悪意を持って故意におこなう差別と、知識がなかったり無自覚だったりで生じてしまう差別では、それをやらかしてしまった者への対応の仕方も変えなくちゃいけないはず。でも前者に対する強気な対応のほうが「ウケる」から、後者に対してもそのように対応してしまう。だから嫌われるし、学んでもらえない。勉強ができない(から嫌いになってしまった)者は、勉強ができる(から好きになれている)者から言われる「なんで勉強しないの?/やれば楽しいよ/こんなのもわからないの?」ほどムカつくものはないが、勉強ができる者はそのことに気がついていない。これと似ていると思う。
「どのような景色を見ているのか」を考えて、その景色を可能なかぎり共有したうえで接する必要がある、ということ。小学校の算数がわからない者に、高校の数学を「こんなの簡単だよ」「なんでできないの」「やれば楽しいのに」などと言っても変わらないどころか、むしろいままで以上に遠ざけることになる。まずは「どの時点でつまずいているのか」を確認すること。そしてなによりも「わからない/できないと辛い」という気持ちを受けとめること。そこでやっと「この人の言うことなら聞いてもいい/理解できるようになる気がする」と思えるようになる。これがわからない教師は多い。なぜなら自分が「苦もなくやれちゃう」側だから。