いわゆるノンポリ層の意識を変えるために必要なのは、リベラル側の丁寧な説明と忍耐力。「こんな簡単なこともわからないのか」みたいな態度を出した時点で負けだし、「ネトウヨは馬鹿」みたいな批判の仕方をしても負け。ノンポリがなぜノンポリであることを選んでいるのかを考えてほしい。かれらは「いいひとでありたい」と思っているし、「誰のことも傷つけたくない/悪者にしたくない」と思っている、ある意味では思いやりに溢れている善人なんだから。
草の根を拡げていくのなら、まずは土を耕さなくてはならない。土を耕すというのは、荒れている土地に農具を入れて掘り返し、そこに肥料だとかの栄養素を混ぜていくことであり、それはノンポリ=初心者たちが「なにを知っていてなにを知らないのか」をまず先達が知り、どのように教えていけば正しく知識を得てもらえるかを考え、実践し、改良を重ねていくことなのではないのか。誰にも手入れをされないまま痩せ衰えてしまった土に雑に種を蒔き、乱暴に水をやり、育たないことを罵ることではない。当然、種の種類や個体差ごとに育ちやすい環境も違う。そういうめんどくささを引き受けずに「教育」「啓蒙」をしているつもりになっているうちは、永遠にかれらノンポリは味方にならない。
たとえば糸井重里のクソ投稿を引用して批判するときに、なぜ糸井のような者がSNSを離れさえすれば地獄を味わずに済むのか、逆にSNSでも現実社会でも地獄を味わわされることから逃れられない者がいるということ(なぜそうなるのか)を説明しつつ引用をすれば、善人でありたいと思っているノンポリにはある程度響くものになる。しかしその引用に罵詈雑言のように心優しきノンポリからは思えるようなものを混ぜてしまう、あるいはそれを主軸にした投稿をしてしまうと、差別だとか社会構造の偏りだとかの「前提知識」を持たないノンポリたちには、単に「口汚いことを言っている者」にしか見えなくなってしまう。