Lizzo(米国のラッパー、シンガーソングライター。自らのコンプレックスを振り返り、体型や独身であることを恥じない女性の生きかたを応援する音楽活動や発言をしてきた)と彼女の製作会社、ダンサーチームのキャプテンが元ダンサー3人から様々なハラスメントについて訴訟を起こされている件、ファンではなくてもがっかりしてしまいますね。
なお、Elleの日本語記事はセクシュアル・ハラスメントの克明な内容を書いているので、読むときは気をつけてください。
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Lizzoの件、私もいろいろ考えました。
1. 権力がいかにやすやすと人間や場所を腐らせるか。権力に限らず「少数の意見が絶対になる場」や「クオリティ意識」も危険かもしれない。
2. プラスのギャップ(例えば不良が意外と優しかった)と比べて、マイナスのギャップは致命的である。露悪的なキャラのほうがマイナスのギャップが生じず、評判が落ちるリスクが少ない。そして、どうせ◯◯みたいなのはビジネスだ偽善だという言論が力を得てしまう。
3. しかし2の“潔癖”の問題は、いかに安全な場が希少か、切実に求められているかという話でもある。何も信じられない環境で希望なんか持てやしない。
4. 芸能人も人間であり、道を誤ることは沢山あるだろう。今回の件については擁護の余地はないように思える。しかし予防として、衝動的になりやすい人間は公の場に出さない、というのもまた問題だと思う。一部の属性の人に機会を与えない展開になりかねない。

ギュッとまとめました:
苦労人や他者をエンパワーするような芸風の人でも、邪悪な独裁環境を築いてしまうことがある。
それが露悪や、圧倒的な金や家の力こそ全てという結論を有利にしてしまうのが悲しい。
有名人が道を誤ったときの遇しかたや、償いと復帰の手だてを社会で考えていったほうがいい。
リスク予防という名目での差別を警戒したい。

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