「どのような景色を見ているのか」を考えて、その景色を可能なかぎり共有したうえで接する必要がある、ということ。小学校の算数がわからない者に、高校の数学を「こんなの簡単だよ」「なんでできないの」「やれば楽しいのに」などと言っても変わらないどころか、むしろいままで以上に遠ざけることになる。まずは「どの時点でつまずいているのか」を確認すること。そしてなによりも「わからない/できないと辛い」という気持ちを受けとめること。そこでやっと「この人の言うことなら聞いてもいい/理解できるようになる気がする」と思えるようになる。これがわからない教師は多い。なぜなら自分が「苦もなくやれちゃう」側だから。
「なぜその表現や態度がよろしくないのか」を理解させて、今後同様のことが生じないようにするのが目的なはずなのに、なぜか「お前は無知で馬鹿でクズでどうしようもない奴だ(それに引き換え自分は......)」という他罰と自尊がごちゃ混ぜになった投稿をすることで満足してしまい、本来の目的から離れていってしまう。そんな事象がTwitterを筆頭としたSNSでは常に起きている。