中国の昨今の殺傷事件、日本で過去に起きた池田小(2001)や登戸(2019)の児童殺傷事件みたいな印象を受ける。磯部涼が『テロリズム』と名付けたような。
「この“令和”には、人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められております」(*1)。川崎殺傷事件は内閣総理大臣・安倍晋三がそう説明した新元号に改められて間もなく発生した無差別殺人だというだけでなく、「8050問題」を始めとする、前元号=平成の間、先送りにされてきた問題を露呈させたこともあって、新たな時代の課題を象徴する事件として盛んに議論された。しかし、犯人が自死したため早々と迷宮入りし、また世間では日々起こる陰惨な事件によって印象が薄れつつあるのかもしれない。それでも、こうして歩道に背を向けて目を閉じると、背後からいきなり刺された被害者の恐怖がありありと感じられるのだ。事件の真相を究明するという形での供養がなされる日はくるのだろうか。(上記引用)
※参照
https://www.shinchosha.co.jp/shincho/tachiyomi/20190906_2.html