北村紗衣は「階層的に便所掃除マンに同一化できないからキレるが、その種のフラストレーションこそが欺瞞的」と位置付け可能だし(便所掃除の会社は不当な扱いをしてるわけでもないから、会社にキレさせるのはいかにも「ヘイトターゲットを都合よく配置した」だけにならないか?)、北村匡平は「便所掃除マン階層じゃない、どころかマンションのローン組んで妻子いるのに、「俺の心の中の自我はこれ」のノリで没入してるから欺瞞的」と位置付けされてしまう。
つまり作者/作品の主人公の落差に対して、今度は評者/作品の主人公の落差が待ち構えている。小説家、さらにはプロレタリア文学においては、この手の落差は封じ込めに成功していたんだな、と逆に気付かされた。
8-10個ぐらいトイレ出てくるんだけど、二つ目がすでに隈研吾トイレなんだよね、あれで「うさんくせー」となる人が出るんだろうな。
あとは、田中泯が「柴や薪を背負子で背負ったホームレス、しかも踊る」なのはひどいんだが、でもビクトル・エリセの精霊要素ってこれでは?と抗弁されたら、即座にカウンター応答できるか自信ないなあ。
あと、トイレおしゃれすぎと田中へのツッコミは「リアルではない」コメントだから、どっちもリアリズム様式から自動生成されるやつじゃん?と隙がある。
タイトルはルーリードから取られているが、「音楽良ければ全てよし」の民なら、ここから別のアレゴリー操作を見てとって一気に名作扱いにする作品読解も構築できそう。
パーフェクトデイズってタイトルにできたのはヴェンダースブランドゆえだろうな。もっと無名なら「トーキョージブシー」とかになりかねん。
映画『PERFECT DAYS』劇中曲
https://note.com/mztkwf/n/n880e42aa5277
やっぱり重ねてる人いた。役所の実年齢よりカルチャー古いよなと思った https://twitter.com/6aumiftsocqwpdy/status/1762616701022249365?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
やはりルーリードからひっくり返す技が生まれたな。
"『Perfect Days』を非実在おじさんの上質ルーティン映画だと断じて考えをやめてしまう人には、デイブ・スチュワートがルー・リードの「Perfect Day」について語った次の言葉を捧げるのがいいだろう。
「この曲の怖いところは、実はおそろしい状況が謳われている、と次第にわかる点にある。きれいな曲なのに、背後ではディズニーランドと闇の国がとけあっているというわけだ」"
https://twitter.com/shibasakiyuji/status/1769901279864930731?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
で、役所演じる主人公は日々写真を撮り、夢の時間に日々の記憶を浄化してるふう(なんかヴェンダースの妻のドナータ・ヴェンダースが作る写真スライドみたいなのが挿入される)なので、そもそもリアリズム様式を部分的に崩してるわけで、田中泯投入と、カセットテープで音楽が流れるまどろみ感は、わりと全体の構成が要求してるなあとも。