「どのような景色を見ているのか」を考えて、その景色を可能なかぎり共有したうえで接する必要がある、ということ。小学校の算数がわからない者に、高校の数学を「こんなの簡単だよ」「なんでできないの」「やれば楽しいのに」などと言っても変わらないどころか、むしろいままで以上に遠ざけることになる。まずは「どの時点でつまずいているのか」を確認すること。そしてなによりも「わからない/できないと辛い」という気持ちを受けとめること。そこでやっと「この人の言うことなら聞いてもいい/理解できるようになる気がする」と思えるようになる。これがわからない教師は多い。なぜなら自分が「苦もなくやれちゃう」側だから。
バンドメンバー代表の謝罪文みたいなもの、まさに上述したことの典型だと思いますね。96年生まれでだいたい同世代。これがいまの30歳前後(およびそれ以下)の標準的理解度だと思ったほうがいいです。つまり、大事なのはこの状況からどう教育していくか、理科させていくかなわけで、憤懣やるかたないが、小学生の社会科の授業のようなレベルからやらねばならないわけです。「こんなのもわからないのか」なんて態度を見せたらそこで終わりです。問われているのは、むしろ我々「大人」「知っている者」の忍耐力だったりします。