へび。は一点しかないと思いますが。丸の内丸善で1週間だけの展示です。「へびをかぶったお姫さま ―奈良絵本・絵巻の中の異類・異形」
libguides.lib.keio.ac.jp/mit_a

「夢がかなうことはまずない。夢が砕け散るのを目のあたりにすると、そのとたんに、人生最大の歓びは現実の外側にあるのだと、ふと思い知らされる。夢が砕け散るのを目のあたりにすると、そのとたんに、心の内に夢が沸き立っていた頃が恋しくて私たちは身を焦がす」
(ナタリア・ギンズブルグ「アブルツォの冬」、白崎容子訳『小さな徳』所収)。

ひさびさ一首評を書きました/スリッパを廊下のふちにかさね置くすぐそこにいる不在のために 安田茜『結晶質』 note.com/matsuzawamoru/n/n86a9

春季恒例の具合の悪さという感じでございます。

坂井修一『ラビュリントスの日々』を読んでいたら泣いてしまった。

昨年は怒る役回り(異議申し立てという意味で)を引き受けすぎたような気がする。だいたい組織率極めて低い組合の万年執行委員だし。誰かが怒らなきゃいけないのだけど疲れが出ていることは否めない。

体調優れずお仕事休んで『巴里うたものがたり』を読んでいたら少し元気になった。

蝶ネクタイをしてみたいなとちょっと思う。

「≪かりにだね、鉄の部屋があるとするよ。窓はひとつもないし、こわすことも絶対にできんのだ。なかには熟睡している人間がおおぜいいる。まもなく窒息死してしまうだろう。だが昏睡状態で死へ移行するのだから、死の悲哀は感じないんだ。いま、大声をだして、まだ多少意識のある人を起こしたとすると、この不幸な少数のものに、どうせ助かりっこない臨終の苦しみを与えることになるが、それでも気の毒とは思わんかね≫
≪しかし、数人が起きたとすれば、その鉄の部屋をこわす希望が、絶対にないとは言えんじゃないか≫
そうだ、私には私なりの確信はあるが、しかし希望ということになれば、これは抹殺できない。なぜなら、希望は将来にあるものゆえ、絶対にないという私の証拠で、ありうるというかれの説を論破することは不可能なのだ。そこで結局、私は文章を書くことを承諾した」(魯迅『吶喊』自序、竹内好訳)

ペルシャン・レッスンは結局見逃してしまった。なんかで配信されることを期待。

短歌を始めてから長生きしたくなった気がする。目標とかなんとかいうよりも、言葉のある世界への未練が増したというか。そんなわけで体内の脂肪を筋肉に置き換えるべく今月はよく運動した。

自宅にも職場にもいたくなくなって、「こういうとき人は海が見たくなったりするのではないか」と思い、Google上「海の見える公園」と書かれている場所にきたのですが、薄々わかってはいたものの、想像以上に海より火力発電所がよく見えました。意味のないプチ遠出が目的だったので特に問題があるわけではないんですが。

twitterで川野さんが谷山浩子についてtweetしておられたので、有料配信の試聴をしてみたところ、何曲目かで「テングサの歌」というのに遭遇して、異様にのどかなポストアポカリプス的楽曲で吃驚しましたね…。

伸び放題だった髪を切った。戦間期知識人っぽい仕上がりになった。

イレギュラーなお仕事の日。美容院予約システムの寡占化が美容業界を圧迫しているという話を聞いた。いわれてみればさもありなんという話なんですが、そこまで考えたことはなかった。

職場のシステムで「個人で設定変えちゃだめ」といわれていた部分をうっかり変えてしまうミスをしてしまった…

「乳児期における父親の育児への関わりが多いことが、 子どもが 16 歳時点でのメンタルヘルスの不調を予防する可能性」ncchd.go.jp/press/2023/0112.pd という報道に接して思ったこと。科学的知見としての妥当性は私にはわからない。プレスリリースも新聞報道も、「性別役割分業見直しを後押し」的に報じてるけれども、この報道みて追い詰められる感を持つ人はかなり多いのではないか。育児に関わらない夫を持つ妻、母子、父子家庭の親と子ども。関わりたくても関われない労働条件に置かれている父、過去そうした環境を持ちえずいま精神的に苦しい人。いくらでも考えられる。「科学的にも裏付け」的な話にしてしまってはいけないと思う。

本読んだとは言っても半ばお仕事読書ですけど。

今日は休みというか何というかだったので、無駄に持っているなかで一番高いジャケットを着て、無駄にネクタイをして、喫茶店で本読んでました。

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