民党政治に悪い面があることは分かっているし、時に批判もする。しかし投票するか否かは別問題なのだ。それは自分の生きてきた世界のあり方、見方を根底から変えることである。と、世捨て人は思う。
岡本真帆さんの『落雷と祝福』第6回がRRRだったことを今さら知ったので遅まきながらみんな見てくれ……かっこいいなあ、三十一文字の最短距離で射抜いてくるよね……💘
『女の園の星』と『ハチミツとクローバー』の回も良かったな、スラムダンクもあるよ
#RRR #女の園の星 #ハチミツとクローバー
他でも書いたことなんですが、アニメ「水星の魔女」について。楽しくみてはいたが途中から男性キャラの心理描写が丁寧になり、「女性二人の愛と冒険の物語」というよりは「僕ら男子が彼女たちを応援する物語」になったと感じた。
また、女性二人のカップルはモブ含め幾度か見たが、男性二人カップルの描写は「兄弟愛」以外にあまり目立たないことも気になっていた。
その分、ヒロインと男子キャラを戦わせてBLっぽい関係性を演出するなどしてBL好きなファン層を惹きつけてはいたが、常に保守系男性ファンの目線を意識してる印象は消えなかった。
なので公式がヒロイン二人の「結婚」を明言しようとせず、一度世に出た文言を消すまでしたことと自分の印象とは残念ながら矛盾していない。
クィアベイティング、つまり商業目的のためにLGBTQの権利に関心を寄せているアニメという批判があるが、より正確に言えば、同性愛嫌悪感情に配慮した作品なのだと思う。権利に関心を寄せるふりすらしてないのだから。
そして製作陣のトップも一部のファンも方はその罪深さをまだ自覚してない。この件で「みんなに配慮」できると勘違いしているのだ。
「月給22万円は、3年前に私たちが市当局と交渉してようやく勝ち取ったものなんです。それまで17年間は最低賃金上昇時に少しづつ上がりながらも、週5日勤務で手取り14~15万円で、任用の最初のころは交通費すら出なかったんです。その頃は半休も忌引もない。もちろん退職金もない。なのに60歳定年。それをひとつずつ交渉で改善してもらって、ようやく勝ちとったものだったんです」
司書の、特に非正規の司書の待遇はとても劣悪。
でもひとつひとつ声をあげ、待遇改善を勝ち取ってきたのに、という怒りの言葉。
私も、2〜3名の募集に、30人くらい、しかも全国津々浦々から応募してきているのを見たことがある。
司書の仕事をやりたい人は多く、劣悪な待遇でもそれでもやりたいからと我慢して、
これではのちに続く人がいなくなる、と待遇改善にも取り組んできたのだろう。そんな熱意と善意をふみにじる。
会計年度職員制度は仕組み自体がそもそもパワハラだけど、その仕組みを悪用するとこんなにもひどい人権侵害を行うことができる、というひどい例だと思う。
Lizzoの件、私もいろいろ考えました。
1. 権力がいかにやすやすと人間や場所を腐らせるか。権力に限らず「少数の意見が絶対になる場」や「クオリティ意識」も危険かもしれない。
2. プラスのギャップ(例えば不良が意外と優しかった)と比べて、マイナスのギャップは致命的である。露悪的なキャラのほうがマイナスのギャップが生じず、評判が落ちるリスクが少ない。そして、どうせ◯◯みたいなのはビジネスだ偽善だという言論が力を得てしまう。
3. しかし2の“潔癖”の問題は、いかに安全な場が希少か、切実に求められているかという話でもある。何も信じられない環境で希望なんか持てやしない。
4. 芸能人も人間であり、道を誤ることは沢山あるだろう。今回の件については擁護の余地はないように思える。しかし予防として、衝動的になりやすい人間は公の場に出さない、というのもまた問題だと思う。一部の属性の人に機会を与えない展開になりかねない。
バービーは新しいフェミニズム映画みたいな触れ込みだったけど、別に全方位的に「正しい」ことを保証なぞしとらんのよな。当たり前のことだけど。でも、そういう作品だからきっと「正しくあった欲しい」と願ってた人(特に女性)を相当に落胆させた。そして、その女性達が日本人であることを公式は多分一顧だにしていない。今の日本の洋画市場で稼ぐより、アメリカで稼ぐ方が大きいだろうから。
そういう諸々が透けるから、余計に怒りと落胆が生じてるんだろうと思う。この件に関して発言しないグレタ・ガーヴィグを見る目は冷淡なものになってくんじゃないか(マーゴット・ロビーが発言しないのはプロモーションへの参加を拒否するストの影響もあるという見方もできるかもだけど)
一方でオッペンハイマーだけど、正直ノーランが発言することは期待してない。勝手なイメージだけど、こういうことに興味もなければ心を痛めてるファンのこともどうでもいい人だと思ってる。というか、オッペンハイマーにシンパシーを感じてる気がしてるので。自分が最高の映画になると思えば女性差別とか人種差別を肯定するものでも世に放つ男だと思ってる。完全に偏見だが。
このこと、夏の暑さと冬の寒さで健康を害すること、最悪死に至ることを最近よく考えてる。
使い方にもよるけど、一般的に、夏の冷房より冬の暖房のほうが電気代がかかる。うちは、昨シーズンの電気代は本当にやばかった。
今、熱中症で亡くなる方の報道が相次いでいる状況で、冷房を使うことを金銭的な理由で躊躇する方が冬の暖房を十分に使えるとも思えず、冬はどうなってしまうんだろう。もちろん、自分自身も例外ではない。
「俺には想像もできない彼らの苦しみは、彼らが目にした無数の途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば何でもないことなのだ。
記憶は人の口を経る度にどうしようもなく薄れていく。あの人たちが忘れられることをどうしても許せなかった記憶ももうほとんど忘れ去られている。
78年前の途方もない苦しみはもうほとんどが消え去って、二度とは語り継ぐことはできない。
あの原爆で最も苦しんだ人たちは、それを誰に伝えることも出来ないまま焼け跡で腐れ落ちて死んだ。
それを自分の目で見た人々も、多くは口をつぐんで墓まで持って行った。僅かに語った人々もほとんどが墓の下だ。
老人たちの言葉と比べて、自分の言葉は何と軽いのだと思う。こんな軽い言葉で語るくらいなら、口をつぐんだ方がマシだとさえ思う。
それでも誰かが継がねばならない。俺のこんなにも軽い言葉でさえ、もはやこの世に残された原爆を語り継ぐ声の上澄みなのだと気が付いた。
自分ごときがと思う気持ちは痛いほど良く分かる。それでも口を閉ざさないでほしい。語るべきでないと、口を閉ざした結果があれなのだ。」