今日の過去記事再放送は #平塚 宿と #大磯 宿の位置関係について考察した回。
本当はここに限らず、小田原北条氏時代の東海道筋の継立の運用がどうだったのかなど、江戸時代以前からのアプローチとしては検討すべき切り口が他にもあると思います。ただ、その拠り所となる史料があまり残っていないのが…。
【旧東海道】その10 平塚宿と大磯宿の「近さ」(その1) https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-118.html
【旧東海道】その10 平塚宿と大磯宿の「近さ」(その2) https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-122.html
【旧東海道】その10 平塚宿と大磯宿の「近さ」(その3) https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-123.html
【旧東海道】その10 平塚宿と大磯宿の「近さ」(その4) https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-124.html
【旧東海道】その10 平塚宿と大磯宿の「近さ」(その5) https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-125.html
【旧東海道】その10 平塚宿と大磯宿の「近さ」(まとめ) https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-127.html
【旧東海道】その10余録:「化粧坂」について https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-126.html
今日の過去記事再放送は #大磯 宿と #小田原 宿の間にあった梅沢の立場について。この梅沢の存在も、江戸時代の東海道の継立場の配置を考える上での課題の1つと言えます。
余談としてまとめた「お品書き」は、後に #相模国 の産物について掘り下げていく出発点の1つになりました。
【旧東海道】その11 大磯〜梅沢の地形と立場(その1) https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-128.html
【旧東海道】その11 大磯〜梅沢の地形と立場(その2) https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-129.html
【旧東海道】その11 大磯〜梅沢の地形と立場(その3) https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-130.html
【旧東海道】その11 大磯〜梅沢の地形と立場(その4) https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-131.html
【旧東海道】その11余談 梅沢の立場の「お品書き」 https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-132.html [参照]
今日の過去記事再放送は、#東海道 の各記事を西へと向かう順で取り上げてきた中で、そこから分岐する道を取り上げた回で漏れていた分を。#平塚 道は平塚から厚木へと向かう道筋ですが、幕末の一時期に東海道の「御道替え」が取り沙汰されていた時にはその代替ルートの一角に含まれていました。
平塚道(厚木八王子道)について https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-245.html
東海道から分岐する「#大山道」は何本かありましたが、現在の #二宮 付近から #秦野 と向かう道筋は、後に「#湘南軽便鉄道」のルートの参考になった様です。
「湘南軽便鉄道」と「大山道」と水無川の流路変遷 https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-272.html