へび。は一点しかないと思いますが。丸の内丸善で1週間だけの展示です。「へびをかぶったお姫さま ―奈良絵本・絵巻の中の異類・異形」
https://libguides.lib.keio.ac.jp/mit_annual_exhibition
ひさびさ一首評を書きました/スリッパを廊下のふちにかさね置くすぐそこにいる不在のために 安田茜『結晶質』 https://note.com/matsuzawamoru/n/n86a9a52632a1
「≪かりにだね、鉄の部屋があるとするよ。窓はひとつもないし、こわすことも絶対にできんのだ。なかには熟睡している人間がおおぜいいる。まもなく窒息死してしまうだろう。だが昏睡状態で死へ移行するのだから、死の悲哀は感じないんだ。いま、大声をだして、まだ多少意識のある人を起こしたとすると、この不幸な少数のものに、どうせ助かりっこない臨終の苦しみを与えることになるが、それでも気の毒とは思わんかね≫
≪しかし、数人が起きたとすれば、その鉄の部屋をこわす希望が、絶対にないとは言えんじゃないか≫
そうだ、私には私なりの確信はあるが、しかし希望ということになれば、これは抹殺できない。なぜなら、希望は将来にあるものゆえ、絶対にないという私の証拠で、ありうるというかれの説を論破することは不可能なのだ。そこで結局、私は文章を書くことを承諾した」(魯迅『吶喊』自序、竹内好訳)
twitterで川野さんが谷山浩子についてtweetしておられたので、有料配信の試聴をしてみたところ、何曲目かで「テングサの歌」というのに遭遇して、異様にのどかなポストアポカリプス的楽曲で吃驚しましたね…。
「乳児期における父親の育児への関わりが多いことが、 子どもが 16 歳時点でのメンタルヘルスの不調を予防する可能性」https://www.ncchd.go.jp/press/2023/0112.pdf という報道に接して思ったこと。科学的知見としての妥当性は私にはわからない。プレスリリースも新聞報道も、「性別役割分業見直しを後押し」的に報じてるけれども、この報道みて追い詰められる感を持つ人はかなり多いのではないか。育児に関わらない夫を持つ妻、母子、父子家庭の親と子ども。関わりたくても関われない労働条件に置かれている父、過去そうした環境を持ちえずいま精神的に苦しい人。いくらでも考えられる。「科学的にも裏付け」的な話にしてしまってはいけないと思う。
歌を詠んだり読んだり