水原由紀/Yuki Mizuhara さんがブースト

CNNの「南極からオーストラリアの海岸にやってきたペンギン」目撃証言が良すぎて繰り返し読んでいる 

ペンギンが海岸にたどり着くところを見たという地元サーファーのアーロン・フォウラーさんは、「とにかく巨大で海鳥よりずっと大きかった。それで、海から出て来るあれは何だ、ということになった」と振り返る。

「そいつは波の中で立ち上がって、よちよち歩きで真っすぐ私たちの方にやって来た。コウテイペンギンだった。身長は多分1メートルくらいあって、全然人を怖がらなかった」

「きっと雪だと思ったらしく、腹ばいになって滑ろうとして顔から砂に突っ込み、立ち上がって砂を全部払い落とした」。フォウラーさんはそう話している。

cnn.co.jp/fringe/35225838.html

1時間くらい散歩してたら、途中でおばちゃんが住所を聞いてきた。「1-42-1」の場所がわからないらしい。自分はこのあたりに住んでいないけれど、と前置きしてからGoogle Mapで地図を見て、多分ここだろう、と伝えるとお礼を言ってゆっくり車で去っていった。気になったので後をついていったら教えた場所のちょうど隣で、よかったよかった、本番のときに遅れたら大変だからねえ。前にこのあたりをぐるっと回ってみたときはフェンスがあったからわからなかったのね。と言っていた。うれしかった。

クロカゲはいま1600位くらい。キャラ揃ってるからめっちゃ頑張った気がする

『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』読むぞっ

すっごい雑なんだけど「いま、日本はどうなっているのか?」ってわかった試しがない。日本のところを若者とかカルチャーに置き換えてもいい。

いわゆる"日本文学"はなんかネチョネチョしてて苦手なんだよな(※海外文学がネチョネチョしていないという意味ではない)、でもそう思う理由がよくわからない。単純に私が翻訳文体のことを好きなだけだと思う

人間の宇宙における孤独とか世界にとっての無意味さについて書かれた本がまた読みたくなってきた、SFではこういうの多いけど(というかラヴクラフトとか特にそうなんだが)、現代文学であんまり見なくなったような気もする

飽きと退屈について考えているのだが、差分に対しての敏感さが昔より落ちている(閾値が高くなっている)とは思う。違うことはわかるがその「違うことがわかる」ということがあまりおもしろくない(違うのだから違うのであって実は同じとかではない)。

今気づいたけどノーベル文学賞ハン・ガンじゃん!

(それ以上に技術の新興領域に詐欺みたいな会社が山ほどあることのほうが気になるけど。

もしかして現代的な金融資本主義って巨大な詐欺スキームだったりする?

『万物の黎明』読んだら元気になってきたわ。人類にはまだ多量の可能性がある。

柴崎友香の文体にはかなり衝撃を受けた。カメラの操作の仕方もそうだし、「うれしかった」って書いていいんだ、と思った。

人間を作るのと非-人間を作るのだと後者の方が圧倒的に犠牲=コストが多すぎてヤバいッピ、みたいな顔になってきた。やっぱり、想像力だけを糧にして生きるものたちの安さは見かけだけなんじゃあないか……。

当然のごとく門主様は固有2になりました。

白鳥の首のクニッとしているところが好き。

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。