今日の過去記事再放送は #平塚 宿と #大磯 宿の位置関係について考察した回。
本当はここに限らず、小田原北条氏時代の東海道筋の継立の運用がどうだったのかなど、江戸時代以前からのアプローチとしては検討すべき切り口が他にもあると思います。ただ、その拠り所となる史料があまり残っていないのが…。
【旧東海道】その10 平塚宿と大磯宿の「近さ」(その1) https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-118.html
【旧東海道】その10 平塚宿と大磯宿の「近さ」(その2) https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-122.html
【旧東海道】その10 平塚宿と大磯宿の「近さ」(その3) https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-123.html
【旧東海道】その10 平塚宿と大磯宿の「近さ」(その4) https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-124.html
【旧東海道】その10 平塚宿と大磯宿の「近さ」(その5) https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-125.html
【旧東海道】その10 平塚宿と大磯宿の「近さ」(まとめ) https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-127.html
【旧東海道】その10余録:「化粧坂」について https://kanageohis1964.blog.fc2.com/blog-entry-126.html